◆ 最新投稿情報
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(K0335) 認知症を公表した認知症医療第一人者(長谷川和夫医師) <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/03/k0335.html
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4月の「100分de名著」、『法華経』。 Eテレ。
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
今回は、
第1回 2日放送/ 4日再放送 タイトル: 全てのいのちは平等であるの後半
【項目】(番号は、前回からの続き)
(1) 当時の仏教界の様子を描く (P.25 - )
(2) 『法華経』を聞く心構えができる(P.28 - )(3) 弟子たちを突き放す(P.29 - )
(4) 三乗は一仏乗を説くための方便(P.32 - )
(5) パラドジカルな肯定による融合(P.33 - )
(6) 「菩薩のための教え」という掛詞(P.34 - )
(7) 三車火宅の譬え(P.36 - )
ここでは、「三車火宅の譬え」について書く。
動画があったので紹介する。
https://www.youtube.com/watch?v=HFEpyM3apjs
ここから一画面を転載した。
「三車火宅の譬え」
===== 引用はじめ
ある資産家が豪邸に住んでいました。その家の中で子どもたちが遊んでいたとき、家が火事になりました。資産家自身は無事に脱出できたのですが、子どもたちはまだ家の中にいます。家事がいかに危険なものかを知らないため、父親がいくら外から「逃げなさい」と言っても遊びに夢中になって耳を貸そうとしないのです。さて、どうするか。「そうだ、息子たちが日頃から欲しがっているものがあった。おもちゃの羊の車と、鹿の車と、牛の車だ」と資産家は思い出し、それらをあげるから外に出てくるようにと言います。すると子どもたちはわれ先にと飛び出してきました。そして「お父さん、さっき言っていたおもちゃの車をください」と言ったところ、資産家は本物の立派な牛の車を子どもたちに与えました。
===== 引用おわり
<比喩>
家事になった家 … 苦しみに満ちた現実世界
遊びに夢中になっている子どもたち … 刹那主義的な生き方で六道輪廻している衆生資産家 … 如来
おもちゃの鹿の車 … 声聞乗
おもちゃの羊の車 … 独覚乗おもちゃの牛の車 … 菩薩乗
本物の牛の車(大白牛車) … 一仏乗
意味するところを添付の表に示す。
① 声聞乗と独覚乗の目的地は、ブッダではない
② 菩薩乗と一仏乗の目的地は、ブッダである。共通しているが、
③ 菩薩乗は、二乗(声聞と独覚)を除外して菩薩しか乗れない(大乗の差別意識)
一仏乗はあらゆる人を目的地のブッダに至らせることができる。だから、④ 菩薩乗は「玩具の車」であり(声聞乗や独覚乗も玩具)
一仏乗は「本物の車」である
資産家は自分で子どもたちを抱えて連れ出そうと思えばできた。でもそれをやらなかった。ここに仏教の特質が出ている。
ここで釈尊は、超能力や神がかり的な救済を説いたのではなく、方便などの言葉を駆使して、子どもたちの自覚的行動を促したのである。
出典
植木雅俊(2018/4)、『法華経』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)添付図「法華経における三乗と仏乗の比較」は、この本からの転載