2018年6月28日木曜日

(1283) 「尊厳」「尊厳死」とは? 「尊厳死」の「尊厳」でよいのか

 
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(K0424) 「尊厳」「尊厳死」とは? 「尊厳死」の「尊厳」でよいのか <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0424.html
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 最近、「尊厳死」という言葉をよく聞く。「尊厳」と聞くと「尊厳死」を思い浮かべてしまう。
 
 多分、一番オーソドックスな定義を、下に示す。

===== 引用はじめ
 尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。本人意思は健全な判断のもとでなされることが大切で、尊厳死は自己決定により受け入れた自然死と同じ意味と考えています。
===== 引用おわり
日本尊厳死協会
www.songenshi-kyokai.com/question_and_answer.html
 

 言っていることは分かるが、そもそも「尊厳」というのは、そういうものなのだろうか。定義では、死に方から始め、その死に方に「尊厳」という言葉を使っている。「尊厳死」という言葉を作って、そう定義するのは自由だが、「尊厳」はそういうものではないのではないか。
 


 曽野綾子さんが、尊厳に関連して次のように書いている。
 
===== 引用はじめ
 聖書の中で私の好きな言葉は「受けるより与える方が幸いである」(『使徒言行録』2035節)という箇所だ。これは人間の尊厳と密接な関係がある。現実の問題として、人は他人から与えられる時も嬉しいが、人に与えた時も嬉しいものなのだ。
 もっともその機能が狂っている人もいる。最近の若い人は「受けるのが権利」というふうにしか考えない。与えたら損になると思っている。同様に年寄りにも強欲な人が出てきて、親戚や社会からもらって当然という顔をする人もいる。

 … 別に与えられない人は一人前になれないとは言わないが、少なくとも他人からどんなに世話を受けても、感謝を忘れなければ、相手に満足や嬉しさを贈るという形で与えている。それが成熟した人間の姿勢だと思うのだが。
===== 引用おわり
 
 
 これは「尊厳生」について述べているのではないだろうか。どのようにしたら、尊厳をもって生きられるか。曽野さんのは一つの答えで、価値観はいろいろだから、別の答えもありえる。
 
 いずれにせよ、「尊厳死」を考える前に、「尊厳生」を考えたい。そして自分の信じる「尊厳生」を死ぬ直前まで大切にして生ききる。私は、そこで「尊厳死」を迎えたのだと言いたい。
 
 延命処置を受けながら、子や孫のことを想い、彼らの幸せを祈りながら死んでいく。それも、本来の「尊厳」を成就する、立派な「尊厳死」だと、私は思う。
 


<出典>
曽野綾子、感謝を示すだけでも役に立てる
【透明な歳月の光】804 受けることと与える事  産経新聞(2018/06/20)

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