2018年2月28日水曜日

(1163)  ご近所パワーで助け合い起こし

 
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=====    今回は、これと同じ
(K0304)  ご近所パワーで助け合い起こし <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0304.html
=====
 


 昨日、木原孝久氏の地域福祉講演会「ご近所パワーで助け合い起こし」を聞いた。聞いたことのないような話も多く、参考になった。
 
 以下にまとめるが、必ずしも聞いた通りではなく、加工している。
 

【項目】

A.3つの地域課題(減災、認知症・居場所)(神戸市社会福祉協議会 中村三郎 理事長 挨拶)

B.3つの常識(ほっといてくれ常識・ほっときましょう常識・ご近所づきあい常識)

C.助ける割合、助けを求める割合

D.助けられるために超えるべき3つの壁、助けるために超えるべき3つの壁

E.助け合いを妨げる日本の3つの風土(迷惑をかけるな・お節介するな・お上の国)

F.プライドを捨てなくてよい( Self Care Management

G.助け合いと絆(「絆があるから助け合う」ではない)

H.助けると助けられるは表裏

I.その人らしく生きる(これが一番大切)
 
 

【各論】

A.3つの地域課題(減災、認知症・居場所)(神戸市社会福祉協議会 中村三郎 理事長)

(1) 減 災  … 災害の時、一人ぐらし、老夫婦、障害者を助けだせるように

(2) 認知症  … 2025年問題。認知症を地域で見守る

(3) 居場所  … 引きこもり問題、8050問題。対策は、出てこられる居場所づくり
 

B.3つの常識(ほっといてくれ常識・ほっときましょう常識・ご近所づきあい常識)

 日本人として当然のように守ろうとする常識、これがあるから助け合い出来ない。

(1)  ほっといてくれ常識 … 助けてもらえない
 「自分や自分の家族の問題は隠しておきたい」「人に助けを求めるのは苦手だ」等々

(2)  ほっときましょう常識 … 助けに行けない
 「人のことはなるべく詮索しないようにしている」「困っている人にはお節介と言われない程度に関わる」等々

(3) ご近所づきあい常識
 「お互いのプライバシーは十分に尊重し合うべきだと思う」「隣人とはあまり深入りせず、ほどほどのお付き合いを心がけている」
 

C.助ける割合、助けを求める割合

(1) 困った人がいたら … 5%は無視する、72%は頼まれたら助ける、23%は頼まれなくても助ける(実際に障害のある人に聞いたら、「助けを求めれば9割は助けてくれる」)

(2) 困ったときに「助けて!」と言えるか? … 3-5%は言える。97-95%は言えない

(3) 95%は思いやりがあるのだが、助けを求める人が4%と少ないので、74%は助けられない
  4% * 95% + 96% * 23% = 26%
 

D.助けられるために超えるべき3つの壁、助けるために超えるべき3つの壁

(1) 助けられるために超えるべき3つの壁
 自分をオープンにせよ、助けてと言え、他人に迷惑をかけよ

(2) 助けるために超えるべき3つの壁
 詮索せよ、お節介せよ、こじあけよ
 

E.助け合いを妨げる日本の3つの風土(迷惑をかけるな・お節介はよくない・お上の国)

(1) 迷惑をかけるな … 迷惑をかけるな、人にたよるな … 迷惑かけて何が悪い!

(2) お節介するな  … 詮索するな、お節介するな … お節介して何が悪い!

(3) お上の国    … 自助できなくなると公助してくれるので、共助しなくなる
 

F.プライドを捨てなくてよい( Self Care Management

 することは、自身の世話を自分で管理することだ。プライドは捨てなくてよい。
 

G.助け合いと絆(「絆があるから助け合う」ではない)

(1) 絆があるから助け合うのではない

(2) 助け合うから絆が強くなるのだ

(3) ふれあうだけでは絆は強くならない
 

H.助けると助けられるは表裏

(1) 助ける人は、助けられ上手

(2) 助けられた経験があると、助けるコツがわかる。
 

I.その人らしく生きる(これが一番大切)

(1) 安全を確保し、困りごとを解決し、介護し、更に、その人らしく生きていただく。

(2) 本人は何を望んでいるか?(事例:昔お花の先生だった認知症の人が、徘徊して近所のお花を整え、幸せに暮らしている)


2018年2月27日火曜日

(1162)  大丈夫なようにできている / ダウン症の書家(4)

 
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(K0303)  社会参加(6) / トライアングル理論(29) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0303-629.html
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【項目】

(1) 捨てるしかなかった、世界一大きな「般若心経」
(2) 奉納
(3) 出てくるのは、明るさと喜びだけ
(4) 最後はちゃんとうまくいくようになっているんです
 
 

【具体的には】
 
(1) 捨てるしかなかった、世界一大きな「般若心経」

===== 引用はじめ
 翔子が30歳、愛媛県立美術館で世界一大きな「般若心経」を書いたときのことです。縦4メートル、横16メートルの作品を美術館の壁にクレーンで吊(つ)って飾りましたが、展示後、置くところがなく、捨てるしかないな、思っていたところ、それを聞いた1人のお坊さんがぜひうちに欲しい、と言われ、買っていかれました。そのお寺は、作品に合わせて大きなお堂まで建立したのです。静岡県浜松市の龍雲寺(りょううんじ)です。
===== 引用おわり
 

(2) 奉納

===== 引用はじめ
 延暦寺や中尊寺、建長寺、建仁寺、東大寺、薬師寺、伊勢神宮、熊野大社、厳島神社、春日大社など大きな神社仏閣に作品を奉納するという、夢のような大仕事を、翔子はわずか12年でやりました。
===== 引用おわり


(3) 出てくるのは、明るさと喜びだけ

===== 引用はじめ
 翔子は、困った人がいると一緒になって困り、悲しい人がいると一緒に泣くんですよ。しかし翔子には暗いものや悲しみはない。翔子から出てくるのは、明るさと喜びだけですよ。
===== 引用おわり
 

(4) 最後はちゃんとうまくいくようになっているんです

===== 引用はじめ
 不登校の子でも、障害のある子でも、最後はちゃんとうまくいくようになっているんです。「そんなに頑張らなくても大丈夫よ」。泣きながら訴える親に、こう伝えることの大切さを翔子に教えられました。社会的にみれば障害のある人かもしれない、かわいそうに映るかもしれないけど、当事者側はそうは思っていない。楽しく、明るく暮らしている。そんな素晴らしい世界と翔子たちはつながっている、ということがようやく分かりました。
===== 引用おわり
 


出典
大丈夫なようにできている /「ダウン症の書家 金澤翔子(32) 母 泰子(74)(4) / 話の肖像画 / 産経新聞(2018/02/9

ダウン症の書家・金澤翔子 母・泰子(4) 大丈夫なようにできている
http://www.sankei.com/life/news/180209/lif1802090007-n1.html


(1161)  (6) 坪内逍遥『小説神髄』 / 「明治の50冊」

 
◆      最新投稿情報
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(K0302)  社会参加(5) / トライアングル理論(28) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0302-528.html
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===== 引用はじめ
 時は明治維新から約20年後。当時20代の若き文筆家、坪内逍遥は文学評論『小説神髄』で、小説への「写実主義」の導入を提唱。日本文学を一変させる“発火点”となり、同時代や後世の作家に多大な影響を与えた。
===== 引用おわり
 

 坪内逍遥の果たした役割は、
 
===== 引用はじめ
 文芸批評家で早稲田大文学学術院教授の渡部直己氏は、逍遥の功績について「単なる娯楽として当時低く見られていた文学の地位を高め、美術へと発展させたこと」と指摘する。

 「逍遥の功績は、議論の発火点を作り、その上で近代文学の花を咲かせたこと。日本の近代文学は『小説神髄』から始まったのです」(渡部教授)

 同時期を生き、辛口の批評で知られた評論家、内田魯庵は「坪内君は明治の文学の大いなるエポック・メーカーである」と評した。つまり、時代を切り開いた先駆者だ、と。
===== 引用おわり
 



 『小説神髄』の下巻で、それまでの日本文学にない概念だった「主人公」の設置など技術論を説いた。喜怒哀楽に嫉妬、愛欲など老若男女の心の内幕を詳細に描き、「世態風俗」(世の中の様子)を写実的に描写するリアリズムこそが小説において重要だ-と主張した。
 
 しかし「皮肉なことに逍遥自身は『小説神髄』で自ら批判した“呪縛”から逃れられず、後に小説執筆を断念」した。
 
 その一方、

===== 引用はじめ
 東大卒の文学士という超エリートの逍遥が提唱した“急進的”文学理論は、二葉亭四迷ら有識者に強い衝撃を与えた。

 二葉亭らも同書を批判したが、これらの文学論争が後に初の言文一致体小説『浮雲』につながり、後年の自然主義文学へと昇華していく。
===== 引用おわり
 
 


【プロフィル】坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)

 安政6年5月(1859年6月)、美濃(岐阜県)で尾張藩士の家に生まれる。東大で英文学を学んだ際、試験で悪い成績点を付けられたことをきっかけに英国の文芸批評を学び、それが後の『小説神髄』につながった。主な著書に小説『当世書生気質』など。明治24(91)年、文芸雑誌『早稲田文学』を創刊。シェークスピア作品の全訳を行うなど演劇の近代化にも貢献した。昭和10(1935)年、死去。
 


引用
近代日本文学の“発火点” 坪内逍遥『小説神髄』 産経新聞(2018/02/22)

(6)坪内逍遥『小説神髄』 近代日本文学の“発火点”
http://www.sankei.com/life/news/180219/lif1802190017-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)


2018年2月26日月曜日

(1160)  自分だけが苦しんでいた / ダウン症の書家(3)

 
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(K0301)  社会参加のタイプ <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0301.html
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【項目】

(1) 染色体が1本多い
(2) 苦しんでいたのは親の私だけだった
(3) 一緒になって苦しんでくれた
(4) 個展をやろう
(5) 東京・銀座で個展
 



【具体的には】

(1) 染色体が1本多い

===== 引用はじめ
 ダウン症の子は、通常より染色体が1本多いのです。私は長い間、染色体が1本多いことを嘆いてきましたが、実はこの1本多い染色体が優しさをみせてくれているのではないか、と思うようになりました。この優しさがみんなを癒やすんです。
===== 引用おわり
 

(2) 苦しんでいたのは親の私だけだった

===== 引用はじめ
 登校初日、翔子は親の苦悩と心配をよそに、けろっとして楽しそうに帰ってきました。その時、苦しんでいたのは親の私だけだった、と気が付いたのです。自分の思う通りの子供でなかったから私は苦しんだ。世間体や子供の将来を悲嘆していた。でも、翔子は障害を認識しておらず、何も苦しんではいなかったのです。
===== 引用おわり
 

(3) 一緒になって苦しんでくれた

===== 引用はじめ
 翔子は、ただ私の苦しみに寄り添い、慰めようと一緒になって苦しんでくれていたんです。本当に優しい子です。そのあたりから、私自身も変わり、将来に少し希望を持てるようになったんです。
===== 引用おわり
 

(4) 個展をやろう

===== 引用はじめ
 そんなときに思い出したのが、在りし日の主人の言葉でした。「翔子が20歳になったら個展をやろう。そして、みんなに来てもらい、翔子がダウン症であることを公表しよう」。主人は、自分では積極的に書道をする人ではなかったのですが、翔子の書の才能を誰よりも認めていました。
===== 引用おわり
 

(5) 東京・銀座で個展

===== 引用はじめ
 そしてついに、翔子が20歳になったお祝いに、東京・銀座で最高の会場を借りて個展を開き、豪華な図録を作りました。帝国ホテルで記念レセプションも開催しました。ここまでやれば、私が倒れ、翔子が施設に入ることになっても認めてもらえるのではないか。そんな考えもありました。
 この個展がメディアに取り上げられて話題となり、多くの方に来ていただきました。翔子の書を見た多くの来場者が涙を流していました。私も全力でやりきって満足でした。でも、それは始まりにすぎませんでした。
===== 引用おわり
 


出典
自分だけが苦しんでいた /「ダウン症の書家 金澤翔子(32) 母 泰子(74)(3) / 話の肖像画 / 産経新聞(2018/02/8

ダウン症の書家・金澤翔子 母・泰子(3) 自分だけが苦しんでいた
http://www.sankei.com/life/news/180208/lif1802080020-n1.html


2018年2月24日土曜日

(1159)  炸裂する映画的想像力・終結 /ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』 (4)

 
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(K0300)  介護予防手帳 <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0300.html
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第4回 2月26日放送/2月28日再放送
月曜日   午後 10:25~10:50

()水曜日 午前 05:30~05:55
      午後 00:00~00:25




【第4回 目次】 炸裂する映画的想像力

1.       映画を先取りした小説

2.       ノートルダム襲撃と革命の光景

3.      「光と闇」のテーマ

4.       母と娘の物語

5.      「父親殺し」の物語

6.       愛の連鎖
 
 


映画を先取りした小説

===== 引用はじめ
 ユゴーの時代には映画まだ存在していません。ところが…、クロードが大聖堂から広場のエスメセルダを見下ろすシーンなどでは、まるで俯瞰の構図やロングショット、ズームやクローズアップといった映画の撮影テクニックが駆使されているかのようです。

 映画というものが世界のどこにも存在しなかった時代に、そのような映像的表現を操ることのできたユゴーは、類まれな幻視者といえます。彼が「映画の出現を先取りしたシナリオライター」と呼ばれる所以です。
===== 引用おわり
(添付図参照)
 
 

 この語、まだまだたくさんのストーリーが進行していくが、主要人物の最期だけ取り上げる。
 
===== 引用はじめ
 クロードは「まあ、聞け」と例の調子で語り、広場の絞首台を指して「わたしとこれと、二つのうち、好きな方を選ぶのだ」とエスメラルダに迫ります。
 これは究極の選択です。 … エスメラルダは決して屈服しません。彼女は絞首台に身を投げ出して答えます。
「こちらのほうが、あなたよりまだこわくありません」
===== 引用おわり
 


===== 引用はじめ
 カジモドはさきほどからじっと息を殺していたのだが、この不幸な娘が、敷石から4メートルもあるところで、縄の端にぶらぶら揺れているのを見てしまった。

 …カジモドは…怒り狂い、クロードに飛びかかると、背中を押して塔から突き落とします。…クロードは落下しますが、途中で樋に引っかかり、必死で樋にしがみつこうとします。…ついには力尽き、手を放します。…石畳の上で跳ね返ると、そのまま動かなくなりました。
===== 引用おわり
 


===== 引用はじめ
 カジモドはそれを見届け、再び絞首台のエスメラルダのほうに目をやります。 … 「ああ!おれの愛していた者はみんな!」 - カジモドにとっては世界にたった二人しかいなかった愛する人間が、二人とも世を去ってしまったのです。

 エスメラルダとクロードの死のあと、カジモドはノートル=ダムからすぐに姿を消しました。
===== 引用おわり
 


===== 引用はじめ
 エスメラルダの死骸は、パリの郊外にあるモンフォーコンという古い荒れ果てた刑場の墓穴に投げ込まれました。その後しばらく経ってから、…エスメラルダの骸骨を、もう一つの骸骨が抱きしめているのが見つかります。それは背骨の曲がった骸骨でした。そう、カジモドです。カジモドはここでエスメラルダの死骸を抱きしめたまま、死んでいたのです。そして、人々が彼の骸骨を彼女の骸骨から引き離そうとすると、骨は粉々に砕け散ってしまったといわれます。
===== 引用おわり
 

出典
鹿島茂(2018/2)、ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
 
 

3月の100de名著は、
『松本清張スペシャル』(予定) (2月24日発売予定)
講師 : 原 武史(放送大学教授、日本政治思想史研究者)
 
歴史の深層を照らす不朽の4作品を精読
 
『点と線』、『砂の器』などで「社会派推理小説」という一大ジャンルを築いた作家・松本清張。新資料や独自インタビューで歴史の真実に光をあてた『昭和史発掘』、その成果を活用した未完の遺作『神々の乱心』で彼は何を訴えようとしたのか? 上記4作を通じて、「思想家」としての松本清張に迫る!



 

2018年2月23日金曜日

(1158)  介護は身内かプロか

 
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(K0299)  軽度認知障害と言われたら <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0299.html
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(1157)に対して、再びFacebook友達のHisako Nakayama  さんからコメントをいただいた。

===== 引用はじめ
 整理して頂いてありがとうございます。果たして身内が本当に良いのかは疑問です。介護の専門家にランクをつけてやり甲斐が収入に結びついたら、身内で無くても良くならないでしょうか。介護をした娘は独身で自分は身内に期待出来ない。ある程度金銭にゆとりが有れば少し高くついてもプロが良いという場合もある様に思います。色々な選択が出来ればという事です。
===== 引用おわり


 これも大切な指摘だと思います。

 「ある程度金銭にゆとりが有れば少し高くついてもプロが良いという場合もある。」「色々な選択が出来ればという事です。」 … その通りです。
 
 

 デンマークでは、子どもが成人年齢に達すると、親の家を出て独立した生活を始めることになっており、親は老後を子に頼る気が無く、子は親の老後の面倒をみる気がない。介護にはプロの仕事であり、プロに任せる。一方、仕事が終わった後や休日に子どもは頻繁に親を訪ね、楽しい時間を共にすると聞いた。「身内が本当に良い」とは決めつけられない。


 デンマークと日本を比較すると、二つの点で違う。

 デンマークでは高い税率のおかげで、老後の介護は無料で提供される。日本では介護保険は当初、一割負担だったが、現在は二割負担の人もいる。今後さらに、この負担率は増やさざるを得ないだろう。裕福な人は別にして、大多数の日本人は、「身の丈に合った」公的介護しか受けられない。税金を上げることに反対するかぎり、これは、受け入れねばならないだろう。

 もう一つは、家族意識の違いである。多くの日本人は、デンマーク人のようには割り切れないだろう。

 日本の現実を直視すれば、「身内による介護を中心とする」で私は、よいと思う。これを中心に考えるということであって、そうでないものを排除するわけではない。自分の意思で、自分の資金で、介護を外部に依存して、何の問題もない。
 
 

 私の考えの基本となる、見聞きしたことを述べる。

(1) 親を老人ホームに入れることに抵抗感を感じる子が多い
 親を老人ホームに入れるとなると、うしろめたさを感じる子が多いようだ。私は、うしろめたく感じる必要はないと思うが、そう感じる人が多いのは事実であり、また、そのような気持ちもまた貴いものであり、尊重したいとも思う

(2) 親を在宅で介護すると、子に大きな負担がかかることが多い
 老人ホームに入れずに在宅介護するのは、それはそれで大変そうだ。大変さを語るとき控えめな人が多いのではないだろうか。多分、私が見聞きしたよりもはるかに大きい負担を介護する人たちは抱えている(私は介護した経験がない)。

(3) 大きな介護負担を負いながらも、自分らしい生活を確保している人が少なからずいる
 聞くと大変だろうなと思うような介護をしている人がいる。自分の親と伴侶の親の計4人を、連続しまた重なりながら、10年以上にわたって介護してきた人もいる。それでも自分らしい生き方を楽しんきた人も少なからずいる。共通しているのは、兄弟や友達や地域、および、介護保険など外部からの支援を受けていることである。
 

 もしも私が将来子から介護を受けるとして、そのことにより子が苦しんでいるなら、私はありがたいと思うが、幸せだとは思わないだろう。

 子として親の介護をする意思のない人もいるだろう。それは、その人の生き方であり、私は何ともいえない。しかし、多くの子は、親の介護をしたいと思っているのではないだろうか。
 

 許容範囲というものがある。範囲を外れる部分を外に依存して何の問題もないのではないか。家でお風呂に入るのが大変なのだから、デイサービスに行ってお風呂に入れてもらえばよい。依存する外部を確保するため、介護保険制度があると考えればよい。
 

 親を介護したい人は、許容範囲内で介護し、できないところは可能な範囲で外部の力を借りる。自分でする介護が5%で、外部の力が95%であっても、数字はどうでもよく、できるだけ無理は避ける。「私が介護する」という気持ちこそ大切なのではないか。それは「介護される」親にとっても、「介護する」子にとっても幸せな状態ではないか。
 

 私が、言いたかったことは、こういうことである。
 

 なお、「親を介護したくない子」「子に介護されたくない親」もいるだろう。それは各々の生き方であって、第三者からとやかく言うものではない。このことは書いていなかったので、追記しておく。

2018年2月22日木曜日

(1157) 「介護される人」も「介護する人」も幸せになるために

 
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(K0298) 催し物情報(20) <催し物紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k029820.html
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 Facebook友達のHisako Nakayama  さんから、前回の私の書き込み(1155)にコメントをいただいた。

===== 引用はじめ
 先日お訪ねした友人のお母様。亡き母の親友で昨年秋に亡くなったIさん。優しい娘の介護のおかげで認知も余り出ないで穏やかな老後を送られているのを拝見してお幸せだなと思いましたが、難しいと思いました。
 独身の娘で健康だから。何より優しいから出来た事。そう言うサービスはあり得ないから。
===== 引用おわり
 


 大切なことなので、整理しておきたい。


先ず、誰が介護をするか、整理する。
(1)     肉親や友達やご近所
(2)     社会 … 「介護の社会化」
 

 介護保険法は、(1)に限界があるので、(2)の仕組みを作ったもの。これはこれで必要なことだが、少なくとも、あと二つの仕組みが必要だと思う。
 

【仕組み1】 (1)を支える仕組み

 どちらが幸せかというと、(2)より断然(1)だと思う。介護される人も近しい人から介護される方が幸せだし、大切な人を介護したいと思う人も多いことだろう。しかし、介護する人の生活や人生に大きな制約をもたらす介護や、介護する人が潰れてしまいそうな大きな負担を伴う介護もある。「介護される人」を支える仕組みだけではなく、「介護する人」を支える仕組みも欲しい。
 「介護の社会化」は、不幸せな人を作らない仕組みとして機能していると思う。さらに突っ込んで、「介護する人」を支えることにより、「介護される人」も「介護する人」も、より幸せになれる可能性がうまれてくるのではないだろうか。
 

【仕組み2】 (1.5)の介護

 介護保険は「介護の社会化」と言われているが、同時に「介護の事業化」でもあると思う。公共自ら行う介護を手放した時、誰かがそれを担わなければならない。それを継続できるようにするために、組織あるいは個人が、事業あるいは仕事として取り組めるようにした。社会福祉法人(社会福祉事業を行うことを目的として、この法律の定めるところにより設立された法人)や老人福祉施設などが安定した事業を行えるように、ケアマネージャー(介護支援専門員)や介護福祉士などが、職業として家族を養うだけの給料を得られるように、様々な施策が必要だろう。
 それはそれで良いのだが、福祉を企業化すると、企業論理にのらない部分の福祉(例えば、介護保険では、本人の食事を提供できるが、介護している家族の食事は提供できない)が手薄になってしまうのではないか。

 ボランティア精神に基づく介護を考えたい。対象を直接見知った人だけに限定せず、個人やボランティア団体が介護の領域に関わり、事業体により提供される介護の手薄な部分を補完する。それを(1.5)の介護と名づけた。そのような介護が普及してきたとき、それが真の「介護の社会化」になるのではないだろうか。

 

 介護保険法が、いけないとは思っていない。「介護保険法ができたからそれでよい」とするのは、いけないことだと思う。介護保険法の先に、いくつかの仕組みを作っていくことが必要だ。

2018年2月21日水曜日

(1156)  絶望の底で書いた涙の書 / ダウン症の書家(2)

 
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(K0297)  個人Blog 2月中旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0297-blog.html
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【項目】

(1) 社会に迷惑をかけないように育てていく

(2) 突然の転校にショックを受けた

(3) 欧陽詢の書体が身についた
 
 

【具体的には】

(1) 社会に迷惑をかけないように育てていく

===== 引用はじめ
 障害のある子の母親は、子供の障害を告知されたときから、だいたいみんなどうやったら社会に迷惑をかけないように育てていくか、ということを考えます。私もそうでした。そのときに考えたのが、孤独の中で黙々と作業する書道はいいかな、これだけは身につけさせてあげたいということでした。
===== 引用おわり
 


(2) 突然の転校にショックを受けた

===== 引用はじめ
 突然、転校になったことにショックを受け、一時、学校に行かなくなりました。友達はいなくなり、家にいる時間だけが長くなり、このままではダメだ、何とかしなければ、と思い、276文字あるお経「般若心経」を大きな紙に書かせることを思い立ちました。
===== 引用おわり
 


(3) 欧陽詢の書体が身についた

===== 引用はじめ
 教えたわけではないのですが、叱られながら苦しい思いをして難しい漢字を書いたことで、書道の基本ができたのだと思います。約1400年前の中国の楷書(かいしょ)の大家、欧陽詢(おう・ようじゅん)の書体が身についてしまったんです。苦しい中で翔子は書き、私も自分の苦しみを翔子にぶつけた。この体験を通して、書の中で私と翔子は深く強く手を握り合えたのです。もし、あのとき普通学級に通い続けていたら、翔子は書家になっていなかった。苦しい中、一緒に難しい般若心経を書いていなかったら、今の翔子はないと思います。
===== 引用おわり
 


出典
絶望の底で書いた涙の書 /「ダウン症の書家 金澤翔子(32) 母 泰子(74)(2) / 話の肖像画 / 産経新聞(2018/02/07

ダウン症の書家・金澤翔子 母・泰子(2) 絶望の底で書いた涙の書
http://www.sankei.com/life/news/180207/lif1802070010-n1.html


(1155)  縮小する家族と介護 / 「家族と高齢社会の法」(13) (放送大学)

 
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(K0296)  身元確認サービス(徘徊・災害などに対応) <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0296.html
=====
 



目標&ポイント

===== 引用はじめ
 「介護の社会化」を目指して、1997年に介護保険法が成立し、20004月から施行されている。介護保険制度の創設により、高齢者福祉サービスは措置から契約へと大きく舵を切り、利用者がサービスを選択し、契約に基づいてサービスを利用する仕組みに変化をした。
 家族の規模が小さくなる中で増大する介護ニーズを、公的な介護サービスや社会、家族がどのように担っていくのか。
 本章では、介護保険制度の仕組み、介護サービス契約の特質、家族介護をめぐる課題について学ぶ。
===== 引用おわり
 
 

<構成> 第13章 縮小する家族と介護

1. 扶養関係と介護の社会化
2. 介護を支える社会保障
3. 介護サービスをめぐる苦情相談と権利擁護
4. 家族介護者の支援
 
 ここでは、「3.介護サービスをめぐる苦情相談と権利擁護」と「4.家族介護者の支援」について述べる
 

先ず、「3.介護サービスをめぐる苦情相談と権利擁護」
 
(1) 介護サービスをめぐる苦情相談

  事業者との話し合いで解決する
 社会福祉法や介護保険法では、事業者の苦情解決に対する取り組みを求めている

  苦情相談
 運営適正化委員会が各都道府県社会福祉協議会に設置されているほか、介護保険制度では、保険者(市区町村)、国民健康保険団体連合会の各主体が苦情相談に対応している。

  訴訟
 こうした苦情解決の仕組みでも解決しない問題については、訴訟に発展する場合がある
 

(2) 介護事故をめぐる法的責任

  介護事故の種類
 多く発生している介護事故として、(a)転倒事故、(b)転落事故、(c)誤嚥事故、(d)褥瘡や院内感染など医療系の事故、(e)個人情報の流出など施設管理上の事故などに分類できる。

  民法415
 事業者は適切な介護サービスを提供する義務があり、これを果たさなかったために事故が起こった場合、事業者側の安全配慮義務違反等により債務不履行責任が認められ、賠償責任が発生する。

  民法709
 利用者と直接の契約関係にない介護担当者の故意または過失により利用者に損害が発生した場合は、介護担当者の不法行為責任が問われることがある。

  民法715
 介護担当者の使用者である事業者の不法行為責任(使用者責任)が問われることがある

  刑法211
 介護事故で利用者を死傷させた場合、刑事上の責任として、業務上過失致死傷罪に問われることがある
 

(3) 権利擁護の必要性

  外側から(1)
 成年後見制度、日常生活自立支援事業

  外側から(2)
 専門家(例えば各地の弁護士会や社会福祉会等が行っている権利擁護センター)による、市民ボランティアによる、当事者同士による、権利擁護活動

  内側から
 施設内のオンブズマン制度や苦情解決制度など

  第三者評価の仕組みの活用
 個々の事業者がサービス提供の具体的な問題点を把握し、利用者の権利が常に尊重される介護サービスに結びつける
 

次に、「4.家族介護者の支援」

  家族介護への依存
 要介護者等からみた主な介護者の続柄をみると、「同居している人」が6割を占める。「老々介護」が多く存在している(添付図参照)。

  介護離職
 「介護離職」をする人の総数は1年間で10.1万人であり、女性の割合が8割を占める。年齢別にみると、男女ともに50代および60代の介護離職がそれぞれ約7割を占めている。

  間接的支援 : 在宅サービスとショートスティの量的・質的拡充など
 介護保険制度の下では、家族介護者の介護負担軽減は、要介護者の介護サービス利用により間接的に実現されるものとされていた。

  直接的支援 : 介護休業
 育児介護作業法の制定により制度化されているが、取得率の低さや取得期間の短さなど課題も多い。

  ヤングケアラー
 未成年者が家族介護者であるケースでは、介護を行う未成年者が自ら助けを求めることが難しく、学業への影響などが懸念される。
 
 

出典
原田啓一郎、「第13章 縮小する家族と介護」、川島志保・関ふ佐子、「家族と高齢社会の法」、放送大学教材(‘17)