2021年4月30日金曜日

(2320)  困っているけれど、怒っていない

 

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(K1461)  「認知症の語り」(001) <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1461-001.html

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☆☆

主観的規範が破られたときに、怒ります。私の主観的規範に反することをしたとき、怒りがこみあげてくるのです。そして、その怒りは、行動せずに心に抱いているだけでも、人間関係を壊してしまいます

☆☆

 

 NHK 連続テレビ小説 「あぐり」の再放送(BS プレミアム 朝7:15 – 7:30)を観ているのですが、主人公のあぐりは、困っているけれど、怒りません。不思議だなと思っていたのですが、やっと謎が解けた気がしました。

 あぐりは、女学生のうちに結婚し、夫の家で同居し、子ができました。しかし、夫(エイスケ)は、東京に行ったまま。舅と、姑は優しいが、自分本位。子育ては、姑がとってしまう。小姑は、実家にしばしば帰り、嘘を言ってまで嫁(あぐり)をいじめます。

 困った顔をするあぐりですが、怒りません。「あぐりに規範がない」というのが、私が考えた理由です。

 「上司は…であるべき」「部下は…であるべき」「夫は…であるべき」「姑は…であるべき」…これが規範です。正確に言うと、主観的な規範が、あぐりにはないのです。世の中に出回っているのが客観的規範、各人が自分の中で勝手に作っているのが主観的規範です。恵まれた家庭に育ち、15歳の女学生のまま嫁いだあぐりは、素直な性格もあって、主観的規範がないまま、子を産んだのです。主観的規範がないあぐりは、起こったことをそのまま受け止め、困ったなと思います。

 ひるがえって私は、主観的規範をたくさんもっています。そして、その規範が破られたときに、怒ります。「友達なら…すべき」という主観的規範があって、その友達(と思っている人)が、私の主観的規範に反することをしたとき、怒りがこみあげてくるのです。そして、その怒りは、行動せずに心に抱いているだけでも、人間関係を壊してしまいます。

 ならば、意識しないままに身に着けてしまった主観的規範を、意識して捨ててしまえば、怒らなくてすむのではないでしょうか。

 それでも、理不尽なことが起こると、感情が高まり、心が揺さぶられます。これを否定してはいけない、この心の高ぶりは、時に攻撃的になるかもしれないが、先に述べた主観的規範から生まれた怒りとは、異質のものです。

 その感情の高まりをぶつけ合い、そして文字通り、泣いたり笑ったりして生きていけばよいのではないでしょうか。この泣きも笑いも、生きている証であり、死ぬまでついてまわり、それはそれでよいのではないでしょうか。

 なんだか、現在進行中の「おちょやん」の世界には入ってきました。

 

添付図は、

https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/90000/443430.html



2021年4月29日木曜日

(2319)  三島由紀夫『金閣寺』(1-1) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1460)  老人力の発見 / 「老人力」(1) <仕上期>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1460-1.html

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☆☆

三島は必ずしも最初から右派だったのではありません。三島の右傾化は、31歳で『金閣寺』を執筆し、10年間にわたる戦後社会への適応の努力を経た後、40代になって一気に変わり、加速してゆきます

☆☆

 

第1回  3日放送/ 5日再放送

  タイトル: 美と劣等感のはざまで

 

 

【テキストの項目】

(1)   戦後社会への接続を目指して

(2)  「絶対性を滅ぼす」という主題

(3)   主人公が抱えた疎外感

(4)   父に植え付けられた<心象の金閣>

(5)   なぜ一人称告白体で書いたのか

(6)   ソナタ形式を持つ作品

 

(7)   女の顔と「切株」

(8)  「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」

(9)   理想的な友人、鶴川の登場

(10) 金閣との「共滅願望」

(11) 頻出する「のぞき」の場面

(12) 現実感覚を持った母の野心

(13) 金閣が象徴するもの

 

【展開】

 

(1)   戦後社会への接続を目指して

 若い三島を評価してデビューのきっかけを作ったのは、日本浪曼派と言われる、戦中の国文学者を中心とした文学グループです。ところが、戦後になると日本浪曼派は、皇国史観に基づいて戦争を賛美した保田らの言動から、全否定されます。日本浪曼派界隈で天才少年扱いをされていた三島は、二十歳にして早くも時代に取り残されてしまうのです。

 『仮面の告白』で復活を果たした三島が、いよいよ作家として勝負を賭けて、自らの代表作を書くという意気込みで取り組んだのが、今回取り上げる『金閣寺』でした。

 

(2)  「絶対性を滅ぼす」という主題

 三島の「創作ノート」を見てみると、冒頭には次のような主題が掲げられています。「美への嫉妬/絶対的なものへの嫉妬/相対性の波にうづもれた男。/「絶対性を滅ぼすこと」/「絶対の探究」のパロディー」。「美への嫉妬」という主題は、林養賢の動機をそのまま引き受けたものです。

 「絶対性を滅ぼすこと」をどのように理解すればよいか。金閣こそが天皇の隠喩なのではないか。金閣を焼くことは絶対性を滅ぼすことであり、戦前戦中に確かに存在していた天皇という絶対性を、この小説をもつて自分の中で否定し、戦後社会を新たに生きていきたい …

 

(3)   主人公が抱えた疎外感

 『金閣寺』の主人公の溝口は体が弱く、運動が不得意で、更に生まれつきの「吃り」のため、社会とのコミュニケーションがうまくいかないという人物です。「醜さ」は、彼の大きなコンプレツクスでした。肉体虚弱という設定は、三島本人と共通するところがあります。

 一方、吃音はモデルの林養賢に出来する設定ですが、三島が最も得意としたのは言語によるコミュニケーションでした。言葉を自由に使えないために疎外されたという設定が、この小説が優れたフィクションへと発展していくきっかけになったと思います。

 

(4)   父に植え付けられた<心象の金閣>

 この小説に於いて、実際に見た金閣は美しかったというところから物語が始まらないのは極めて重要です。自分が心に思い描いた〈心象の金閣〉と、〈現実の金閣〉が合致していないのではないか。このことに溝回は悩み続けることになります。

 もう一つ、冒頭で注目されるのは父親の存在です。『金閣寺』の主人公である溝口の父親は、決して立派な人物ではなく、ただ金閣の美だけにすがり、その中に閉じこもって生きているような人間でした。溝口は、金閣の美に閉じこもるという世界観を受け継いでしまうのです。

 

(5)   なぜ一人称告白体で書いたのか

 三島が一人称で書いた長編小説は、実は『仮面の告白』と『金閣寺』だけです。一人称体では、余計なことを書かなくていい。一人称であれば、時代背景は主人公の主観的な認識の中に収まり、且つ、主人公が感じていることや考えていることをそのまま書けるという利点があります。

 三島は三人称体で書くことを好みましたが、僕(=解説者)は一人称で書く時の三島が一番魅力的だと感じます。表には現れない人間の心理分析が得意で、複雑な思想を抱いていた三島の良さが、最もよく表れていると思うからです。

 

(6)   ソナタ形式を持つ作品

 『金閣寺』はとても級密に構成されていて、まるで音楽のソナタ形式のように、一つの主題が小説の中で繰り返し描かれます。その主題とは、美しい存在が主人公を拒絶し、その存在を主人公が破壊する、というものです。

 溝口は美しい有為子を心象の中では自分のものにできるけれど、現実にアプローチしようとすると、けんもほろろに拒絶されてしまう。この美しい有為子も結局は滅ぼされてしまう。これも、金閣が焼けるという最後の場面の前触れであると言えるでしょう。

 

 以下は、後に書きます。

(7)   女の顔と「切株」

(8)  「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」

(9)   理想的な友人、鶴川の登場

(10) 金閣との「共滅願望」

(11) 頻出する「のぞき」の場面

(12) 現実感覚を持った母の野心

(13) 金閣が象徴するもの

 

<出典>

平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年4月28日水曜日

(2318)  三島由紀夫『金閣寺』(0) / 100分de名著

 

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(K1459)  認知症の人 ワクチン接種の同意 <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1459.html

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☆☆

戦後に三島が抱えた問いと苦悩を追体験することにも大きな意義がある。価値観の大転換が起こった戦後社会に投げ出された三島の苦悩を追体験し、「生きる」という決断に至るプロセスを見ると、示唆を与えてくれる

☆☆

 

100de名著」 三島由紀夫『金閣寺』が、53()から始まります。Eテレ。

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

講師は、平野啓一郎(作家)

 

 

<全4回のシリーズ>  いずれも5

【はじめに】  三島の問いを受け止め直す

 

第1回  3日放送/ 5日再放送

  タイトル: 美と劣等感のはざまで

 

第2回  10日放送/ 12日再放送

  タイトル: 引き裂かれた魂

 

第3回  17日放送/ 19日再放送

  タイトル: 悪はいかに可能か

 

第4回  24日放送/ 26日再放送

  タイトル: 永遠を滅ぼすもの

 

 

【はじめに】  三島の問いを受け止め直す

 三島由紀夫は31歳で『金閣寺』を書き、45歳で自決します。作家として最も充実していたのは30代前半でした。

 この作品は、実際に起こった金閣放火事件に材を取っています。三島は、金閣放火という事件の枠組みを使い、その中で、事件に触発された自身の思想を展開しました。描かれている主人公の内面は非常に暗い。吃音のため実社会とのコミュニケーションがうまくいかず、金閣に象徴される美だけが心のよりどころになっています。

 ところで、三島の衝撃的な死から半世紀が過ぎた今、改めて三島の代表作一全閣寺一を読む意味はどこにあるのでしょうか。一つには、三島が拘り続けた「言葉と現実の合致」の意味を改めて考えるということが挙げられます。

 また、戦後に三島が抱えた問いと苦悩を追体験することにも大きな意義があります。価値観の大転換が起こった戦後社会に投げ出された三島の苦悩を追体験し、「生きる」という決断に至るプロセスを見ることは、僕たちに様々な示唆を与えてくれるに違いありません。

 

<出典>

平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年4月27日火曜日

(2317) 【来月予告】三島由紀夫『金閣寺』。【投稿リスト】渋沢栄一『論語と算盤』 / 100分de名著

 

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(K1458)  (2) 日常的に妻を服従 / 超老老介護の自殺幇助 <老々介護>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1458-2.html

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【来月予告】 三島由紀夫『金閣寺』 / 100de名著

 

20215月号 (100de名著)    テキストは、4月25日発売(NHK出版)

三島由紀夫『金閣寺』。講師:平野啓一郎(作家)

 

 彼が焼いたのは、何か。

 

 若き学僧は、破滅を夢見て金閣に火をつけた――。実際に起きた事件に材を取り、三島が自身の戦中体験を重ねあわせて書き上げた日本近代文学の最高峰。なぜ金閣でなければならないのか。美を破壊する行為が意味するものとは。三島文学に精通する作家・平野啓一郎が、精級かつ大胆に作品の深層へと迫る。

 

 

【投稿リスト】 渋沢栄一『論語と算盤』

公式解説は、

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/108_shibusawa/index.html

 

 

私が書いたのは、

 

(2288)  渋沢栄一『論語と算盤』(0) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/03/2288-0100de.html

 

(2291)  渋沢栄一『論語と算盤』(1-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2291-1-1100de.html

 

(2293)  渋沢栄一『論語と算盤』(1-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2293-1-2100de.html

 

(2297)  渋沢栄一『論語と算盤』(2-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2297-2-1100de.html

 

(2299)  渋沢栄一『論語と算盤』(2-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2299-2-2100de.html

 

(2305)  渋沢栄一『論語と算盤』(3-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2305-3-1100de.html

 

(2306)  渋沢栄一『論語と算盤』(3-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2306-3-2100de.html

 

(2307)  渋沢栄一『論語と算盤』(3-3) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2307-3-3100de.html

 

(2311)  渋沢栄一『論語と算盤』(4-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2311-4-1100de.html

 

(2312)  渋沢栄一『論語と算盤』(4-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2312-4-2100de.html

 

(2314)  渋沢栄一『論語と算盤』(4-3) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2314-4-3100de.html

 

<出典>

守屋淳(2021/4)、渋沢栄一『論語と算盤』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年4月26日月曜日

(2316) 「ある無名兵士の詩」の構造(2)

 

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(K1457)  (1)録音した「ぶら下がりに行くぞ」 / 超老老介護の自殺幇助 <老々介護>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1457-1.html

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☆☆

私が神に求めたものを与えられていたら、私の願いも祈りも叶えられなかっただろう。「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」を授かったからこそ、私は正しい生き方を見出し、その結果として私の願いは聞きどけられた

☆☆

 

前回からの続き

 

 では、

「人生を楽しもうとして あらゆるものを求めたのに

 あらゆることを喜べるようにと 命(人生)を授かった」

とは、何を言おうとしているのか。

 

 一行目は、「私はAになるように神にBを求めたのに」に対応する。Aは「人生を楽しもうとする」私の願いだ。

 二行目の後半「命(人生)を授かった」は、Dに対応する。神から与えられたのは「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」の人生である。それは「あらゆることを喜べる」に直接は結び付かない。「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」そのものを喜べる人は、あまりいないのではないか。

 

 もともと言っていたのは「CであるようにとD(Bと反対のもの)を私に授けた」である。すなわち、Dから得られたものは、C「謙虚を学ぶ」「より良きことをする」「賢明である」「得意にならない(神の手助けを求める)」である。これが得られると何が起こるか。

 

 「心の中に言い表せない祈りはすべて叶えられた」という。これは言い表されていないものであり、Eとする。Aは「人生を楽しもうとして」として得ようとした個人的に願いであった。一方、「謙虚を学ぶ」「より良きことをする」「賢明である」「得意にならない(神の手助けを求める)」は、万人のためになるものであり、「あらゆることを喜べるよう」なものであり、それは、Eであり、祈りである。

 

 Eは「大きなことを成し遂げる」「偉大なことができる」ことであり、「世の人々の称賛を得る」ところとなり、彼(彼女)は「幸せになる」ことができた。すなわち、結果としてAが得られた。すなわち、「願いはすべて聞き届けられた」。

 

 このシリーズ、終わり。

 

<引用>

(2313)  ある無名兵士の詩

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2313.html

(2315) 「ある無名兵士の詩」の構造(1)

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/23151.html






2021年4月25日日曜日

(2315) 「ある無名兵士の詩」の構造(1)

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(K1456)  コロナ禍でも一人で認知症予防の脳トレ <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1456.html

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☆☆

「ある無名兵士の詩」の冒頭、同じパターンが4回繰り返されます。共通するパターンは、「私はAになるように神にBを求めたのに、CであるようにとD(Bと反対のもの)を私に授けた」。その構造を説明します

☆☆

 

 「ある無名兵士の詩」(2313で紹介)の冒頭、同じパターンが4回繰り返されます。

 

===== 引用はじめ

大きなことを成し遂げるために力(強さ)を与えて欲しいと神に求めたのに

謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった。

 

偉大なことができるように健康を求めたのに

より良きことをするようにと 病気をたまわった

 

幸せになろうと富を求めたのに

賢明であるようにと 貧困を授かった

 

世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに

得意にならない(神の手助けを求める)ようにと 失敗を授かった

===== 引用おわり

 

 共通するパターンは、

私はAになるように神にBを求めたのに、

CであるようにとD(Bと反対のもの)を私に授けた。

 

 Bは、「強さ」「健康」「富」「成功」

Dは、「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」

誰もが好むBを求めたのに、与えられたのは誰もが嫌うDだった。

 

 いったい、何が起こっているのか。後半で解き明かされていく。

 

 「求められたものはひとつとして与えられなかったが

 願いはすべて聞き届けられた」

一行目はBDについて語り、二行目はAについて語っている。

 

 Aは、「大きなことを成し遂げる」「偉大なことができる」「幸せになる」「世の人々の称賛を得る」。私はAを得るためにBを求めたのに、神が与えてくれたのは(Bの反対の)Dだった。それでも、私の「願いはすべて聞き届けられた」と思った。それは、DだとCになりその結果Aが得られるからということになる。

 

 Cは「謙虚を学ぶ」「より良きことをする」「賢明である」「得意にならない(神の手助けを求める)」

 

 Aが欲しくてBを求めたが、それは違う。Aを得るためには、Cが必要だ。BではCを失い、(Bとは逆の)DだからこそCを得られるのだ。

 

 これが一般公式で、その4つの具体例を前半で示している。

 

次回に続く。

 

<引用>

(2313)  ある無名兵士の詩

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2313.html



2021年4月24日土曜日

(2314)  渋沢栄一『論語と算盤』(4-3) / 100分de名著

 

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(K1455)  「認知症の語り」(000) <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1455-000.html

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☆☆

『論語と算盤』は、読み手によって、共感する部分や強調したい部分が180度違うということが起こりうる本。どんな立場の人が読んでも、社会を良くするという目標に向かって進む支えになる、懐の深さを持っている

☆☆

 

第4回  26日放送/ 28日再放送

  タイトル: 対極にあるものを両立させる

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)   矛盾を超えるために

(2)  「士魂商才」の核は信用

(3)  「論語」の長所と短所

(4)  「算盤」の長所と短所

(5)  『論語』を大胆に読み換える

(6)   男尊女卑を経済合理性でカバー

(7)  「孝行は、親が子にさせるもの」

(8)   弱者をすくう「思いやりの道」

 

(9)   すべては「志」を全うする手段

(10) 陰陽と太極図

(11) 純粋さだけでは世界は回らない

(12) 今こそ求められる「対極を調和させる」力

 

【展開】

(1)   矛盾を超えるために

(2)  「士魂商才」の核は信用

(3)  「論語」の長所と短所

(4)  「算盤」の長所と短所

(5)  『論語』を大胆に読み換える

(6)   男尊女卑を経済合理性でカバー

(7)  「孝行は、親が子にさせるもの」

(8)   弱者をすくう「思いやりの道」

 以上は、既に書きました。

 

(9)   すべては「志」を全うする手段

 渋沢にとっては、実業界を発展させることも、社会事業をすることも、『論語』も、志を実現させるための手段でしかありませんでした。「論語」も「算盤」も手段。つまり目的達成のための道具に過ぎないからこそ、客観的にその強みと弱みを分析することができ、それを組み合わせてうまくバランスさせる方法を見出し得たのです。

 高い志を持つことは、いつまでも自分を成長させ続ける原動力になるのです。

 最初は小さな志でも、時間をかけて育んでいけば、それを大きな志にすることができるのです。まずは身近なことから志を持ち、それが達成できたらもう少し大きな志を立ててみる。それを繰り返していくことでも、やがて大きな志に至れます。

 

(10) 陰陽と太極図

 「対極にあるものを両立させる」という考え方は、その淵源をたどると中国の伝統的な思考法に行き当たります。分かりやすいのが、陰陽という考え方。陰陽では、世界は陰と陽という対立する要素のバランスによって成り立っていると考えます。円の中に白と黒の勾玉のような形が組み合わされた「太極図」は、その象徴にほかなりません。

 ドラッカーの考え方は、渋沢の発想とまさしく軌を一にしています。自らの与えられた責任を果たすためには、リーダーシップは必要な仕事と捉えるべきであり、向き不向きや才能の問題ではない。そして、優しさと厳しさとは、仕事を果たしていくための道具に過ぎない以上、どう使えば良いのか、その長所と短所を見抜き、足りなければ補うのが当たり前、というのです。

 

(11) 純粋さだけでは世界は回らない

 たとえば、真面目に道徳を守っているけれども、貧しい人がいたとします。純粋に「算盤」の価値観だけで評価するなら、この人は「負け組」ということになります。一方で、私利私欲でビジネスをしているけれども、その事業が結果的に社会の役に立っている人がいたとします。この人を「論語」の価値観だけで判断すれば、「金の亡者」となるでしょう。しかし、そうした一元的な評価では、社会は豊かになれません。

 「論語と算盤」は、全く純粋ではありません。対極にある二つの価値観を混ぜ合わせて、ある意味「不純」にしているからこそ、社会でより多くの人を取りこぼすことなく、抱え込むことができるのです。

 

(12) 今こそ求められる「対極を調和させる」力

 最近、ある立場を取ると、反対の立場の人を切り捨てたり、一方的に非難したりする人が増えていると感じることがあります。特にSNSでは、そうした傾向が顕著です。しかし、その人がどれほど「これは社会のためになる」と信じていることだとしても、 一つの価値観だけで世の中を割り切ってしまうと、社会を良くすることはできませんし、世界を救うこともできません。渋沢栄一の生涯は、そんなことをわれわれに教えてくれています。

 渋沢の人生に学び、対極にある価値を両立させる力をつけ、社会を俯瞰する視点を持つことで、私たちは社会をより良くしていくことができるかもしれません。『論語と算盤』という渋沢の思想を、その大いなるヒントにしてほしいと私は思っています。

 

 

<出典>

守屋淳(2021/4)、渋沢栄一『論語と算盤』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年4月23日金曜日

(2313)  ある無名兵士の詩

 

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(K1454)  認知症に配慮した「リバースモーゲージ」 <認知症><高齢期の家庭経済>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1454.html

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☆☆

筑波大学名誉教授で国際科学振興財団バイオ研究所長の村上和雄(むらかみ・かずお)氏が13日、肺炎のため逝去されました。村上和雄先生の『祈り』という映画(ドキュメンタリー?)の最後に流れた詩の紹介です

☆☆

 

 この詩は、南北戦争の時にケガをした南軍の1人の兵士が病院の壁に書いたと言われており、現在もニューヨークにある物理療法リハビリステーション研究所の受付の壁に、ある無名兵士の詩として刻まれているそうです。

 

【訳文】

===== 引用はじめ

《原詩:ある無名兵士の詩》

 

大きなことを成し遂げるために

力を与えて欲しいと神に求めたのに

謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった。

 

偉大なことができるように健康を求めたのに

より良きことをするようにと 病気をたまわった

 

幸せになろうと富を求めたのに

賢明であるようにと 貧困を授かった

 

世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに

得意にならないようにと 失敗を授かった

 

人生を楽しもうとして あらゆるものを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと 命を授かった

 

求められたものはひとつとして与えられなかったが

願いはすべて聞き届けられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず

心の中に言い表せない祈りはすべて叶えられた

私はあらゆる人の中で 最も豊かに祝福されたのだ

===== 引用おわり

http://www.fukusei.jp/staffblog/%E3%81%82%E3%82%8B%E7%84%A1%E5%90%8D%E5%85%B5%E5%A3%AB%E3%81%AE%E8%A9%A9/

 

 複数のウエブサイトを見て、最もよいと思われる日本語訳と、最も妥当と思われる原文(英語)とを引用しました。サイトにより、原文が少し違います。その結果、原文と訳文は、必ずしも対応していません。

 例えば、原文は”In spite of myself my prayers were answered”ではなく、 Almost despite myself, my unspoken prayers were answered”としているものが多く、ここで示した訳文は後者に対応しています。

 <4/25追記> 訳文「求められたものは」は間違いで、"I asked for"に対する正しい訳は「求めたものは」です。引用したものに誤訳があったのに、気づかず指摘していませんでした。 

【原文】

"The Blessing of Unanswered Prayers"

===== 引用はじめ

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED ( 「悩める人々への銘」 )

 

I asked God for strength that I might achieve

I was made weak that I might learn humbly to obey

 

I asked for health that I might do greater things

I was given infirmity that I might do greater things

 

I asked God for riches that I might be happy

I was given poverty that I might be wise

 

I asked for power that I might have the praise of men

I was given weakness that I might feel the need of God

 

I asked for all things that I might enjoy life.

I was given life that I might enjoy all things

 

I got nothing I asked for but everything I hoped for;

In spite of myself my prayers were answered

I am among all men most richly blest.

===== 引用おわり

https://ameblo.jp/hananokotoba0131/entry-12562077580.html



(2312)  渋沢栄一『論語と算盤』(4-2) / 100分de名著

 

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(K1453)  高齢運転者の癖を分析し事故抑止 <高齢期の安全・安心>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1453.html

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『論語』も、基本的には「理想的な政治家や官僚になるために」という視点で語られている。当然、「良い商人になるために」という視点では語られていない。渋沢は、孔子の言葉を読み換え、商業道徳にフィットさせた

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第4回  26日放送/ 28日再放送

  タイトル: 対極にあるものを両立させる

 

 

【テキストの項目】

(1)   矛盾を超えるために

(2)  「士魂商才」の核は信用

(3)  「論語」の長所と短所

(4)  「算盤」の長所と短所

 

(5)  『論語』を大胆に読み換える

(6)   男尊女卑を経済合理性でカバー

(7)  「孝行は、親が子にさせるもの」

(8)   弱者をすくう「思いやりの道」

 

(9)   すべては「志」を全うする手段

(10) 陰陽と太極図

(11) 純粋さだけでは世界は回らない

(12) 今こそ求められる「対極を調和させる」力

 

【展開】

(1)   矛盾を超えるために

(2)  「士魂商才」の核は信用

(3)  「論語」の長所と短所

(4)  「算盤」の長所と短所

 以上は、既に書きました。

 

(5)  『論語』を大胆に読み換える

 『論語』には「富が追求に値するほどの値打ちを持っているものなら、どんな賤しい仕事についても、それを追求しよう。だが、それほどの値打ちを持たないなら、私は自分の好きな道を進みたい」という一節があります。渋沢は、この孔子の言葉を「孔子は、富を得るためには、賤しい仕事さえ軽蔑しなかつた」と読み換えます。

 政治家や官僚は、税金から給料をもらって、いわば国民から養われている存在。ならば仕事において私利を追求するのではなく、国民全体の利益を追求することこそが、あるべき姿でしょう。しかし、商業の世界は違います。商人は、自分で稼がなければ、誰も給料を払ってくれません。生活できなくなってしまうのです。渋沢は「富の追求には値打ちがない」とは言えませんでした。

 

(6)   男尊女卑を経済合理性でカバー

 「論語」の問題を「算盤」の価値観で補っている三つの例

  男尊女卑

 「女性に対する昔からの馬鹿にした考え方を取り除き、女性にも男性と同じ国民としての才能や知恵、道徳を与え、ともに助け合っていかなければならない。そうすれば、今までは五千万の国民のうち2500万しか役に立たなかったのが、さらに2500万を活用できることになるではないか。これこそ、大いに女性への教育を活発化させなければならない根源的な理屈なのだ。」

 注目すべきは、経済合理性の観点から、女性活用を訴えている点。つまりこの主張は、『論語』の男尊女卑という問題点を、「算盤」に含まれる経済合理性という価値観で除こうとしている。

 

(7)  「孝行は、親が子にさせるもの」

  渋沢は、儒教が重んじている親孝行についても、ちょっと奇妙な持論を展開しています

 「親は自分の気持ち一つで、子供を親孝行にもできるが、逆に親不孝にもしてしまう。自分の思い通りにならない子供をすべて親不孝だと思ったなら、それは大きな間違いなのだ。(中略)孝行は親がさせてくれて初めて子供ができるもの。… 親が子に孝行させるのである。」

  「競争は公益の種」という渋沢の考え方は、『論語』の価値観とは基本的に相容れない

 孔子は、戦乱の世に生まれた人でした。だからこそ争いのない平和な中国をつくり、「和」を実現したいと考えていました。しかし渋沢は、進歩や成長という「算盤」の価値観から、争いにも大いに意味があると説きました。

 

(8)   弱者をすくう「思いやりの道」

 「算盤」の問題を「論語」の価値観で補おうとした例

    競争による優勝劣敗で二極化が進み、弱者切り捨てに繋がってしまいかねない

 身寄りのない子どもや病気で働けない人を支援する養育院事業について:「私は別に彼らを優遇せよといっているのではない。あわれみの情を忘れてはならないといっているのだ。みなさんにはぜひこの良心と思いやりの道を身につけ、現場で実際に行ってもらいたい。」

    ルールに縛られ過ぎたり、権利や義務の主張が行き過ぎてしまい、トラブルや軋轢が生じる

 「資本家は「思いやりの道」によって労働者と向き合い、労働者もまた「思いやりの道」によって資本家と向き合い、両者のかかわる事業の損得は、そもそも共通の前提に立っていることを悟るべきなのだ。」… 日本が高度経済成長を成し遂げた背景の一つ、労使協調の考え方の萌芽。

 

 以下は、後に書きます。

(9)   すべては「志」を全うする手段

(10) 陰陽と太極図

(11) 純粋さだけでは世界は回らない

(12) 今こそ求められる「対極を調和させる」力

 

<出典>

守屋淳(2021/4)、渋沢栄一『論語と算盤』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)