2017年10月31日火曜日

(1043)  人口減少社会の地域人口変動(3) / 「人口減少社会の構想」(4-3)(放送大学)


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(K0184) 生活(2) / トライアングル理論(11) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k0184211.html
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  前々回からの続き
 

目標&ポイント
===== 引用はじめ

また、東京圏に大量に移動した第1世代が集中している郊外に焦点を当て、家族の変容と地域社会の対応を展望する。
===== 引用おわり
 

「大家族」が「核家族」になったという認識があった。
しかし、現実は更に進み、核家族の分解が始まっている(ポスト核家族化)。
 

1990年代になると、
(1) 子どもの独立に伴って高齢の夫婦のみ世帯や単独世帯が増加する一方で、
(2) 独立した子どものおおよそ3分の1程度が自分の家族をつくらない選択をするようになった

ポスト核家族化時代への移行は始まったところであり、2020年くらいから、家族ネットワークをもたない小規模世帯が増加することになり、本格的なポスト核家族時代が訪れると考えられる。

 

(A) 高齢化には二つの側面がある

(A1) 多くの高齢者が年金生活に入り消費する一方の受け身の立場へと追いやられ、主体性をなくしていく

(A2) 退職男性など、モノやサービスの生産に関与したいというニーズを持つ人々が豊富に地域に存在する状況が出てきた


(B) ポスト核家族時代を迎え、「弱い家族」が増加し、親密性が必要とされる家族内相互扶助の代替サービスが必要になってきた。
 

この(A2)(B)を結び付けようという考え方がある。

 

市民的相互圏(親密圏と公共圏の中間にある)

   家族内相互扶助代替サービスへのニーズと

   サービス生産に関与したいと考える人々が

出会う新しい圏域(スフィア:空間概念でなく領域概念)
を創出しようという考えである。

 

注意すべき点が三つあると、私は考える。

(1) 公共圏に近づきすぎてはいけない

 「専門システムのなかで行われる専門サービスの提供・購関係」(A)の少し外側に「マネージメント可能な家族機能代替型のサービス授受の領域」(B)があるという考え方が必要である。公共と相互補完し合うものであり、公共を代替するものであってはいけない。公共が(B)を強制したり、コントロールしようとしたりすると、このシステムは崩壊する。
 

(2) 親密圏に近づきすぎてはいけない

 伝統的地域社会組織が関与する場合にはパターナリズム(温情的庇護主義)に陥る可能性が小さくない。危惧されるのは、(A)世話を受ける側は負担感が累積し、(B)世話をする側は疲労が蓄積していくという形で双方のモチベーションが低下していくことである。対等な関係が成立しない活動は一般に持続性をもちにくい
 

(3) 「サービス生産に関与したいと考える人々」の活動に継続性を担保しなければならない

 上記(1)(2)に近づくと、活動は持続しにくい。ボランティアが集まるのは、そこに彼らが求めている承認・自尊感情の獲得・自発性というサイクルがあるからである

 

「第4章 人口減少社会の地域人口変動」の目次

1. 人口減少社会の地域的差異と大都市圏への集中
2. 人口転換と人口移動
3. 大都市圏郊外におけるポスト核家族時代   ← 今回は、ここ
(1) ポスト核家族化の始まり
(2) ポスト核家族時代の共同性  市民的相互圏の形成
 

出典
大江守之、「第4章 人口減少社会の地域人口変動」、宮本みち子・大江守之、「人口減少社会の構想」、放送大学教材(‘17)

2017年10月30日月曜日

(1042) 「お徳を積む」と「仕事」について


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(K0183) 生活(1) / トライアングル理論(10) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k0183110.html

新現役ネット 関西ブログ
読書サロン便り10月号(その2)
http://kansaiblog.shingeneki.com/e659303.html
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Facebook友達 高垣 清恵 さん のホームページより

===== 引用はじめ


そんな話の流れで講師の先生が
清恵さんは知らない所で
お徳を積む動きをされていますね
という風に言って下さったのを
嬉しく思った先週(照れ)

仕事は何ですか?
と聞かれる時に、
色んな顔があるから
いつもざっくりの説明をするのですが。

お金を頂くものも
お金を頂かないものも
目の前にきたお役目は
全てお仕事だなと思っていて。
お徳を積むという点で考えると
お金を頂くお仕事ももちろん尊いのですが
お金を頂かないお仕事を
いかに楽しんで取り組めるように
自分の気持ちを持っていけるか
という所にフォーカスして動くと
より、お徳を積めるのではないか
と思った次第です(照れ)


なので、お金にならないお役目が
目の前に来たときは
レベルアップのチャ~ンス(ウシシ)
だと思うと、ちょっと取り組み方も
楽しくなりませんかね?

===== 引用おわり

「お徳を積む」と「仕事」について
https://ameblo.jp/kiyo-an/entry-12323895591.html
(絵文字をカタカナに翻訳した)

 

私が思ったこと。

(1)  お金を基準としない価値判断

絶対的な価値基準がないと、お金で測るようになる
そのような基準とは異なる価値判断で動いている


(2)  動いた時点で報われている

自発的にやりたい、やろうとしたことを、している
ある意味、これほど幸せなことはない

 
(3) 「お徳を積む」ではなく「お徳が積まれる」ではないか

お徳を積もうとして動いているなら「お徳を積む」
そうではなく、結果として「お徳が積まれて」いるのではないか


(4)  依存しない三つ狙い
動いた結果得られるものとして意識しているのは、
「お徳」「楽しい」「レベルアップ」の三つ

よく言われる
「喜んでくれる」「感謝される」をあえて入れていない
相手の反応に依存せず、自分の中で完結している

だから、続けられているのではないか

(1041)  人口減少社会の地域人口変動(2) / 「人口減少社会の構想」(4-2)(放送大学)


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(K0182) 社会参加(2) / トライアングル理論(9) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k018229.html
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  前回からの続き
 

目標&ポイント
===== 引用はじめ

この集中のプロセスをコホートの視点から分析し、その結果としての現在の東京圏と地方圏はどのような状態にいたっているかを理解する。

===== 引用おわり


前回示したように、
人口移動研究からの側面からみると、移動を規定する要因として、二つが存在する

(1)     経済的要因
 一貫して、影響している

(2)     人口学的要因
 1950年代前半と後半との間を境目として、要因が変わった
 

前回は、「(1) 経済的要因」について書いた。
今回は、「(2) 人口学的要因について書く。

 

A)  潜在的他出者仮説

伊藤達也による「潜在的他出者仮説」というものがある。

伊藤は、「地方圏における平均4人以上のきょうだいのうち、後継ぎとその配偶者になる要員は地方圏に残る選択をするが、それ以外は潜在的に他出するポテンシャルをもつ」という仮説を提示し検証した。例えば「きょうだいの数が4人から2人に減ったことに伴い、潜在的他出者がいなくなったことにより、1970年代前半における大都市圏への人口移動が収束を迎えた」と説明ができる。

「日本の社会が家の継承・人口再生産の維持をその社会の基本的前提条件としていることに変わりない」と、少なくとも1980年時点まで説明できることが分かった。


B)  潜在的他出者仮説の有効性

しかし、1980年代に入ると流入超過が再び拡大し、伊藤仮説では説明できなくなった。

丸山他は、潜在的他出者を超えた人口を評価する「後継者充足率」を定義した。
後継者充足率=(P-S)/S
P=後継者理論値:出身地に残留することが期待される後継ぎ要員の数
S=人口:国勢調査の都道府県人口

出典:
丸山洋平・大江守之、「潜在的他出者仮説の再検討~親の移動を考慮して」
https://www.kri.sfc.keio.ac.jp/report/mori/2008/b-25/gakkaisiryou.pdf
 

1980年代コホートにおける後継者充足率によれば、秋田・青森・岩手、山口・島根、四国や九州のほとんどの県などで後継者充足率が低い状態が継続し、後継ぎ要員を確保できないという状況が定着する傾向がある。

 

「第4章 人口減少社会の地域人口変動」の目次

1. 人口減少社会の地域的差異と大都市圏への集中

2. 人口転換と人口移動   ← 今回は、ここ
(1) 潜在的他出者仮説
(2) 潜在的他出者仮説の有効性

3. 大都市圏郊外におけるポスト核家族時代

 

出典

大江守之、「第4章 人口減少社会の地域人口変動」、宮本みち子・大江守之、「人口減少社会の構想」、放送大学教材(‘17)

2017年10月29日日曜日

(1040)  人口減少社会の地域人口変動(1) / 「人口減少社会の構想」(4-1)(放送大学)


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(K0181) 社会参加(1) / トライアングル理論(8) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k018118.html
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目標&ポイント
===== 引用はじめ

これまで日本全体での人口減少、少子化、高齢化、家族変動をみてきた。これらはいずれも地域的差異を伴って進行し、今後も進行すると考えられる。その最大の要因は東京圏への若年人口の集中が続いていることにある。

===== 引用おわり
 

人口移動研究からの側面からみると、移動を規定する要因として、二つが存在する

(1) 経済的要因
 一貫して、影響している

(2) 人口学的要因
 1950年代前半と後半との間を境目として、要因が変わった

 
今回は、(1)経済的要因について

X=「人口減少都道府県の数」。人口集中化が進むとXが増える
Xの変動は、経済的要因と呼応している。(添付図参照)
 
  1950年代前半から1950年代後半にかけて、Xが増えた(825)。高度成長期の現象であり、過密過疎問題が議論された時代である

  1950年代後半から1970年代後半にかけて、Xが減り(251)、1970年代後半にはX=1となった。この1つが東京都だった。1970年代の前半にニクソンショック、オイルショックを経験し、高度成長が終焉に向かった。「地方の時代」がいよいよ到来したという議論がマスコミを賑わした。1977年に策定された第三次全国総合開発計画が「定住構想」をかかげて地方での総合的居住環境整備を進めることを高らかに宣言した

  1980年代前半から1980年代後半にかけて、Xが増えた(118)が、1980年代前半の1つは東京都ではなく、秋田県だった。バブルが発生し、「東京一極集中」が進行した

  1980年代後半から1990年代前半にかけてXか減った(1813)。バブルが崩壊して東京への一極集中が緩和された

  1990年代前半から2000年代後半(2005-2010)にかけて、Xが増え続けた(1338

  2000年代後半から2010年代後半まで、推計値によれば、Xがさらに増え続け(3846)、2010年代後半には、沖縄県を残して他はすべて減少となる

  2020年以降はすべての都道府県が減少に入る(X=47)と見通されている。

 

「第4章 人口減少社会の地域人口変動」の目次

1. 人口減少社会の地域的差異と大都市圏への集中   ← 今回は、ここ

(1) 人口減少と都道府県
(2) 都市圏への人口集中
(3) コホートでみる集中過程
(4) 地域ブロック別の人口分布

2. 人口転換と人口移動

3. 大都市圏郊外におけるポスト核家族時代

 

  次回に続く
 

出典
大江守之、「第4章 人口減少社会の地域人口変動」、宮本みち子・大江守之、「人口減少社会の構想」、放送大学教材(‘17)

2017年10月28日土曜日

(1039) 人間関係のトラブルと地震


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(K0180) 催し物情報(13) <催し物紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k018013.html
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大きな地震があるかもしれないと思うと、怖い
その通りである。

人間関係のトラブルがあるかもしれないと思うと、怖い
その通りである。
 

大きな地震を怖がっても、
地震を防ぐことは、できない。

人間関係のトラブルを怖がっても、
人間関係のトラブルを防ぐことは、できない。

稀なケースとして、トラブルのない人間関係もあるかもしれないが、
人間関係を結ぶ以上、トラブルがあるものだ。
 

地震の世界では、「防災から減災」への流れがある。
「日本では阪神淡路大震災以後、『減災』という取り組みが行われています」
http://www.youtoo-metoo.com/disaster-prevention/what-is-gensai/

人間関係のトラブルの世界においても、「減災」を考えてはどうか。
人間関係でトラブルが起こるのはしかたない。その被害を最小限にしたい

 

ケースにより、色々なことを考えねばならないが、
共通して効果の大きいのは、日頃の人間関係を良くしておくことだ。
 

大胆に言い切ってしまうと、
人は正義や理屈で動くものでなく、好き嫌いで動く。

その人が好きか嫌いかで、態度が変わる。
 

「人間関係のトラブルを起こさないように」ということにこだわりすぎると、
とかく人間関係をギクシャクしてしまう。

トラブルを起こさないようにしているのに、逆に、嫌われてしまう。


人間関係のトラブルは、どんなに注意しても、起きてしまうものだ。

その時に味方になってくれたり、助けたりしてくれる人がいると、
ピンチを脱出しやすい。

そもそも、日頃の人間関係が良いと、
人間関係のトラブルが起きにくい。



日頃から、困った人を助けよう。
その人が恩返ししてくれるかどうか分からない。

それでも、
困った人がいたら手を差し伸べよう。

難しいことではない。

素直な気持ちでおれば、
自ずと手を差し伸べるようになる。

2017年10月27日金曜日

(1038) ラッセル『幸福論』(0)


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(K0179) 仕事 / トライアングル理論(7) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k01797.html
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NHK-Eテレ 100de名著、11月は、ラッセル『幸福論』

第1回 11月6日放送/11月8日再放送
 自分を不幸にする原因

第2回 11月13日放送/11月15日再放送
 思考をコントロールせよ

第3回 11月20日放送/11月22日再放送
 バランスこそ幸福の条件

第4回 11月27日放送/11月29日再放送
 他者とかかわり、世界とつながれ!


月曜日   午後 10:25~10:50
()水曜日 午前 05:30~05:55
      午後 00:00~00:25

 

ラッセルの『幸福論』の原題は、”The Conquest of Happiness “ 。そのまま訳すと、「幸福の獲得」となる。幸福とは待っていれば向こうからやってくるものではなく、自ら獲得すべき能動的な営みである。
 

世界には、三大幸福論と呼ばれる名著がある

(1) ラッセル(イギリスの哲学者)『幸福論』 ← 今回とりあげる
  外に目を向けることが大切である
  実際の行動を最も重視する
  精神論にとどまらない論理性を備えている

(2) アラン(フランスの哲学者)『幸福論』
  くじけない楽観主義

(3) カール・ヒルティ(スイスの哲学者)『幸福論』
  信仰や信念を持って生きることが幸福につながる
 

ラッセルの『幸福論』は、二部構成になっている

(1) 第一部: 不幸の原因分析を行うと同時に、思考をコントロールすることでその原因を取り除く解決策を提示している

(2) 第二部: 自分の関心をどんどん外に向けつつ、同時にバランス感覚を忘れないようにすることで幸福になる術を提案している。

  

ラッセルは、二十世紀最高の知性の一人であり、多くの傑出した業績を残している。

(1) 数理哲学: 『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)など』

(2) 哲学: 『幸福論』など

(3) 平和活動: 『ラッセル=アインシュタイン宣言』など

 

来週からボチボチ紹介していくが、第三回の「趣味」「仕事」については、
既に別のBlogで引用している。

(K0178) 趣味 / トライアングル理論(6) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k01786.html

(K0179) 仕事 / トライアングル理論(7) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k01797.html

 
出典
小川仁志(2017/11)、ラッセル『幸福論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
 
 

2017年10月26日木曜日

(1037) まちづくりの目的 / 「ソーシャルシティ」(3) (放送大学)


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(K0178) 趣味 / トライアングル理論(6) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k01786.html
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目標&ポイント
===== 引用はじめ
「都市エクイティ」の概念を導入し、まちづくりの目的を明確にする。都市エクイティを高めるには、個々の来訪者の来訪価値を高める必要がある。そのためには、多様な消費者のニーズに応じた、モバイルICTによる現場での意思決定支援が重要となることを議論する。さらに、回遊行動研究を例に、まちづくり政策を科学的に評価する方法の理解を深める。
===== 引用おわり


まちづくりの目的を「まちを一つの事業体としてみて、都市エクイティを最大化すること」と定義する。ここで「都市エクイティ」の定義は、「都市を訪れる来訪者の心の中に醸成される当該都市の魅力資産価値」である。
 

都市形成システムに力点をおいて、これを言い換えれば、来訪者の来訪価値を最大化することが、まちの価値を最大化することである。


「都市エクイティ」の概念の意義は、これまで曖昧であった、まちづくりの目的を明確にし、まちの価値を計測可能な概念とするとともに、回遊行動マイクロデータに基づくまちの価値の計測を実際に試みることができることを示した点である。さらに、都市エクイティは、資産価値として金額ベースで計測されるので、より費用効果の高い施策の選択が明示的に可能になるはずである。


テキストでは、個々の政策がまちの価値にどのように寄与するか、福岡都市部の天神地区での駐車場政策に関する事例を紹介している。

 

「第3章 まちづくりの目的」の目次
1. 情報とまちの評価
2. 都市エクイティの概念
3. まちづくりの目的
4. まちづくり政策の科学的評価の方法
 

出典
斎藤参郎、「第3章 まちづくりの目的」、川原靖弘・斎藤参郎、「ソーシャルシティ」、放送大学教材(‘17)

2017年10月25日水曜日

(1036) 奇異な国の奇異な戦略 ~ 歪んでいないか、選挙予想


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(K0177) 「定年後トライアングル・モデル」 / トライアングル理論(5) <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k01775.html
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「勝ち馬に乗る(有利な方につく。勝った方に味方して便乗する。勝負事に勝った人、事業などで成功した者、力のある人の側について恩恵を受ける)」(デジタル大辞泉)という言葉がある。例えば、自民党総裁選挙において二人が拮抗しているとき、傍観する政治家たちは、最初は様子を見ていても、どちらかが勝ちそうなのがわかると、雪崩のように皆そちらに流れ、ゆくゆくのポストを狙う。


ところが甲子園野球や選挙になると、「判官びいき(悲劇的英雄、判官源義経に同情する気持ち。転じて、弱者・敗者に同情し声援する感情をいう)」(デジタル大辞泉)という全く違う態度を日本人はとる。
 

「苦戦しています。あと一歩です。清き投票をお願いします」というのが、選挙演説の常套句となっている。「私は負けそうだ」と言う。「勝ち馬に乗る」原理なら票は逃げ、「判官びいき」なら票が来る。つまり、日本国民の選挙原理は、「判官びいき」なのである。
 

「自民党大勝」いう選挙予想で自民党が負け、「自民党苦戦」という選挙予想で自民党が勝った例は、何回もある。これを応用すると、ある新聞社がA党を勝たせB等を負けさせようと企図した時、選挙予想において、A等を過小評価し、B等を過大評価すれば、投票を自分の思う方向に誘導できる。このようなことが起こったのではないかと考えた次第である。

 

前回の再録(選挙予想の評価)

===== はじめ

(1)     朝日新聞
 立憲(14人過小評価)、希望(6人過大評価)

(2)     毎日新聞
 立憲(8人過小評価)、自民(8人過大評価)

(3)     三社平均
 立憲(8人過小評価) … 朝日新聞と毎日新聞の過小評価の影響

(4)     産経新聞
 希望(6人過小評価)

(5)     藤波(B)
 希望(7人過小評価)

(6)     藤波(A)
 (過大評価・過小評価なし。最大誤差3人)

===== おわり
 

ここから逆読みすると、次のような推論になる

(1)     朝日新聞は、立憲を勝たせ、希望を負けさせたかった

(2)     毎日新聞は、立憲を勝たせ、自民を負けさせたかった

(3)     三社平均 … 意図なし

(4)     産経新聞は、希望を勝たせたかった

(5)     藤波(B)は、希望を勝たせたかった

(6)     藤波(A)は、企図が無かった

 
このうち産経新聞の日頃の記事から見るに、彼らが「希望を勝たせたかった」と考えることは、あり得ない。単に、希望の逆風を過大評価しただけだったと思う。藤波(B)は、日頃、産経新聞を読んでいるので、影響されたのだと思う。

 
藤波(A)、藤波(b)、産経新聞は、世論を操作する意図なく、純粋に予想したので、好成績を収めた、と言って矛盾は生じない。
 

朝刊販売数でみると、朝日新聞は産経新聞の4倍、毎日新聞は産経新聞2倍である(添付図参照)。販売数だけで決めることはできないが、朝日新聞や毎日新聞の取材力が劣っているとは考えにくい。それなのに、選挙予想に何故、惨敗したのか。純粋に選挙予想せず、予想精度を犠牲にしても、世論を操作するために、予想を意図的に歪めたのではないかと私は疑っている。確たる証拠はないので、「私はこう思う」としか言えない。今のところ仮説にすぎない。
 

私の仮説の正しさは、次のようにして確かめられるだろう。

(1) 過去数回の選挙予想を振り返り、特定の新聞社が特定の傾向を続けていたら、私の仮説は支持される

(2) 日頃の新聞記事が今回指摘した傾向と一致していたら、私の仮説は支持される

その確認まで手が回らないのが、残念だ。

 

なお、欧米では「勝ち馬に乗る」原理なので、勝たせようとする党を過大評価し、負けさせようとする党を過小評価するだろう。全く反対の戦略を用いると思う。