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(K1313) 専門性のある医師の言葉 読者に響く(2) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/12/k1313-2.html
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ブルデューは社会学のことを「お邪魔な学問」と表現したことがあります。特権を享受している人にとつては明るみに出してほしくないことを、平然と暴くことがある学問だからです。階級格差に対する怒りがありました
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第1回 7日放送/ 9日再放送
タイトル: 私という社会
【テキストの項目】
(1) 好きで選んだはずなのに
(2) 農村の優秀少年、パリへ
(3) まずは実態を知ろう
(4) 先鋭な階級意識
(5) ブルデュー社会学の焦点
(6) 「稲妻の一撃」の否定
(7) 難解な理論と文体
(8) 同じ写真に対する反応の違いはどこから?
(9) 眼は歴史の産物である
(10)ハビトゥスとは何か
(11)普遍的に応用可能な規則
(12)ハビトゥスはどこで構築されるのか
(13)分類し、分類される
【展開】
(1) 好きで選んだはずなのに
自分としては好きで選んでいるはずなのに、列挙してみると、自分の好みはいかにもありきたりで、型にはまっている。パターン通りという感じがします。
なぜ、個人の好みは集めてみるとパターン通りになるのでしょうか。なぜ、さまざまな文化の受け取り方に、ある共通性のようなものが生まれてしまうのでしょうか。その理由を、膨大な調査と強力な理論によって解き明かしたのが、今回紹介する『ディスタンクシオン』という本なのです。
(2) 農村の優秀少年、パリへ
ピユール・ブルデューは、1930年、フランス南西部のダンガン村という農村に生まれました。父親は農家出身の郵便局員でした。学校の成績がずば抜けてよかつたブルデューは、小学校卒業後に親元を離れ、県都ポー市のリセ(高校)に進みます。
1951年、グランゼコール(大学よりもレベルが上で、いうなれば超エリートを輩出するための専門機関)の中でも最難関とされるエコル・ノルマル・シュペリュールに合格し、哲学を専攻するようになります。
1954年にアルジェリア戦争が始まると、翌年、ブルデューも兵役でアルジェリアに赴くことになります。このアルジェリア行きの経験が、ブルデューに決定的な影響を与えました。彼はアルジェリアにおいて哲学から社会学に転向し、社会学者としての研究をスタートさせたのです。
(3) まずは実態を知ろう
フランスからの独立が目指されたアルジェリア戦争は、当時のフランス知識人に大きな衝撃を与えました。哲学者のジャン=ポール・サルトルをはじめとする多くの左派系知識人がアルジェリアの独立を支持し、革命や抵抗を讃えるような文章を書いています。ところが、ブルデューはそこに疑間を持ちました。アルジェリアでは日々凄惨な戦いが繰り広げられているけれど、フランスの知識人たちはアルジェリアの実態をまったく知らずに高みから民衆を支持すると言っているだけではないのか。
アルジェリアに出征したブルデューは、 … アルジェリアの民衆を理想化して語る前に、アルジェリア社会の実態を知ろうと努力し、論文や本を書くことでそれを人びとに知らせようとしたのです。
アルジェリアで5年を過ごしたブルデューは、1960年、パリ大学にポストを得たことを機にフランスに戻ります。その後、 … 1981年、フランスでもつとも権威のある高等教育研究機関コレージュ・ド・フランスの社会学講座教授に選任されます。このポストに選任されることは、その学問分野の最高権威となることを意味します。
(4) 先鋭な階級意識
地方の農村部からパリに出て最高学府の最高権威に上り詰めたブルデューは、パリの上流階級出身でたいした苦労もなく大学に行って大学教授になった人に比べ、階級構造に対する意識を強く持っていました。
ブルデューは、今回紹介する『ディスタンクシオン』などの多数の著作のなかで、私たちが自然だと思っていること、当然だと思っていることが、いかに階級などの社会構造に規定され、条件付けられているかを明らかにしました。
ブルデューは、インテリや上流階級の幻想を解体しつつ、庶民階級に幻想を抱かず、それでもなお希望を捨てませんでした。
以下は、後日書きます。
(5) ブルデュー社会学の焦点
(6) 「稲妻の一撃」の否定
(7) 難解な理論と文体
(8) 同じ写真に対する反応の違いはどこから?
(9) 眼は歴史の産物である
(10)ハビトゥスとは何か
(11)普遍的に応用可能な規則
(12)ハビトゥスはどこで構築されるのか
(13)分類し、分類される
<出典>
岸政彦(2020/12)、ブルデュー『ディスタンクシオン』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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