2021年4月26日月曜日

(2316) 「ある無名兵士の詩」の構造(2)

 

◆ 最新投稿情報

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(K1457)  (1)録音した「ぶら下がりに行くぞ」 / 超老老介護の自殺幇助 <老々介護>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1457-1.html

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私が神に求めたものを与えられていたら、私の願いも祈りも叶えられなかっただろう。「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」を授かったからこそ、私は正しい生き方を見出し、その結果として私の願いは聞きどけられた

☆☆

 

前回からの続き

 

 では、

「人生を楽しもうとして あらゆるものを求めたのに

 あらゆることを喜べるようにと 命(人生)を授かった」

とは、何を言おうとしているのか。

 

 一行目は、「私はAになるように神にBを求めたのに」に対応する。Aは「人生を楽しもうとする」私の願いだ。

 二行目の後半「命(人生)を授かった」は、Dに対応する。神から与えられたのは「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」の人生である。それは「あらゆることを喜べる」に直接は結び付かない。「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」そのものを喜べる人は、あまりいないのではないか。

 

 もともと言っていたのは「CであるようにとD(Bと反対のもの)を私に授けた」である。すなわち、Dから得られたものは、C「謙虚を学ぶ」「より良きことをする」「賢明である」「得意にならない(神の手助けを求める)」である。これが得られると何が起こるか。

 

 「心の中に言い表せない祈りはすべて叶えられた」という。これは言い表されていないものであり、Eとする。Aは「人生を楽しもうとして」として得ようとした個人的に願いであった。一方、「謙虚を学ぶ」「より良きことをする」「賢明である」「得意にならない(神の手助けを求める)」は、万人のためになるものであり、「あらゆることを喜べるよう」なものであり、それは、Eであり、祈りである。

 

 Eは「大きなことを成し遂げる」「偉大なことができる」ことであり、「世の人々の称賛を得る」ところとなり、彼(彼女)は「幸せになる」ことができた。すなわち、結果としてAが得られた。すなわち、「願いはすべて聞き届けられた」。

 

 このシリーズ、終わり。

 

<引用>

(2313)  ある無名兵士の詩

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2313.html

(2315) 「ある無名兵士の詩」の構造(1)

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/23151.html






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