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2020年12月13日日曜日

(2182)  ブルデュー『ディスタンクシオン』(2-3) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1323)  特殊詐欺から高齢者を守る <高齢期の安全・安心>

http://kagayakiken.blogspot.com/2020/12/k1323.html

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そうすると、なんとなく、複数の界を貫いて、統一した自己というものができてきます。さまざまに異なりながらもひとつのまとまりのある自己ができ、同じような行為者たちが集まってきてクラスターができる

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第2回  14日放送/ 16日再放送

  タイトル: 趣味という闘争

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

 

【テキストの項目】

(1)  「界」とは何か

(2)   私たちの闘争

(3)   何よりもまず嫌悪なのだ

(4)   象徴闘争のアリーナとしての界

 

(5)   縦軸と横軸の構造

(6)   関係性のなかで生まれる意味

(7)   実存を賭けた闘争

 

(8)   界における相場感覚

(9)   ハビトゥスからのズレがハビトゥスをつくる?

(10)異なる界の異なるポジション

 

【展開】

(1)  「界」とは何か

(2)   私たちの闘争

(3)   何よりもまず嫌悪なのだ

(4)   象徴闘争のアリーナとしての界

(5)   縦軸と横軸の構造

(6)   関係性のなかで生まれる意味

(7)   実存を賭けた闘争

 以上は、既に書きました。

 

(8)   界における相場感覚

 ある音楽作品を理解することは、それが属する音楽界全体でおこなわれているゲームを理解することと同義です。と同時に、あらかじめ界に対する最低限の構えや理解がなければ、個々の音楽作品を理解することはできません。こうして双方向の因果が同時に発生しているわけですが、この「分類すること」と「分類されること」の循環に巻き込まれていくうちに、界における実践感覚や相場感覚が身についていくのです。

 それは明文化されたルールではなく、みんなが身体的に理解していくもので、似たような感覚はどんな界にもあることだと思います。界の中で立ち振る舞うには、必ず界全体の構造や局面に関する実践的な知識が伴うわけです。

 

(9)   ハビトゥスからのズレがハビトゥスをつくる?

 ブルデューは「ハビトゥスの履歴効果」と言っていますが、どういうところをたどってきたかがハビトゥスに反映されるのです。私(=解説者)の場合、日雇い現場の仕事や、その他にもさまざまな経験をしたことで、エリートコースを歩んできた人々とは異なるハビトゥスを持つ社会学者になったと言えるでしょう。私は建築現場で懸命に働きながら、一緒に働く労働者たちの相互行為を参与観察して論文を書き、その後は生活史の聞き取りをライフワークとする社会学者になりました。

 

(10)異なる界の異なるポジション

 上流階級は必ずバッハが好きとは限らないように、趣味は社会階層という縦軸だけで決まるものではありません。社会階層と個人のあいだには、芸術という界、音楽という界が成り立っています。その界の中でバッハはどこに位置づけられるのか。私たちはそのことを実践感覚で捉え、自らを卓越化させるためにバッハを選んでいる(あるいは選ばない)のです。

 趣味嗜好が闘争である理由:

   複数のゲームが同時におこなわれているということ

さまざまな構図に詳しくなることの意味、そして、

私が私になる軌跡――。

 ブルデューが導入した界という概念によって、いろいろなことが見えてくるのです。

 

 

<出典>

岸政彦(2020/12)、ブルデュー『ディスタンクシオン』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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