2018年6月30日土曜日

(1285) 「誕生日おめでとう」メッセージ

 
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(K0426)  3つのタイプ別 尿漏れ改善 / 軽い尿漏れ対策(2) <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0426-2.html
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 「お誕生日メッセージ」(Facebook)、ありがとうございました。
 あらためて「お誕生日おめでとう」とは何なのか、考えてみました。
 

(1) 謹賀新歳 versus謹賀新年
(2) 御縁を大切に
(3) 歳を重ねる versus 年を重ねる
(4) お誕生日ありがとう versus お誕生日おめでとう
 

【展開】

(1) 謹賀新歳 versus謹賀新年

 Facebook友達の鈴木 麻理さんから「新しい歳もお元気で」というメッセージをいただいた。
 「新しい年」は1月1日から始まるけれど、「新しい歳」は誕生日から始まるのだ。「あなたは何歳」ですかという問への答えが変わるのは、お誕生日なのだから。なるほど。
 1月1日に送るメッセージが「謹賀新年」なら、お誕生日に送るメッセージは「謹賀新歳」となる。これをわかりやすい日本語にすると「お誕生日おめでとう」になる。
 

(2) 御縁を大切に

 何十年も会いも関わりもしていないのに、続いている年賀状がある。それは縁を大切にしたいからだろう。
 Facebook友達の竹中 文男さんは「このご縁に感謝!」という言葉をよく使われる。「このご縁に感謝し、大切にしていきたい」という心を、相手の誕生日に送るとき「お誕生日おめでとう」という言葉に凝縮される。
 

(3) 歳を重ねる versus 年を重ねる

 1月1日から始まるのが年であり、お誕生日から始まるのが歳だとするなら、年は私の外にあり、歳は私の内にある。私がいようがいまいが年は重なっていくが、私がいるからこそ歳が重なっていく。歳は、私そのものでもある。
 その節目に当たり送る言葉が「お誕生日おめでとう」なら、それは相手のかけがえのない歳のあらたなスタートに当たってのお祝いの言葉でもある。

 ちなみに「歳末」「お歳暮」の歳は1月1日(年)を現す。正確にいうと、歳は二つの意味をもつ。ここでいう歳は、年でない方のみを指す。
 

(4) お誕生日ありがとう versus お誕生日おめでとう

 親は、こどもの誕生日に「お誕生日おめでとう」と言う。それには「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちがこもっているのではないか。では子どもは、それをどう受け止めればよいか。成人になった子供が親に対して言う言葉は「お誕生日ありがとう」ではないだろうか。そこにこめる気持ちは「生んでくれてありがとう」である。
 このかけがいのない自分がこの世に現れたのが誕生。それを記念する誕生日は、無条件に「お誕生日おめでとう」だろう。
 



 ここまでは、一般論です。

 こんなことを考えて「お誕生日おめでとう」メッセージを送ってくれた人は、いないのではないでしょうか。いても少しだと思います。
 それぞれの想いをこめて「お誕生日おめでとう」と送っていただいた。共通するのは、好意であり、思いやる心だと感謝しています。
 


 体に気をつけながら、充実した歳にしていきたいと思います。
 まとめてで恐縮ですが、メッセージをいただき、ありがとうございました。
 


<過去の関連投稿>

(1261) 「90歳。何がめでたい」
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/1261.html

2018年6月29日金曜日

(1284)  コンプレックス / 河合隼雄スペシャル(1-1) / 100分de名著

 
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(K0425) 見つけた課題、行政任せにせず / NPOで社会を変える(2) <システムの構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k04252.html
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第1回  2日放送/ 4日再放送

  タイトル: こころの問題に寄り添う
 


【第1回の目次】

(1)     入門書を超えた心理学の金字塔
(2)     悩める人と「HOW」ではなく「WHY」を探る
(3)     ユングのタイプ論で知る「隠れた自分」
(4)     無意識は意識を補償する
(5)     あなたは思考型、それとも感情型?
(6)     心理機能の相補性

(7)    「コンプレックス」は克服できるか
(8)     コンプレックスとの「対決」

(9)     人間の心に潜む二つの「無意識」
(10)   普遍的無意識と「元型」
(11)   認めがたい自分の中の「影」
(12)  「影」と日本人の心
 

 えっ? こんなに詰め込むの? とびっくりです。4回(100分)全部をこれに充てても、消化不良になりそうです。絞り込んで書きます。
 


【項目】 今回の投稿は、(7)(8) 「コンプレックス」

A)   コンプレックスは、建設的なものになりえる
B)   言語連想実験に関する著作の中で、コンプレックスの概念が現れた
C)   コンプレックスは、自我の存在そのものを脅かす
D)   自分を守ろうとする「投影」は、コンプレックスを解消するチャンスでもある
E)   コンプレックスを自我の中に統合し、エネルギーを建設的な方向へ
 


【展開】

A)   コンプレックスは、建設的なものになりえる

 コンプレックスは「努力によって自我のなかに統合されるときは、むしろ建設的なものになる」といいます。
 

B)   言語連想実験に関する著作の中で、コンプレックスの概念が現れた

 このコンプレックスという言葉を、現在私たちが用いているような意味で使い始めたのはユングです。言語連想実験に関する著作の中で、ユングは「感情によって色づけられたコンプレックス」という言葉を用い、その後これを略して「コンプレックス」と呼ぶようになりました。
 言語連想実験とは(添付図参照)、ごく簡単にいうと「頭」「緑」「水」「歌う」「死」といった単語を聞いて、そこから連想されるものを素早く答えていくものです。一通り終えた後に、「もう一度繰り返しますので、前と同じことをいってください」と再検査します。
 単語によっては反応にかなりの時間を要したり、再検査で同じことをいえなくなったりします。こうした反応の背景には、連想を妨害する情動的要因――つまり心の乱れがあり、心を乱す言葉が「死」「別離」「悲しい」など一つのまとまりをなしていることから、ユングはこれを複合体=コンプレックスと名づけました。
 コンプレックスは「無意識内に存在して、何らかの感情によって結ばれている心的内容の集まり」であり、それは「統合性をもつ自我の働きを乱すものです」。
 

C)   コンプレックスは、自我の存在そのものを脅かす

 無意識内のコンプレックスが強くなっていくと、意識の中心にある自我(添付図参照)に干渉してその動きを乱し、さらには自我の存在そのものを脅かすようにもなると著者は指摘します。その最たるものが二重人格(解離性障害)の現象で、これはいわば「自我がその王座をコンプレックスに乗取られたような状態」といえます。
 なぜ、そんなことが起こるのか。それは、コンプレックスが「ある程度の自律性をもち、自我の統制に服さない」からです。その意味で、コンプレックスとは自分の中にいる他人のようなものなのです。
 

D)   自分を守ろうとする「投影」は、コンプレックスを解消するチャンスでもある

 そのようなコンプレックスから自分を守ろうとして自我は様々な防衛方法を探りますが、その中で重要なものとして、著者は「投影」を挙げています。これは自分のコンプレックスから目を背け、それを他人に投影することで自我の安全を図るというものです。つまり自分の中の他人であるコンプレックスを文字通りの他者に押し付けてしまうわけなのです。
 厄介なものではありますが、投影はコンプレックスを解消するチャンスでもあります。「あいつは――」と思っていたことが、実は他人の中に見出した自分自身のコンプレックスであると気づき、それと対峙することができれば、コンプレックスとうまく付き合っていく方法を会得し、それまで敵対していた人と、良きライバルとしての建設的な関係を築いていくことも可能だと著者は説いています。これが「投影のひきもどし」と呼ばれるものです。
 

E)   コンプレックスを自我の中に統合し、エネルギーを建設的な方向へ

 悩んでいる時より、悩みを解消していく過程のほうがつらい――といわれると、ひるむ人もあるかもしれません。しかしそこを乗り越え、コンプレックスを自我の中に統合していくことができれば、コンプレックスに鬱積していた心のエネルギーは建設的な方向へと向けられることになります。
 大切なのは、具体的にどのようにコンプレックスと対決していくかでしょう。著者は、現実の人間関係の中で、ときに他者と火花を散らし、つらい思いもしながら「コンプレックスを生きてみる」ことが肝要だと指摘しています。
 


出典

河合俊雄(2018/7)、河合隼雄スペシャル、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付写真は、この本からの転載



2018年6月28日木曜日

(1283) 「尊厳」「尊厳死」とは? 「尊厳死」の「尊厳」でよいのか

 
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=====    内容は、この投稿と同じ
(K0424) 「尊厳」「尊厳死」とは? 「尊厳死」の「尊厳」でよいのか <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0424.html
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 最近、「尊厳死」という言葉をよく聞く。「尊厳」と聞くと「尊厳死」を思い浮かべてしまう。
 
 多分、一番オーソドックスな定義を、下に示す。

===== 引用はじめ
 尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。本人意思は健全な判断のもとでなされることが大切で、尊厳死は自己決定により受け入れた自然死と同じ意味と考えています。
===== 引用おわり
日本尊厳死協会
www.songenshi-kyokai.com/question_and_answer.html
 

 言っていることは分かるが、そもそも「尊厳」というのは、そういうものなのだろうか。定義では、死に方から始め、その死に方に「尊厳」という言葉を使っている。「尊厳死」という言葉を作って、そう定義するのは自由だが、「尊厳」はそういうものではないのではないか。
 


 曽野綾子さんが、尊厳に関連して次のように書いている。
 
===== 引用はじめ
 聖書の中で私の好きな言葉は「受けるより与える方が幸いである」(『使徒言行録』2035節)という箇所だ。これは人間の尊厳と密接な関係がある。現実の問題として、人は他人から与えられる時も嬉しいが、人に与えた時も嬉しいものなのだ。
 もっともその機能が狂っている人もいる。最近の若い人は「受けるのが権利」というふうにしか考えない。与えたら損になると思っている。同様に年寄りにも強欲な人が出てきて、親戚や社会からもらって当然という顔をする人もいる。

 … 別に与えられない人は一人前になれないとは言わないが、少なくとも他人からどんなに世話を受けても、感謝を忘れなければ、相手に満足や嬉しさを贈るという形で与えている。それが成熟した人間の姿勢だと思うのだが。
===== 引用おわり
 
 
 これは「尊厳生」について述べているのではないだろうか。どのようにしたら、尊厳をもって生きられるか。曽野さんのは一つの答えで、価値観はいろいろだから、別の答えもありえる。
 
 いずれにせよ、「尊厳死」を考える前に、「尊厳生」を考えたい。そして自分の信じる「尊厳生」を死ぬ直前まで大切にして生ききる。私は、そこで「尊厳死」を迎えたのだと言いたい。
 
 延命処置を受けながら、子や孫のことを想い、彼らの幸せを祈りながら死んでいく。それも、本来の「尊厳」を成就する、立派な「尊厳死」だと、私は思う。
 


<出典>
曽野綾子、感謝を示すだけでも役に立てる
【透明な歳月の光】804 受けることと与える事  産経新聞(2018/06/20)

2018年6月27日水曜日

(1282)  こころの物語を読み解く/ 河合隼雄スペシャル(0) / 100分de名著

 
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(K0423)  尿漏れの3つのタイプ / 軽い尿漏れ対策(1) <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0423-1.html
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100de名著」、河合隼雄スペシャルが、7月2日()から始まる。Eテレ。

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 

<全4回のシリーズ>  いずれも7月

はじめに  こころの物語を読み解く

第1回  2日放送/ 4日再放送
  タイトル: こころの問題に寄り添う

第2回  9日放送/11日再放送
  タイトル: 人間の根源とイメージ

第3回 16日放送/18日再放送
  タイトル: 昔話と神話の深層

第4回 23日放送/25日再放送
  タイトル: 「私」とは何か
 
 

 本書で紹介する河合隼雄は、人々の悩みや病に寄り添い、半生をかけて心の深層を見つめ続けた臨床心理学者です。スイスのユング研究所で日本人として初めてユング派分析家の資格を取得し、箱庭療法をはじめとする心理療法を日本に導入しました。実に200冊を超える著作の中から四作を取り上げ、その思索の足跡を辿ってみたいと思います。
 

 第1回と第2回で取り上げる『ユング心理学入門』は、河合隼雄が日本語で書いた最初の著作で、西洋で彼が学んだユング心理学を、日本の事情を考慮しつつ解説しています。
 
 第3回は『昔話と日本人の心』を『神話と日本人の心』と併せて紐解いていきます。この二作は、日本人の心にふさわしい心理学を模索していた著者が歳月をかけて書き上げた作品です。
 
 日本人の心の深層を探る旅路を描いていると同時に、その到達点ともいえるのが、最終回で取り上げる『ユング心理学と仏教』です。これは心理療法のあり方を仏教との関わりの中から捉え直したもので、河合隼雄の著作における一つの頂点を示しており、今後の可能性を示しているものともいえます。
 


 因みに、河合隼雄は、今回の講師である河合俊雄の父です。
 


出典
河合俊雄(2018/7)、河合隼雄スペシャル、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付写真は、この本からの転載


2018年6月26日火曜日

(1281)  岡崎のスイッチ / ワールドカップのネタ

 
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(K0422)  本来の課題 先取り / NPOで社会を変える(1) <システムの構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0422-1.html
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 世の中、ワールドカップで盛り上がっているので、私も書く。

 点を入れた人がもてはやされているが、彼が活躍したのはテレビを観ていたら通でない私にだってわかる。私が知りたいのは、目立たなかったけれど活躍した人。そんな目でマスコミをウオッチしていて浮かび上がった一人が岡崎選手である。
 
===== A) 引用はじめ
 日本の決勝トーナメント進出を一歩前進させたセネガル戦での本田のゴール。「影の立役者」といえる働きをみせたのが岡崎だった。後半33分、大迫のクロスを相手DFと競り合い、GKと交錯して転倒。こぼれ球を拾った乾が左奥から折り返すと、再びGKの後方からこのボールを狙って前方に倒れた。結果的につぶれ役となり、本田を“アシスト”。同点ゴールをピッチに伏せたまま見届けた岡崎は「あいつの強い思いがW杯でのゴールを呼んでいるんじゃないかと思う」と称えた。
===== 引用おわり


 それだけではない。
 
===== B) 引用はじめ
 … 西野朗監督は、代表メンバーに故障の癒えない岡崎を選出した理由を「彼の代わりはいない」と述べた。その真意が、今は分かる。

 … 「W杯の戦い方を示す。自分がこのチームにいる意味、存在価値というものを見せたい」とピッチに躍り出た岡崎は、ひたすら前線で相手ボールを追い回し、控えに甘んじていた香川真司らがこれに連動した。
 その戦いぶりは感動的ですらあり、…。 ベンチの選手らにも熱い思いは伝わったろう。
 W杯初戦のコロンビア戦で前線の選手らは、岡崎が乗り移ったようにボールを追い回し続けた。「岡崎」がピッチにあふれていた。
 香川のPKを呼び、決勝点を頭で決めたFW大迫勇也の強さはドイツで鍛えられた成果だろう。だが、自陣ゴール前で決定的なハメス・ロドリゲスのシュートを身を投げ出して防いだ際には、「なぜそこに大迫」と驚かされた。あれは、岡崎そのものである。
===== 引用おわり
 
 
 岡崎が「岡崎ら」を生み、「岡崎ら」が戦っているワールドカップである。
 


<出典>

A)   「影の立役者」岡崎、腐らずつぶれ役で本田を“アシスト”
https://www.sankei.com/west/news/180625/wst1806250055-n1.html
写真は、ここから。
 
B)   別府育郎、「岡崎のスイッチ」
【風を読む】 産経新聞(2018/06/26)


(1280) 『ペスト』(投稿リスト)、来月予告:「河合隼雄スペシャル」 / 100分de名著

 
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(K0421) 『礼記』(2) 八十の者 一子政に従わず <システムの構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k04212.html
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【投稿リスト】 『ペスト』(投稿リスト) / 100de名著
 
 
(1256)  海と太陽、不条理と反抗の文学 / アルベール・カミュ『ペスト』(0) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/1256-0100de.html
 

(1257)  不条理の哲学 / アルベール・カミュ『ペスト』(1-1) / 100de名著 http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/1257-1-1100de.html
 

(1258) 『ペスト』第一段階 / アルベール・カミュ『ペスト』(1-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/12581-2100de.html
 

(1263) 「災厄は天罰か」「アンチ・ヒロイズム」 / アルベール・カミュ『ペスト』(2-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/12632-1100de.html
 

(1264) 「ディスカッション・ドラマ」「ペストの第二段階」 / アルベール・カミュ『ペスト』(2-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/12642-2100de.html
 

(1270) 「今の自分を引き受ける」「人間における楽観主義」 / アルベール・カミュ『ペスト』(3-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/12703-1100de.html
 

(1271) 「こんな世界を愛せるか?」「ペストの正体」 / アルベール・カミュ『ペスト』(3-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/12713-2100de.html
 

(1276)  いまこそすべてはよい / アルベール・カミュ『ペスト』(4-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/1276-4-1100de.html
 

(1277)  われ反抗す、ゆえにわれら在り / アルベール・カミュ『ペスト』(4-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/1277-4-2100de.html
 
 


【来月予告】 「河合隼雄スペシャル」 / 100de名著
 
2018年7月号 (100de名著)
「河合隼雄スペシャル」(予定)
講師:河合俊雄(京都大学教授・臨床心理士)
こころには構造がある
 
「こころの問題」について考え続けた臨床心理学者・河合隼雄。『ユング心理学入門』『昔話と日本人の心』『神話と日本人の心』『ユング心理学と仏教』の四作から、日本人のこころのあり方や文化の独自性を見つめ直し、他者といかに関わるかを考えていく。
 


出典
中条省平(2018/6)、アルベール・カミュ『ペスト』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付図は、この本からの転載


2018年6月24日日曜日

(1279)  (18) 志賀重昂『日本風景論』 / 「明治の50冊」

 
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(K0420) 『礼記』(1) 人生100年 <個人の発達>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k04201.html
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『日本風景論』とは

===== 引用はじめ
 日本の風景は世界でも群を抜いて美しい、それはなぜか-。地理学者の志賀重昂(しげたか)が明治27(1894)年に刊行した『日本風景論』は、外国と比較した日本の景観の特徴やその美を科学的視点を取り入れて称揚し、日本のナショナリズム論に「風景」を導入した記念碑的著作だ。
===== 引用おわり
 


 志賀はまず、日本の風景が持つ美しさを「瀟洒(しょうしゃ)」「美」「跌宕(てっとう)(のびのびとおおらかなこと)」の3つに分類する。

===== 引用はじめ
 詩情あふれる瀟洒の粋として秋を、花や草木の色鮮やかな美の精髄としては春を置く。跌宕は説明がなく分かりづらいが、例として北海道沿岸の断崖に砕ける波濤(はとう)や阿蘇のカルデラ、太平洋上に屹立(きつりつ)する筍(たけのこ)岩などを挙げているところからすると、雄大、荘厳といった概念だろう。
===== 引用おわり
 

 近代自然科学の知識を随所にちりばめつつ、漢文脈の美文で日本風景の美を朗々とうたいあげ、登山を奨励した同書は大きな反響を呼んだ。
 


 志賀を中心とした明治の保守主義を研究する政治思想史家の荻原隆・名古屋学院大教授は、評価しつつも、同書を「重要な失敗作」と位置づける。
 
===== 引用はじめ
 引き合いに出される風景は、高山や火山、奇岩など日常風景から大きく外れ、異境的で雄大な印象を与えるものが多い。「志賀は本質的には国粋主義者でなく英米崇拝者。そのため小さく箱庭的な日本の典型的風景をよしとせず、かなり無理をして西洋的で壮大な風景を拾い出そうとした」。だから温和な自然や、そこで育まれた激しい民族の興亡がない穏やかな歴史といった日本の風土が持つ真の良さに目が向かず、せっかくの着眼を生かせなかった、
===== 引用おわり
と荻原教授は指摘する。
 

 昭和期の国粋主義とは違い、天皇を絶対化する国体論の色はない。穏やかで平和な伝統を掲げ、侵略や植民地主義といった西洋近代の問題点を補正する普遍性を持った日本的保守主義が、風景論から誕生する可能性はあったのかもしれない。
 



【プロフィル】志賀重昂(しが・しげたか)

 文久3(1863)年、三河国(現・愛知県)岡崎藩士の家に生まれる。札幌農学校卒。明治19年、海軍練習艦に便乗して南太平洋を巡回、帰国後『南洋時事』を発表して頭角を現す。21年、三宅雪嶺らと政教社を設立して雑誌『日本人』を創刊。国粋保存主義を唱え対外硬論を展開する。その後衆議院議員を務めたほか、地理学者、世界旅行家として講演や著述で活動。昭和2(1927)年、死去。
 

<引用>

志賀重昂「日本風景論」 / 風土によるナショナリズムの喚起
【明治の50冊】(18) 産経新聞(2018/06/18)
 
(18)志賀重昂「日本風景論」風土によるナショナリズム喚起
https://www.sankei.com/life/news/180604/lif1806040013-n1.html
(添付写真はこのサイトから転載)


2018年6月23日土曜日

(1278)  そんな人生、つまらない

 
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(K0419)  言われるなら「若々しい」より「自然体だ」 <自立>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0419.html
=====
 
 
Facebook友達の梅津 惇男さんの投稿をみた。興味深かったので、元データを探し、そこから抜き出し順番を変えたのが、以下。
 
===== 引用はじめ

喧嘩するのは、一緒だった証拠。

裏切られるのは、信じていた証拠。

失恋するのは、恋していた証拠。

失敗するのは、挑戦した証拠。

疲れるのは、頑張った証拠。

つまずくのは、進んでいる証拠。

===== 引用おわり
 

これをひっくり返してみた。
 
 
 

一緒にならなければ、喧嘩しない

信じなければ、裏切られない

恋しなければ、失恋しない

挑戦しなければ、失敗しない

頑張らなければ、疲れない

進まなければ、つまずかない
 

そんな人生、つまらない
 
 

<出典>
http://www.看護師転職企業.jpn.com/article/449612386.html


(1277)  われ反抗す、ゆえにわれら在り / アルベール・カミュ『ペスト』(4-2) / 100分de名著

 
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(K0418)  靴なら「若々しさ」より「履き心地」 <自立>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0418.html
=====
 
 

第4回  25日放送/ 27日再放送

  タイトル: われ反抗す、ゆえにわれら在り
 
Eテレ。
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【第4回の目次】

(1)   共感と幸福――夜の海水浴
(2)  タルーの最後の戦い――いまこそすべてはよい

(3)  記憶による勝利
(4)  (ノン)という人間――『ペスト』から『反抗的人間』へ
 

【展開】 今回の投稿は、(3)(4)
 
(1)  記憶による勝利
 
A)   リウーの死と残された者の責務。記憶による勝利

 勇敢な戦いもむなしく、激しい熱と咳、吐血と痙攣の末、タルーは息絶えた。
===== 引用はじめ
 タルーは自分でいったとおり、勝負に負けた。しかし、リウーは何を勝ち得たのか? 彼が勝ち得たのは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを忘れないこと。友情を知ったこと、そしてそれを忘れないこと。愛情を知ったこと、そしていつまでもそれを忘れないにちがいないということだ。ペストと生命の勝負で勝ちえたものは、認識と記憶だった。
===== 引用おわり
 いまリウーの心に残るのは、「ひとつの生の温かみと、ひとつの死の面影」だけだが、その認識と記憶で充分なのだと彼は悟った。
 

B)   何のためにこの物語を書いたか

 医師ベルナール・リウーは、自分がこの記録の作者だと告白した。
===== 引用はじめ
 そして医師リウーは、ここに終わりを迎える物語を書こうと決心したのだった。沈黙する者たちの仲間にならないために、ペストに襲われた人々に有利な証言をおこなうために、せめて彼らになされた不正と暴力の思い出だけでも残すために、そして、ただ単に、災厄のさなかで学んだこと、すなわち、人間のなかには軽蔑すべきものより賞賛すべきもののほうが多い、と語るために。
===== 引用おわり
 

C)   小説の結び

===== 引用はじめ
 ペスト菌はけっして死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品のなかで眠りながら生きのこり、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束のなかで辛抱づよく待ちつづける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送り込むのである。
===== 引用おわり
 

D)   ペストという災厄が表すもの

 「決して死ぬことも消滅することもない」ペストという災厄が表すものは、天災のみならず、戦争をはじめとする人間の作り出す不条理も含んでおり、すなわち、人間から自由を奪い、人間に死と苦痛と不幸をもたらすものすべての象徴である。
 
 

(2)  (ノン)という人間――『ペスト』から『反抗的人間』へ
 
A)   『異邦人』『ペスト』『反抗的人間』

   1942年刊行『異邦人』:不条理の第一段階。不条理の認識は自分だけのものだと思い込んでしまい、それによって世界とのつながりを絶ってしまった
   1947年刊行『ペスト』:不条理の第二段階。同じように不条理に苦悩し反抗する人間たちと連帯する可能性がある
   1951年刊行『反抗的人間』:『ペスト』にその萌芽あった反抗と連帯のテーマを、思想的に発展させた
 

B)   デカルトとカミュ。「われ反抗す、ゆえにわれら在り」

   デカルト:「われ思う、ゆえにわれ在り」
   カミュ:「われ反抗す、ゆえにわれら在り」

 単なる思考ではなく、世界のあり方に反抗し行動することが、我々の存在の証となるから、「われ思う」は「われ反抗する」となる。
 あらゆる人間が同じように反抗することで、連帯することが可能になるので、単数形だった「われ在り」が複数形の「われら在り」に変わる。
 

C)   サルトルとカミュ

 カミュは『反抗的人間』で、革命の歴史に内在するニヒリズムや暴力ばかりでなく、イデオロギーによって神格化されたマルクス主義そのものにも、反抗する立場を打ち出したため、サルトルとの間で論争を生んだ。
 カミュの思想は、強権的な政府が、“上から目線”で人民を指導し幸福にするという共産主義とは逆に、個々の人間の自由を基本に置くものだった。
 
 共通点:世界が不条理であり悲惨であるという現実をまず直視するという点で、サルトルとカミュは同一の地平から出発していた。
 相違点:
  サルトル:最終的に政治的人間になることを選んだ。革命をふくむ政治的手段による、より良き未来の社会建設というものを信じた
  カミュ:文学的人間にとどまった。革命などの理念が不可避的にもたらす暴力の悲惨さから目をそらすことができなかった
 
 サルトルによる舌鋒鋭い批判は論理的に厳密だったので、直感的で詩的な表現に頼るカミュは、きわめて不利だった。カミュはサルトルとの論争に敗北した形となり、政治的に孤立し沈黙してしまった。サルトルから「裁かれた」ことに傷ついた。
 

D)   ノーベル賞受賞(1957年)、死亡(1960年)

 43歳という異例の若さでのノーベル賞受賞は、文学者カミュにふたたび活力をあたえる出来事だったが、自動車事故で突然その命を絶たれてしまった。
 

<出典>
中条省平(2018/6)、アルベール・カミュ『ペスト』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付写真:1958年のカミュ。友人ミシェル・ガリマールとカミュ。2年後この2人は事故死