LGBTQ是認論者は、概ね次のような反応を示しているようです(例外・異説もあるでしょう)
1. 女の人が女の人を好きになってよいし、男の人が男の人を好きになってよい
(考察)
これは、もともと許容されています。2人の女性が手をつないで街を歩いても、咎める人はいません。なのに、何故「レズビアン」という言葉が必要なのでしょうか?
「好き」の4段階:①好き、②恋愛感情、③肉体的接触(手をつなぐ)、④肉体的関係(性器への接触) → 彼らが求めているのは、同性間の④の公認でしょう。
女性が同性の女性に憧れるのはよくあることで、わざわざ取り上げる必要はありません。女性に恋愛感情を抱いたらそれだけでその女性をレズビアンと見なすこともあるようだが、彼女にレズビアンという呼称は必要ないし、そう呼ばない方がよいと思います。そっと、本人の自由に任せればよいでしょう(男性の場合も、同様)。
(考察2) 差別について (2024/08/29 追記)
(1) 言葉と差別
「目の見えない人」を表す言葉がかつてあったが、今は使ってはいけない用語とされています。差別を誘発しないための配慮であり、実際に効果があるようです。LGBTQへの差別をなくすことを主眼とするなら、同じように考えることも合理的だと考えます。言葉があるから差別しようとするのであり、言葉がないと差別しようがないからです。
以上の観点から、極端に話、「差別をなくすためにLGBTQを放送禁止用語にしよう」という説も一理あります。ただし、猛反発を受けるでしょう。それは何故なのでしょうか? また、ことさらLGBTQのレッテルを貼りたがるのは何故でしょうか? 考察する意義は大いにありそうですが、ここではこれまでとします。
(2) 宝塚歌劇団
宝塚歌劇団の男装の麗人や彼女たちを熱狂的に追いかけるファンをL(レズビアン)と呼んだり、彼女たちを非難したりするのは、聞いたたことがありません(嫌っている人たちはいるかもしれません)。彼女たちが差別されることは、あっても少ないと思います。
(3) 子どもの成長
子どもたちが成長する過程で、同性の塊ができて親密になり、同性の親友を得ていくのは自然だし、さらに、同性の中にロールモデル(考え方や行動の規範になる人物)を見出し、大好きになり、憧れ、自分を同化しながら成長していく子どもも多いでしょう。頼もしく感じます。
一方で、異性を意識して、同性では感じなかった心のときめきを感じることもあるでしょう。あるいは、そのようなときめきを同性にも覚え戸惑う子どももいるでしょう。
遷ろっていく様々な感情をいだきながら子どもたちは成長していきます。そこにはLGBTQという言葉は必要なく、むしろ意識すると歪んでしまうのではないでしょうか。解説の言葉は必要なく、子どもたちは、自然に自然に、色々な感覚を味わいながら、変わっていきます。緩やかで、暖かい目で見守っていきたいと思っています。
(4) 4段階目「肉体的関係」
先に述べた「好き」の4段階:①好き、②恋愛感情、③肉体的接触(手をつなぐ)、④肉体的関係(性器への接触)のうち、①②③については、LGBPTという言葉は必要ないし、むしろ有害だと思います。
一方、④肉体的関係(性器への接触)については、意見の分かれるところであり、大いに議論すればよいでしょう。議論するためには言葉が必要です。そこで、LGBTQという言葉を使うとき、①②③は除外し、④のみを対象にするのが好ましいと考えています。本来異なる①②③と④とをLGBPTに含めてしまっており、そのことにより不毛な、不合理な議論が百出しているのが現状だと考えます。
意見の分かれ目は二層になっているようです。一つ目は、肉体的関係(性器への接触)を嗜好の問題と考えるかそうでないかと考えるかの違いです。二つ目は、嗜好の問題でないとした場合、それを好ましいと考えるか好ましくないと考えるかです。この二つの命題については、おそらくいくら議論しても万人が納得するような結論が出ない、言い換えれば、どちらか一方が正しいという結論は出せないと思います。
意見が分かれることを互いに認めるのは、多様性を尊重する観点で好ましいと考えます。また、結論が出ないなら議論する必要がないというのは違います。議論が分かれるということは、両論それぞれに、好ましいことと好ましくないことの両方が含まれているからです。本来は矛盾するものを認めながら、ある意味、妥協しながら、各々の良い面をいかに少しでも引き出し、各々の悪い面をいかに少しでも緩和するか、知恵の出しどころはあるし、有意義な議論ができると思います。それができるのが「多様性のある社会」でしょう。
相手を一方的に悪と決めつけることは、有害です。差別はあってはなりません。時系列で言うと、かつてはLGBPTに対する差別があったが、今はむしろ、反LGBPTに対する強圧的な差別が横行していると感じています。いずれの差別にも、私は反対します。
なお、どちらの説が正しいかは、この稿では述べません。「LGBTQの論点整理」のために書いているからです。
※ 本稿での考察範囲 (2024/08/30 追記)
本稿で“LGBTQ”という用語を使っていますが、“LGBTQ”のうちの“LGB”と、“LGBTQ”思想・運動の全般、の二つを主な対象として考察しています。
最近の欧米では、“T”(Transgender:トランスジェンダー、性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)で深刻な問題が起こっているようですが、本稿では考察対象としていません。
また、最近では“LGBTQ+”という用語が使われており、“+”は「多様な性で、LGBTQにカテゴライズされない人」とのことです。本稿では“Q+”も考察対象に含めていません。
2. 男女を分けることを拒否
(1) 男装・女装の自由、他性の振る舞いの自由(例えば、男が女言葉を使う。逆も)
(2) 男と女を分けてはいけない → 例えば、男女混合名簿の採用
(3)「女のくせに」「男のくせに」と言ってはいけない
「男は男らしく」「女は女らしく」も不可とする
3. 性の変更の自由
(1) 性別の取扱いの変更(条件付きで性同一性障害者の特例は既に認められている)
https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_kazi/kazi_06_23/index.html
(備考)
令和5年10月25日付け最高裁判所大法廷決定において,5の要件(他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること)は憲法13条に違反し無効であるとの判断が示されています。
現在、更に、3の要件(生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること)の撤廃を求めています。
(2)「私は女だと自認する」男は、女として扱え!
(考察) 次のような主張もあるようだ
自分が女性だと自認する男性は、女性用トイレや女風呂を使う
(女性が怖がっている)
(半面、男性を自認する女性は、男風呂には行かないだろう)
(3) 肉体的改造(性転換手術)を勧める(人たちもいる)
4. 女性を「子を産む性」と見なすことに対する嫌悪感
子を産まない(産まなかった)女性への偏見を拒否
(考察)
「結婚しない」「子を産まない」(最近の若い人は、そのような意思の人が増えている)自由を主張したいのでしょうか?
5. 従来の家族制度・戸籍制度を否定
(1)選択的夫婦別姓を主張 (通称使用では不可)
(2)同性婚を主張 (同性婚の法的公認、配偶者権利の取得)
6. 関連するいくつかのLGBTQ是認論者の主張 (※08/25 一部追記) 追加カッコ内は筆者のコメント
(1)誰一人取り残されてはいけない(しかし、LGBTQ以外の人を取り残そうとしている)
(2)LGBTQは正義である(LGBTQに異議を唱えることは邪悪と考え、許さない)
(3)多様性を認めるべきだ(しかし、LGBTQの賛否については、多様性を認めない)
(考察)LGBPTQ論者がもしも「男らしさ」「女らしさ」を認めないなら、彼らは典型的な反・多様性の思想の持ち主なのだろう(※08/27 追記)
(4)LGBTQ権利は守られねばならない(LGBPTでない人たちの権利は、侵害してよい)
(5)表現の自由を守るべきだ(しかし、LGBPTに反する表現は許さない)
(6)子どもであっても、自分ことは自分で決めるべきだ(LGBPTに誘うことはよいが、子どもたちをLGBPTが守ろうとする人たち(そのように考える人もいる)は、たとえ親であっても口出ししてはいけなない)
(考察)
LGBTQの仲間づくり、日本の伝統的価値観・家制度・法体系の破壊が背景にあるのではないでしょうか? … 意図する・しないに関わらず、その方向へ動いていきます。
(破壊したい or 破壊してかまわない)
※ 定義
LGBTQとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)、QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称のひとつとしても使われることがあります。
https://tokyorainbowpride.com/lgbt/
添付図は(Deaf
LGBTQ Center代表/山本芙由美 著)「LGBTQとは わかりやすく活動家が解説│課題や支援事例も紹介」(朝日新聞SDGs ACTION!)から拝借しました。
https://www.asahi.com/sdgs/article/14564464