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2021年12月31日金曜日

(2523) 来年もよろしくお願いいたします。

 【 良いお年を ・ 来年もよろしく 】やるべきことをすべて無事に終わらせると、家族で年越しそばを食べて一年の無事を喜びあい、細く長く、健康で新しい年が無事迎えられることを神様に感謝しながら年を越したということです。


「よいお年を は、1230日までの挨拶なんだ

 1231日の挨拶は、来年もよろしくお願いします」

 

 知りませんでした。

 

===== 引用はじめ

この「良いお年を」と言うのは、これから年末に向けて沢山のやるべきことを踏まえて、「大晦日を無事に迎えるまでは、色々と大変ですが、お互いに頑張りましょう」「どうぞ良いお年を迎えられますように」という意味が込められていて、

それがいつしか短くなって「良いお年を」だけになってしまったようです。

 

つまり、厳密には12月31日の大晦日になって、

「良いお年を」と言うのは間違いということになります。

===== 引用おわり

 

<引用URL> 

年末の挨拶で「良いお年を」って言ってもいいの?正しい伝え方は?

https://yoihanashi.com/sousai/yoiotoshiwo.html

 

<添付絵>

【タイトル】 ひなちゃんの日常(南ひろこ)

【新聞】 産経新聞(2021/12/31)



2021年12月30日木曜日

(2522) 私のショート・エッセイ(5) (希望から絶望へ)

 絶望している人は、絶望感から逃れようと、希望を持ちたがる。

しかし、その希望はかなえられずに、絶望感はさらに強くなる。

絶望に吸い込まれていく。

 

一方、

いったん絶望の淵に沈みを、希望をすべて失ったとき、

それでも立ち上がって、希望を見出す人もいる。

 

「地獄をみた人は、怖いものがなくなる」という。

 

(すべて自分で考えたことであり、引用ではありません)


2021年12月29日水曜日

(2521) 私のショート・エッセイ(4) (絶望から希望へ)

 絶望的な状況だと悟ると、人はパニックに陥る。

だから「うまくいかないだろう」と思わないようにする。

 

しかし、強い人は「うまくいかないだろう」と思っても冷静さを失わない。

そして、現実は、そんなに壊滅的ではない。

 

なんとかなると自信ができ、希望が生まれ、

生まれた希望で、力強く歩み始める。

 

余裕のある人は、絶望から入れるので、

希望を見いだせ、余裕をもてる。


(すべて自分で考えたことであり、引用ではありません)



(2520) 私のショート・エッセイ(3) (希望と絶望)

希望から入ると、絶望が生まれる。

希望通りには、物事がはこばない。

強い希望があると、強く絶望する。

 

絶望から入ると、希望が生まれる。

どうせうまくいかないだろうと思っていたが、

実際には思いのほかうまくいき、希望がわいてくる。

(すべて自分で考えたことであり、引用ではありません)


2021年12月27日月曜日

(2519) 私のショート・エッセイ(2) (簡単なこと、難しいこと)

簡単なことをなしとげたとき、人は浅い喜びを感じる。

難しいことをなしとげたとき、人は深い喜びを感じる。

今日も、深い喜びを得るチャンスをいただいている。

 

(すべて自分で考えたことであり、引用ではありません)



2021年12月26日日曜日

(2518) 私のショート・エッセイ(1) (もう少し良くなる明日)

 昨日の私は、ダメだった。

今日の私は、少し良くなれた。

明日の私は、もう少し良くなれるだろう。

 

ダメだった昨日にとらわれる人は、暗くなる。

少し良くなれた今日を喜び、

もう少し良くなる明日を夢見る人は、明るくなる。

 

(すべて自分で考えたことであり、引用ではありません)