2021年2月28日日曜日

(2259)  飛行機は向かい風によって飛び立つ

 

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(K1400) (家計)介護にかかわる費用の悩みも見逃せない(1) <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k14001.html

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“I remember these words I found at Adelaide Airport when I’m struggling with something.”というコメント共に紹介されたヘンリー・フォードの言葉です

☆☆

 

Facebook友達のAi Mutoさんの記事(2/20)から。

===== 引用はじめ

When everything seems to be going against you, remember that the airplane takes off against the wind, not with it. -Henry Ford-

すべてがあなたにとって向かい風のように見えるとき、思い出してほしい。飛行機は追い風ではなく、向かい風によって飛び立つのだということを。(ヘンリー・フォード)

===== 引用おわり

 

 その通りだと思います。私が特に気に入ったのが、“not with it”です。

 

 “with you”という言葉をよく聞きます。「あなたに寄り添って」「あなたと寄り添って」。でも、これではない! と言っています。

 

 順風なら、風に乗っていけば良いのですが、それは「飛ばされている」状態です。逆風ではそれでは飛び立てません。自らが前に進むことにより、揚力を得ます。自らの意志で、自らの努力で、たとえ困難や邪魔があってもそれを乗り越えよう、困難や邪魔を契機に前に進んで飛躍しようという強い意志を“not with it”に感じました

 

 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」(山中幸盛)と言うほど、残念ながら私は強くありませんが、向こうからやってきた「七難八苦」には、逃げたり愚痴を言ったりせず、集中して立ち向かっていきたいし、「七難八苦」がありそうだと言って立ち止まりたくもありません。



2021年2月27日土曜日

(2258)  『100分de災害を考える』(1-2) / 100分de名著

 

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(K1399) 「新老人(60代から80歳代まで)」 / 自立期と仕上期との間にて(14) <自立期~仕上期>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1399608014.html

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関東大震災あとの横浜から鎌倉にかけては「丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、田んぼの中に発展した新開地の新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されてい」たのを寺田は目の当たりにしました

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第1回  1日放送/ 3日再放送

  タイトル: 寺田虎彦『天災と日本人』--「自然」とのつながり

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)   いのちの危機

(2)   開かれた場所で

(3)   文明は災害を鎮圧できるのか

(4)  「私たち」という視点

 

(5)  「忘れる」ということ

(6)   忘却しないために「忘れる」

(7)  「相地術」とは

(8)   慈母の自然、厳父の自然

(9)   涙なき悲しみ

 

【展開】

(1)   いのちの危機

(2)   開かれた場所で

(3)   文明は災害を鎮圧できるのか

(4)  「私たち」という視点

 以上は、既に書きました。

 

(5)  「忘れる」ということ

 災害が深刻になる要因として寺田は、人が過去を忘れることを挙げています。「災害は忘れた頃にやってくる」という一節を聞いたことがある人も多いのではないかと思います。

 なぜ人は、災害を忘れてしまうのでしょうか。それは「可能性」として語られる災害はつねに他人事だからです。「いつか」「そのうち」来るとわかっていても、自分が遭遇することは、ほとんど想像できないのです。

 科学による防災が進むはずだ。私が罹災するはずがない。願望的に未来をとらえる態度は、過去を顧みる眼を曇らせます。私たちが願望的に未来を見ようとすればするほど、自然の本当の姿は見えなくなるのです。

 

(6)   忘却しないために「忘れる」

 もちろん、私たちは「忘れる」ということを別な観点からも考えなくてはなりません。けっして「忘れ得ない」出来事を、心のある場所にそっと置くようにすることをあえて「忘れる」と語ることがあります。大切な人を、あるいは故郷を失う。このことを人が「忘れる」ことなどありません。しかし、それとつねに正面から向き合うのではなく、別なかたちでの「つながり」ができることがあります。

 こうした心のありようを「忘れる」と呼ぶのだとしたら、私たちはそれをどうにかして生み出していかなくてはならない。しかし、この場合、「忘れる」という営みは、けっして忘却しないために行う人生の態度なのではないでしようか。

 

(7)  「相地術」とは

 災害後に現地調査をした寺田は、ある重大な出来事に気がつきます。古い建物が地震に耐えて残り、新しいものほど壊減的な被害を受けているのです。 … 現在は、技術的に可能でさえあれば、山を崩し、水辺を埋め立て、縦横に道を拓いて、人間が建てたいところに、建てたいも

のを、ときに異様な高さで建てています。

 台風や大きな損害、破壊を伴う地震(烈震)が多い日本では、「ここに家を建てると危ない」「あの森を伐ると山津波が起こる」など、それぞれの土地の「相」を見る知恵が培われてきました。しかし、近代化を急いだ日本は、西欧の建築技術や建築様式をやみくもに採り入れ、土着の相地術を非科学的で古くさいものとみなすようになったというのです。

 

(8)   慈母の自然、厳父の自然

 「自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験を我が物として自然の環境に適応するように務めるであろう。前にも述べた通り大自然は慈母であると同時に厳父である。厳父の厳訓に服することは慈母の慈愛に甘えるのと同等に吾々の生活の安寧を保証するために必要なことである。」(「日本人の自然感」)

 第一線の科学者でありながら、科学偏重の罠を説き続けた寺田は、また「人は自然を利用するために解析するのではなく、その声に「従順にな」るために学ぶとき、そこに現代でいう科学とは異なる、新しい「学問」が生まれてこなくてはならない」とも訴えています。

 

(9)   涙なき悲しみ

 人は悲しいときに泣くのではなく、それが溢れたときに泣く。涙を溢れさせることができない状況では、人は泣くことができない。被災者に限らずそういう側面はあると思います。

 悲しい人は、必ずしも泣いているとは限らない。私たちはそのことを忘れてはならないと思います。あまりに苦しく、あまりに悲しいとき、日に見える涙は涸れることがある。

 色々な不仕合わせを主観して苦しんでいる間はなかなか泣けないが、不幸な自分を客観し憐れむ態度がとれるようになって初めて泣くことが許される。

 他者の悲しみに心を寄せることは本当に難しい。しかし、その困難に寄り添っていこうとするところに生まれるのが、私たちを過去と自然とそして他者とつなぐ叡知なのかもしれません。

 

<出典>

若松英輔(2021/3)、『100de災害を考える』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 添付写真は、「寺田寅彦の名言集・格言集」より

https://meigen.keiziban-jp.com/terada_t




2021年2月26日金曜日

(2257)  『100分de災害を考える』(1-1) / 100分de名著

 

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(K1398)  最期まで幸せな気分で <仕上期>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1398.html

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寺田虎彦。一つは物理学者。理化学研究所、航空研究所、地震研究所で、それぞれ研究室を持ち、多彩の研究をほとんど間断なく発表。他の一面は、吉村冬彦(随筆)として、わが国の文学史上に不朽の足跡を止めている

☆☆

 

第1回  1日放送/ 3日再放送

  タイトル: 寺田虎彦『天災と日本人』--「自然」とのつながり

 

 

【テキストの項目】

(1)   いのちの危機

(2)   開かれた場所で

(3)   文明は災害を鎮圧できるのか

(4)  「私たち」という視点

 

(5)  「忘れる」ということ

(6)   忘却しないために「忘れる」

(7)  「相地術」とは

(8)   慈母の自然、厳父の自然

(9)   涙なき悲しみ

 

【展開】

 天災の猛威は、私たちが「自然」とのつながりを、いかになおざりにしてきたかという厳しい現実を突きつけました。近代科学が造りあげてきた建造物はことごとく破壊され、人口が集中する都市部では甚大な被害を生みました。それは、科学を盲信するばかりに、自然の声を聴かなくなってしまったことの帰結ではないか。そう警鐘を鳴らしたのが、科学者であると同時に文学者でもあつた寺田寅彦の『天災と日本人』です。

 

(1)   いのちの危機

 震災は、いつ起こっても突然の出来事です。東日本大震災のあと、「未曾有の災害」あるいは「想定外の事態」という言葉が盛んに飛び交いました。しかし、あの震災は、本当に、未だかつて一度もなかった災害、まったく想像の及ばない事態だったのでしょうか。

 優れた科学者であつたために、寺田は、科学の限界がはっきりと見えていたのだと思います。科学の目は「事実」を認識するのは得意だが、「現実」を認識するのは不得意である。寺田はそのことに気づいていました。それが可能だったのは、彼が「科学者の眼」と「文学者の眼」を併せ持っていたからではないでしょうか。こうした複眼の人は、災害はいつも、二つとない「いのち」の危機であることを決して見過ごすことがないのです。

 

(2)   開かれた場所で

 今回ご紹介する『天災と日本人』は、そんな寺田が発表した随筆のなかから、災害に関するものを集めた一冊です。ここでの「日本人」という表現には少し注意が必要かもしれません。寺田は狭い意味での日本主義を意図して語ってはいないからです。

 災害という試練を超えて生きる、そのために私たちは、真の意味で「世界人類の健全な進歩」という普遍的な場所に開かれた存在として生きていかなくてはなりません。自国の文化を愛することと、他者に向かって開かれていくという態度は矛盾しません。

 

(3)   文明は災害を鎮圧できるのか

 ここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。

 現代に生きている私たちは、文明が発展すればするほど、自然災害への備えも万全となり、かつてのような惨事は避けられると考えがちです。治水技術によって大水を手なずけ、治山を進めれば土砂崩れは防ぐことができると思っている。しかし、実際はどうでしょう。たとえば近年頻発する集中豪雨では、河川の氾濫や土砂災害による被害が大きくなっています。別の言い方をすれば、私たちはどんどん災害に弱くなっている。

 文明の進化を妄信している人間自身が、災害が大きくなる、その原因を作っているのだ。

 

(4)  「私たち」という視点

 寺田の慧眼は、災害を個々人の生活の影響においてだけでなく、「共同体の脅威」としてとらえた点にもあります。災害は個人にだけ起こるわけではない。それは「私」を超えた「私たち」の次元でも生起するのです。

 現代の言葉でいえば「ライフライン」が崩壊する、というのです。ひとたび大きな自然災害が発生すると、交通網は寸断され、広範な一帯が停電し、携帯電話やインターネットが使えなくなります。 … 新型コロナウイルス感染症は、まさしく共同体に対する脅威です。収束の鍵を握るのは、一人ひとりが「私たち」の意識を広げ、考え、「私たち」として行動できるかに尽きるのではないでしようか。

 

 以下は、後に書きます。

(5)  「忘れる」ということ

(6)   忘却しないために「忘れる」

(7)  「相地術」とは

(8)   慈母の自然、厳父の自然

(9)   涙なき悲しみ

 

<出典>

若松英輔(2021/3)、『100de災害を考える』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年2月25日木曜日

(2256)  『100分de災害を考える』(0) / 100分de名著

 

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(K1397)  健康の鍵握る「腎臓」 <体の健康>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1397.html

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100de名著」 『100de災害を考える』が、31()から始まります。Eテレ。

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

講師は、若松英輔(批評家、東京工業大学教授)

 

 

<全4回のシリーズ>  いずれも3

【はじめに】  危機の時代を生きるために

 

第1回  1日放送/ 3日再放送

  タイトル: 寺田虎彦『天災と日本人』--「自然」とのつながり

 

第2回  8日放送/ 10日再放送

  タイトル: 柳田国生『先祖の話』--「死者」とのつながり

 

第3回  15日放送/ 17日再放送

  タイトル: セネカ『生の短さについて』--「時」とのつながり

 

第4回  22日放送/ 24日再放送

  タイトル: 池田晶子『14歳からの哲学』--「自己」とのつながり

 

 

【はじめに】  危機の時代を生きるために

 2011311日、大地震と巨大津波が東日本一帯を襲い、多くの人びとのいのちを、日常と故郷を奪いました。災害が私たちに突きつけたのは何だったのか。そのことをあらためて考えるために、今回は4冊の名著を読んでいきます。著者もテーマも異なりますが、いずれも私たちが見失っていたものを想い出すための扉となる作品です。そして、この四冊を読み解いていく、鍵となる言葉は「つながり」です。

 今回取り上げる四冊は、それぞれ「自然」「死者」「時」「自分/自己」とのつながりを回復する道を照らしてくれます。その光の先で、互いに「いのち」を愛しむとはどのようなことなのかも、皆さんと一緒に考えてみたいと思っています。

 

<出典>

若松英輔(2021/3)、『100de災害を考える』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年2月24日水曜日

(2255)  (3)「人権」の観点から/「森元首相たたき」に思う

 

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(K1396)  必要だが入院できない / 介護施設や高齢者施設での介護クラスター(3) <高齢期の安全・安心>

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「女性蔑視」、「男女差別」と言っているが、真剣に人権を守ろうとしているのか。人権を単なる政治的な手段として用いて自分たちの主張を押し通そうとしているのか。どちらなのかは、間もなく明らかになるだろう

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 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性に関する発言について、マスコミや国会が執拗に取り上げてきた。その観点は、「女性蔑視」、「男女差別」である。でも、本当に彼らは、人権を真剣に擁護しようとしているのだろうか。

 彼らが、真剣に人権を守ろうとしているのか、それとも、人権を単なる政治的な手段として用いて自分たちの主張を押し通そうとしているのか、どちらなのかは、間もなく明らかになるだろう。もし、後者なら、彼らは、人権を愚弄する、反人権主義者だということになる。

 

 最近、気になっているのが、中国の動向である。これが彼らにとって、試金石になり、真実を暴く鏡にもなるだろう。

 

 中国のウイグル、香港、チベットで甚だしい人権侵害が起こっている。中国およびその属国を除き、強くその人権侵害を強く非難している。これに対して、「女性蔑視」「男女差別」だと言い募っている人たちは、どう反応するのだろうか。

 いや、日本の「女性蔑視」「男女差別」と中国の「ウイグルや香港などの人権問題」は違うと言うのだろうか。もしそうなら、彼らの「女性蔑視」「男女差別」の主張は、どこから来ているのだろうか。「人権擁護」の思想の無い「女性蔑視」「男女差別」は、その根拠を失う。

 ここまで言うのは、今主張されている「女性蔑視」「男女差別」が、人権ではなく、政治的な思惑から出ているのではないかと、私は疑っているからである。人権問題を政治的に利用すると、人権擁護の精神全体が大きく傷つき、人権運動そのものが怪しげなものになってしまう。

 

 私の懸念が杞憂に過ぎないかどうかは、彼らの行動で明らかになっていくだろう。

 

 「東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言に抗議するため、野党議員約20人は9日、白い服装で衆院本会議や予算委員会などに出席した」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/85010

 

 とりわけ、この国会議員の白いスーツの方々の今後の言動に注目したい。是非、中国の人権擁護にも力を入れて欲しい。オリンピック東京大会だけではなく、オリンピック中国大会においても、圧力をかけ、ウイグルや香港の人たちを守ろうとして欲しい。

 アメリカでは「中国オリンピック開催権、剥奪されるか?…米委員ら決議案を提出」という動きもある。政局の為に人権を利用しようとするのか、人権の為に政治的に動こうとするのか、真逆である(中国は、オリンピックの政治利用と言うかもしれないが、これは別の問題である)。

https://news.yahoo.co.jp/articles/126c268d7320d7a54d78460abacbc93c57525fe0

 

 ご自身においても、人権擁護者か、政治的思惑だけで動いている、実は反人権養護者なのかが明らかになってしまう、大切なときだと思う。人権を声高に主張する人が、人権をないがしろにするのは奇妙だ。

 

 もう一つ。森元会長の人権は、全く考慮されていないのも気になっている。「私が嫌いな人の人権は守らなくてよい」と思っているとしか考えられない。この当たりも、真の人権擁護者であることを言動で示してほしい。

 

===== 引用はじめ

 欧州連合(EU)や英、オーストラリア、カナダなど西側諸国は25日、国連人権理事会で中国に対し、香港の基本的な法的権利を回復するとともに、100万人以上のウイグル人が拘束されている新疆ウイグル自治区での調査を受け入れるよう要求した。

 英国は、香港国家安全維持法(国安法)が「反対意見の排除という明白な意図を持って実施されている」と指摘。一部の事例について中国本土での訴追が認められており、司法の独立性や法的手続き、拷問の報告などが憂慮されると述べた。

 ドイツはEUを代表して発言し、新疆ウイグル自治区における「政治的再教育収容所の大規模なネットワークの存在、広範囲に及ぶ監視、ウイグル人など少数民族の宗教や信仰の自由に対する体系的な制限」に懸念を表明した。

 これに対し、中国側は、西側の主張は「根拠がない」と否定した上で、中国はウイグル人を虐待しておらず、収容所では職業訓練を行っており、過激派との闘いに必要だと強調した。

===== 引用おわり

ニューズウィーク日本語版

国連理事会、西側諸国が中国非難 香港・ウイグル問題で改善要求

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/09/post-94543.php

 

 このシリーズ、終わり。




2021年2月23日火曜日

(2254)  (2)「マスコミ」の観点から/「森元首相たたき」に思う

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(K1395)  終活期の「学び」 <自立期>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1395.html

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日本をミスリードしている(と私は思っている)マスコミについて。(1)多くの大新聞、週刊誌など。(2)テレビ、特にワイドショウ的番組。(3)YouTubeTwitterなど私的メディアによる言論統制

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 「森元首相たたき」を煽り立てているマスコミ、日本をミスリードしている(と私は思っている)マスコミについて。

(1) 多くの大新聞、週刊誌など

(2) テレビ、特にワイドショウ的番組

そして、最近顕著になってきたのが、

(3) YouTubeTwitterなど私的メディアによる言論統制

 

 上記(1)(2)をくくって「マスコミA」とよぶことにする。ここでいうマスコミAに該当しないマスコミもあるので、マスコミの一部(と言っても大部分だが)であることを明確にしたいための命名。また、新聞購読やワイドショウ視聴などのみから情報を得ている人を「大衆A」と呼ぶことにする。インターネットを使えない団塊世代以上と、主婦層に多いのではないか。例えば、インターネットを駆使している若者の多くは当てはまらない。当てはまらない人を「大衆B」ということにする。

 

(a) マスコミA vs 大衆A

(a-1) マスコミAは、プロパガンダ(宣伝。特に、特定の主義・思想についての(政治的な)宣伝)により、自分達の趣旨に沿った情報を、大量、一方的に大衆Aに流し込み、自分達の趣旨に沿った「世論」の形成を図る

(a-2) 大衆Aの中から、自分達の趣旨に沿った意見を大々的に取り上げることにより「これが世論だ」という主張を垂れ流す

 

(b) マスコミA vs 大衆B

(b-1) 大衆Bの中には、マスコミAの主張に異を唱える人もいる。その人へは、「((a)によって形成した)世論に反する」と、徹底的に攻撃する

(b-2) マスコミAは「報道しない自由」(国民の知る権利のために報道機関が有する報道の自由に対して、時には報道機関が報道しないことによって国民に知らせないことも自由になってしまうという危険性を示す用語である)を行使し、意に反する大衆Bの意見を封じ込める

 

 「森元首相たたき」報道では、まさにこういうことが起こっていると思う。

 

 「全体主義」とは、「全体の利益を第一とし、個人の価値は全体に奉仕する点でだけ認める(政治上の)主義」を指す。この「全体の利益」を「私の利益」に置き換えたものを、私の造語だが、「私的全体主義」と呼ぶことにすると、マスコミAは、独善により、私的全体主義に邁進しようとしているように、私には見える。無用なというより更に言うと有害なマスコミAは、無くなる方がよいのではないか。「正義を守る」と口で言っても、言行不一致ではしかたがない。

 

 主要全国紙の朝刊販売部数は、着実に減っている。

https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20191003-00145036/

勿論、インターネットの普及や人口減の影響もあるだろう。しかし、マスコミがその使命を果たしていたら、逆に増えても良いとも思う。インターネットでは、できないこともある。



2021年2月22日月曜日

(2253) 【来月予告】『100分de災害を考える』。【投稿リスト】フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』 / 100分de名著

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(K1394)  難しさ / 介護施設や高齢者施設での介護クラスター(2) <高齢期の安全・安心>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1394-2.html

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【来月予告】 『100de災害を考える』 / 100de名著

 

20213月号 (100de名著)    テキストは、2月22日発売予定(NHK出版)

100de災害を考える』。講師:若松英輔(批評家、東京工業大学教授)

 

災禍に向き合い、乗り越えるために

 

大震災、台風、豪雨、そして感染症――。災害が相次ぐこの国で、私たちに求められている知恵とはなんだろうか。寺田寅彦『天災と日本人』、柳田国男『先祖の話』、セネカ『生の短さについて』、池田晶子『14歳からの哲学』の4冊から、自然・死者・時間・自分との「つながり」を考える。

 

 

【投稿リスト】 フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』

公式解説は、

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/106_fanon/index.html

 

私が書いたのは、

 

(2226)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(0) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/01/2226-0100de.html

 

(2228)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(1-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/01/2228-1-1100de.html

 

(2230)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(1-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/01/2230-1-2100de.html

 

(2235)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(2-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/02/2235-2-1100de.html

 

(2237)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(2-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/02/2237-2-2100de.html

 

(2242)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(3-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/02/2242-3-1100de.html

 

(2244)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(3-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/02/2244-3-2100de.html

 

(2249)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(4-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/02/2249-4-1100de.html

 

(2251)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(4-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/02/2251-4-2100de.html

 

<出典>

小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



(2252)  (1)「3つの評価」「いじめ」の観点から/「森元首相たたき」に思う

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(K1393)  個人Blog 2月中旬リスト <サイト紹介>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1393-blog-2.html

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☆☆

①許せない女性蔑視、男女差別②問題発言だが、騒ぐほどのものではない③よく読むと女性蔑視だとは受け取れない―の3つの見方があり、発言の締めくくりの部分から、女性を称揚しているのではないかとの見解もある

☆☆

 

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性に関する発言について、マスコミや国会が執拗に取り上げてきた。

 

 発端となった森氏の発言に対する評価は、SNS上では分かれている。大別すると

  許せない女性蔑視、男女差別

  問題発言だが、騒ぐほどのものではない

  よく読むと女性蔑視だとは受け取れない

3つの見方があり、発言の締めくくりに当たる部分から、

  女性を称揚しているのではないか

との見解もある。

 

 私の感覚では世間一般では②・③の意見の人か多いように感じているが、マスコミを読んだり国会の議論を聞いていると、日本全体が①一色のように感じられる。何故、このような歪な姿になってしまったのだろうか。

 

 私のように社会的な影響力の無い人ならお目こぼしいただけるだろうが、著名な人が②③を唱えると、女性を蔑視していると袋叩きになるのは、十分予想される。だから、良識ある人々の声は、聞こえてこないのではないか。

 

 これは、いじめの構造に他ならない。いじめの場面には、三種類の人がいると言われている。

(a) いじめる人

(b) いじめられる人

(c) 周囲で傍観している人

 周囲で傍観している理由の一つは、不用意に首を突っ込むと、自分がいじめられる人になってしまう恐れがあることだ。

 

 「いじめは、いけません」と普段は説いているマスコミが、先頭を切っていじめの構造を作っている、という皮肉な現象が起こっている。

 

===== 引用はじめ

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性に関する発言をめぐる日本社会、特にマスコミや国会の狂騒について ‥ 森氏が謝罪したにもかかわらず、際限なくたたく姿はまるで集団リンチかいじめのようで、 …

 発端となった森氏の発言に対する評価は、SNS上では分かれている。大別すると①許せない女性蔑視、男女差別②問題発言だが、騒ぐほどのものではない③よく読むと女性蔑視だとは受け取れない―の3つの見方があり、発言の締めくくりに当たる次の部分から、女性を称揚しているのではないかとの見解もある。

 「私どもの組織委員会にも女性は7人ぐらいいますが、みんなわきまえておられます。お話もきちんとした的を射たものが集約されて非常に役に立っています。欠員があると、すぐ女性を選ぼうということになるわけです」

 ところが、マスコミに登場する意見はほぼ森発言は女性蔑視、男女差別と決めつけたものばかりである。それどころか、「心得る」を意味する「わきまえる」という表現を使ったことすら女性蔑視の表れであるかのように非難されている。

===== 引用おわり

森元首相たたきの政治的思惑

【阿比留瑠比の極言御免】産経新聞(2021/02/22)

https://special.sankei.com/a/column/article/20210211/0001.html

会員記事(有料)



2021年2月21日日曜日

(2251)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(4-2) / 100分de名著

 

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(K1392)  起こったこと / 介護施設や高齢者施設での介護クラスター(1) <高齢期の安全・安心>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1392-1.html

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差別が存在するのなら、差別にさらされた人々の苦しみを理解するために、その社会の構造を理解しなければなりません。そしてその差別のメヵニズムが理解されたのなら、その構造を変革すべく行動しなければならない

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第4回  22日放送/ 24日再放送

  タイトル: 疎外からの解放を求めて

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

 

【テキストの項目】

(1)  「劣等コンプレックス」という偏見

(2)   自由と可能性を奪われて

(3)   社会構造が心身に与える影響

(4)  「北アフリカ症候群」

(5)  「わが事」として考える

 

(6)   患者の尊厳を回復する療法

(7)   看過は差別への加担

(8)   理想と現実とのはざまで

(9)   ファノンの残したい問い

 

【展開】

(1)  「劣等コンプレックス」という偏見

(2)   自由と可能性を奪われて

(3)   社会構造が心身に与える影響

(4)  「北アフリカ症候群」

(5)  「わが事」として考える

 以上は、既に書きました。

 

(6)   患者の尊厳を回復する療法

 ファノンが新たな勤務地として選んだのが、フランスの南部にあるサンタルバンの精神病院でした。サンタルバン精神病院で実践していたのが、「制度的精神療法」です。それは、精神病患者を社会的・制度的な文脈との連関において捉え、同時に社会的な現実が個々人に与える影響を重視しつつ、制度そのものを分析するところに特徴があります。

 また、サンタルバンでは集団作業療法が重視されていました。従来の治療法においては孤立させられていた精神病患者たちが社会的な絆を取り戻し、患者がみずから他者との社会的な相互関係を築いていくことが目指されたのです。何よりも患者たちの人間性を、その尊厳を大切にします。元々ファノンにあったそのような考え方が、強い確信へと変わったのではないでしょうか。

 

(7)   看過は差別への加担

 アラブ人であれ、ユダヤ人であれ、黒人であれ、人間に対してなされる差別はすべて、一人の人間である自分に対してなされた差別であり、それを見過ごすことは、自分自身が差別に加担していることになり、同時に自分のなかの人間を否定することになる。「人間の尊厳と自由が問題になるときはいつでも、それは僕たちすべての問題であって、肌の色が白だろうが黒だろうが黄色だろうが関係ない。人間の尊厳と自由が脅かされているのなら、それがどこであろうが、僕は断固として戦う」と語ったという高校生のときから、ファノンの信念はまったく変わっていません。

 

(8)   理想と現実とのはざまで

 燃えるような理想主義と醒めた現実主義がファノンのなかには同居しています。ファノンは白人たちに過去の償いを求めません。彼の視線が向けられているのは、人種差別が消え、たがいの普遍的な人間性とそれぞれの差異を尊重しあう人間だけが存在するような世界です。だからこそ、ファノンは叫ばずにはいられないのです――「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」。

 なるほど、ファノンは自人も黒人もない普遍的な人間だけが存在する未来を夢みていたのかもしれません。しかしファノンという人の、身近にいる他者、それも虐げられ辱められ、踏みにじられた人々に対する強い共感の力は、そうした差別をみずからの肌身、みずからの臓腑を通して感じないではいられなかったのです。

 

(9)   ファノンの残したい問い

 シャモワゾーは「関係性の木」と呼んでいます。それは、ただ一つの根を持つ樹木として思い描かれるようなアイデンティティではありません。

 僕たちの一人ひとりが故郷以外のさまざまな他の土地と出会いながら、自分にとってもっともふさわしいと思う場所を、それもいくつもの場所を、「故郷」と感じることのできるような、変化と多様性に開かれた柔軟なアイデンティティなのです。それこそが現代のように全世界がさまざまな関係性の網の目で結ばれた世界においてあるべきアイデンティティのあり方である。

 どうすれば人間に真の解放がもたらされるのか。ファノンは問い続けます。僕たちが問うことを止めたとき、世界は後退してしまいます。

 

 

<出典>

小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)