2018年6月24日日曜日

(1279)  (18) 志賀重昂『日本風景論』 / 「明治の50冊」

 
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(K0420) 『礼記』(1) 人生100年 <個人の発達>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k04201.html
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『日本風景論』とは

===== 引用はじめ
 日本の風景は世界でも群を抜いて美しい、それはなぜか-。地理学者の志賀重昂(しげたか)が明治27(1894)年に刊行した『日本風景論』は、外国と比較した日本の景観の特徴やその美を科学的視点を取り入れて称揚し、日本のナショナリズム論に「風景」を導入した記念碑的著作だ。
===== 引用おわり
 


 志賀はまず、日本の風景が持つ美しさを「瀟洒(しょうしゃ)」「美」「跌宕(てっとう)(のびのびとおおらかなこと)」の3つに分類する。

===== 引用はじめ
 詩情あふれる瀟洒の粋として秋を、花や草木の色鮮やかな美の精髄としては春を置く。跌宕は説明がなく分かりづらいが、例として北海道沿岸の断崖に砕ける波濤(はとう)や阿蘇のカルデラ、太平洋上に屹立(きつりつ)する筍(たけのこ)岩などを挙げているところからすると、雄大、荘厳といった概念だろう。
===== 引用おわり
 

 近代自然科学の知識を随所にちりばめつつ、漢文脈の美文で日本風景の美を朗々とうたいあげ、登山を奨励した同書は大きな反響を呼んだ。
 


 志賀を中心とした明治の保守主義を研究する政治思想史家の荻原隆・名古屋学院大教授は、評価しつつも、同書を「重要な失敗作」と位置づける。
 
===== 引用はじめ
 引き合いに出される風景は、高山や火山、奇岩など日常風景から大きく外れ、異境的で雄大な印象を与えるものが多い。「志賀は本質的には国粋主義者でなく英米崇拝者。そのため小さく箱庭的な日本の典型的風景をよしとせず、かなり無理をして西洋的で壮大な風景を拾い出そうとした」。だから温和な自然や、そこで育まれた激しい民族の興亡がない穏やかな歴史といった日本の風土が持つ真の良さに目が向かず、せっかくの着眼を生かせなかった、
===== 引用おわり
と荻原教授は指摘する。
 

 昭和期の国粋主義とは違い、天皇を絶対化する国体論の色はない。穏やかで平和な伝統を掲げ、侵略や植民地主義といった西洋近代の問題点を補正する普遍性を持った日本的保守主義が、風景論から誕生する可能性はあったのかもしれない。
 



【プロフィル】志賀重昂(しが・しげたか)

 文久3(1863)年、三河国(現・愛知県)岡崎藩士の家に生まれる。札幌農学校卒。明治19年、海軍練習艦に便乗して南太平洋を巡回、帰国後『南洋時事』を発表して頭角を現す。21年、三宅雪嶺らと政教社を設立して雑誌『日本人』を創刊。国粋保存主義を唱え対外硬論を展開する。その後衆議院議員を務めたほか、地理学者、世界旅行家として講演や著述で活動。昭和2(1927)年、死去。
 

<引用>

志賀重昂「日本風景論」 / 風土によるナショナリズムの喚起
【明治の50冊】(18) 産経新聞(2018/06/18)
 
(18)志賀重昂「日本風景論」風土によるナショナリズム喚起
https://www.sankei.com/life/news/180604/lif1806040013-n1.html
(添付写真はこのサイトから転載)


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