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このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2016年3月31日木曜日

(464) パート職員雇用通知書

 「パート職員雇用通知書」が届いた。署名・捺印して提出した。

 そもそも「働く」気はなく、ボランティアのつもりで首を突っ込んだが、行きがかり上、このようになった。
 
 このところ職業欄には「無職」と書いてきたのだが、なんと書けば良いのだろうか。「生活支援員」だろうか。

とは言っても、「年金生活者」を脱した気分ではない。当面、収入はない。


 生活支援員の活動

① 安心サボートセンターで生活費を預かる。

② 利用者のご自宅を訪問する。

③ 利用者に生活費を手渡し、様子をうかがう。

④ 次回訪問日を確認する。

⑤ 援助記録をセンターに提出する。

 
 手順は、
支援を求める人のリストが示され、その中から自分が担当したい人を選んで、申し込む。見事合格すると、お仕事が始まる。

 だから、こちらが手を挙げなければ、担当する相手がないままなのだから、パート職員として雇用されていても、収入はない。最近、成年後見人を受任したところだから、当面立候補する余裕はなく、当面無収入が続く。
 
 なお、時給は860円。

2016年3月30日水曜日

(463) Facebook から Blog へ

 Facebook(「藤波進 なみさん」で検索)での連載を このBlog「輝き実現に向けて」(http://kagayaki56.blogspot.jp/ に移行します。

 Facebook 2014/12/24 から1日1件のペースで書き続けてきたものを、Blogに移行します。今回(2016/03/30)(463)です。Blog上では、試行的に(459)から掲載し始めています。それ以前のものは、Facebookにあります。


 それにしてもシンプルなBlogページである。飾りが一つもない。

 良く言えば「シンプル」、悪く言えば「手抜き」。実態は、どう飾ればよいか分からないし、飾る意欲もない。カッコよく「中身で勝負」と言いたいところだが、そこまで言うと、突っ込まれそうである。

 美しい飾りのついたページは、たくさんあるでしょう。

 そうでないのも、たまには、あってもいいでしょう。
ご寛容に、お願いします。

(462) 創生塾とイベント(2/2)


 イベント開催中心の創生塾のもう一つ割り切れないことは、期限限定になっていること。これは、やむを得ないところはある。しかし、我々の目指す「住民の孤立化防止」など多くのテーマは、1回イベントをして、そう変わるものではない。我々は4回開催して、少しの手ごたえはあった。

 我々のメンバーの一人は、塾終了後も頑張り続け、開催を9回までのばした。今回の「音楽療法」も大変盛り上がった。参加者は積極的に参加し、終了後も次々と手を挙げ、感想を言ってくれた。

 そう、ブツブツ言っていても、何も変わらない。自分自身で実行してくことにより、少しずつでも、何かが変わっていく。
https://drive.google.com/file/d/0B6rbwweneswVM29ZYUowOEhXMEE/view?usp=sharing

2016年3月29日火曜日

(461) 創生塾とイベント(1/2)

 2年間の「ふるさとひょうご創生塾」は、3/19に卒塾式があり、終わった。チームを作り、テーマを決めて活動するのだが、創生塾の特徴の一つは、その活動は単なる調査ではなく、具体的な活動(イベント)を行いなさい、ということにある。

 悪くはない。しかし、割り切れないところもある。

 一つは、イベントが主目的になってしまっている。私の感覚は、先ずテーマがあって、その一部としてイベントがある。しかし皆、イベントをこなすことに必死で、テーマはそのイベントを正当化するための飾りに過ぎなくなっているように、私には見えた。

 途中経過報告も、イベント報告をするように様式を指定され、テーマについて報告する余地がなかった。卒塾式の最終報告でなんとかテーマも取り上げようとしたが、イベント報告が時間超過し、できなかった。

 まあ、いいか。いいとしよう。

2016年3月28日月曜日

(460)  なまっているのは、どちらか


 歴史的経緯を含めて全体を見る見方と、向き合っている現実を中心に見る見方と、二つの見方があって、両者はかみ合わない。

 スペイン語は、スペインばかりでなく「北アメリカ諸国(メキシコ、コロンビア、アルゼンチンなど)、赤道ギニア(20カ国)」でも使われている(Wikipedia)。当然、それぞれの国によって、少しずつ違ってくる。英語と米語は違い、オーストラリアの英語は更に違う。話は「なまり」の領域に入っていく。

 さて、「歴史的経緯を含めて全体を見る見方」によれば、スペイン語が標準語でアルゼンチンのスペイン語はなまり(方言)となるだろう。しかし、アルゼンチン人が「向き合っている現実を中心に見る見方」をすると、スペインのスペイン語がなまり(方言)となる。

 どちらかの見方が正しい、とは言えない。
 
 忘れてはならないのは、相手が自分と同じ見方をしているとは限らないことである。特に、「歴史的経緯を含めて全体を見る見方」をする人が、そのところを押さえないまま、「向かい合っている現実を中心に見る見方」をする人に自分流に接していると、とんでもないことになってしまう。

(459)  スペイン語

 面白い夢を見た。

=====

 アルゼンチンだっただろうか、
国名は定かではないが、南米のとある国、

 現地の人が言った。
「地球の反対側の人と話していると、
 (スペイン語が)なまってしまう」

=====

 スペイン語のわからない私が、
何故こんな会話ができたかは、さておこう。

 アルゼンチンの反対側というと、
スペインのことだろう。

 スペイン語の夢を見たのも、
「なまり」という言葉が出てきたのも、
思い当たるふしがある。
 
 この二つがくっつくと、不思議な夢になる。