2018年2月26日月曜日

(1160)  自分だけが苦しんでいた / ダウン症の書家(3)

 
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(K0301)  社会参加のタイプ <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0301.html
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【項目】

(1) 染色体が1本多い
(2) 苦しんでいたのは親の私だけだった
(3) 一緒になって苦しんでくれた
(4) 個展をやろう
(5) 東京・銀座で個展
 



【具体的には】

(1) 染色体が1本多い

===== 引用はじめ
 ダウン症の子は、通常より染色体が1本多いのです。私は長い間、染色体が1本多いことを嘆いてきましたが、実はこの1本多い染色体が優しさをみせてくれているのではないか、と思うようになりました。この優しさがみんなを癒やすんです。
===== 引用おわり
 

(2) 苦しんでいたのは親の私だけだった

===== 引用はじめ
 登校初日、翔子は親の苦悩と心配をよそに、けろっとして楽しそうに帰ってきました。その時、苦しんでいたのは親の私だけだった、と気が付いたのです。自分の思う通りの子供でなかったから私は苦しんだ。世間体や子供の将来を悲嘆していた。でも、翔子は障害を認識しておらず、何も苦しんではいなかったのです。
===== 引用おわり
 

(3) 一緒になって苦しんでくれた

===== 引用はじめ
 翔子は、ただ私の苦しみに寄り添い、慰めようと一緒になって苦しんでくれていたんです。本当に優しい子です。そのあたりから、私自身も変わり、将来に少し希望を持てるようになったんです。
===== 引用おわり
 

(4) 個展をやろう

===== 引用はじめ
 そんなときに思い出したのが、在りし日の主人の言葉でした。「翔子が20歳になったら個展をやろう。そして、みんなに来てもらい、翔子がダウン症であることを公表しよう」。主人は、自分では積極的に書道をする人ではなかったのですが、翔子の書の才能を誰よりも認めていました。
===== 引用おわり
 

(5) 東京・銀座で個展

===== 引用はじめ
 そしてついに、翔子が20歳になったお祝いに、東京・銀座で最高の会場を借りて個展を開き、豪華な図録を作りました。帝国ホテルで記念レセプションも開催しました。ここまでやれば、私が倒れ、翔子が施設に入ることになっても認めてもらえるのではないか。そんな考えもありました。
 この個展がメディアに取り上げられて話題となり、多くの方に来ていただきました。翔子の書を見た多くの来場者が涙を流していました。私も全力でやりきって満足でした。でも、それは始まりにすぎませんでした。
===== 引用おわり
 


出典
自分だけが苦しんでいた /「ダウン症の書家 金澤翔子(32) 母 泰子(74)(3) / 話の肖像画 / 産経新聞(2018/02/8

ダウン症の書家・金澤翔子 母・泰子(3) 自分だけが苦しんでいた
http://www.sankei.com/life/news/180208/lif1802080020-n1.html


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