(1)
許すことにより先に進める。許されることを意味しない
三つの側面がある。①被害者の内面(「許す」)、②加害者の内面(「許される」)、③被害者と加害者の接点(「許さない・許されない」「許す・許される」)。①は③から独立している。③に独立して、被害者が「許す」という境地に至った時、次の段階が進み始める。「許す」と言って「許される」ものでなく、「許す」と言って終わるものでもない。
(2)
終わることにはない
「いのち」の問題は終わることがない。また、同じような事件が起こり得る
(3)
悲母観音 ~「煩悩」~
石牟礼は「煩悩」に特別の意味を与えており、それは悲母観音の図に表象される。
<各論>
(1)
許すことにより先に進む。許されることを意味しない
三つの側面がある。①被害者の内面(「許す」)、②加害者の内面(「許される」)、③被害者と加害者の接点(「許さない・許されない」「許す・許される」)。①は③から独立している。③に独立して、被害者が「許す」という境地に至った時、次の段階が進み始める。「許す」と言って「許される」ものでなく、「許す」と言って終わるものでもない。
===== 引用 はじめ P.98
患者さんの杉本栄子さんと緒方正人さんからいろいろうかがうちに、あるとき「私たちはもうチッソを許します」というお言葉で出てきました。私はハッとして「それはどういう意味でしょうか」と申し上げましたら、「いままで仇ばとらんばと思ってきたけれども、人を憎むということは、体にも心にもようない。私たちは助からない病人で、これまでいろいろいじわるをされたり、差別をされたり、さんざん辱められてきた。それで許しますというふうに考えれば、このうえ人を憎むという苦しみが少しでもとれるんじゃないか。それで全部引き受けます、私たちが」と。(『花の億士へ』)
===== 引用 おわり
(2)
終わることはない
「いのち」の問題は終わることがない。また、同じような事件が起こり得る
===== 引用 はじめ P.112
原田には『水俣病は終わっていない』と題する本があります。この言葉には意味が二つあります。
第一に、これまで見て来たように今も苦しんでいる人がいるということ、さらに水俣病で亡くなった人がいる以上、けっして終わることのない「いのち」の問題がそこにあること。
そして、「水俣病」は固有事件の名前であると同時に、将来起こるであろう、公害事件の別名だということです。
===== 稲用 おわり
これは、「水俣学」に引き継がれている。
(3)
悲母観音 ~「煩悩」~
石牟礼は「煩悩」に特別の意味を与えており、それは悲母観音の図に表象される。
写真は、狩野芳崖が描いた悲母観音の図である。「神秘的な、東洋の魂のもっとも深い世界を、日本人の宗教意識のもっとも奥のところを描ききった名作だと思いますけれど、わたしが申しますときの煩悩の世界とは、あの絵のような世界を思い浮かべております」(P.114)。
「情愛と申した方がしっくりいたします。そのような情愛をほとんど無意識なほどに深く一人の人間にかけて、相手が三つ四つの子供に対して注ぐのも煩悩じゃと。人間だけでなく、木や花や犬や猫にも、煩悩の深い人じゃと肯定的にいうのです」(P.113)
若松英輔(2016/9)、石牟礼道子『苦海浄土』、100分de名著、NHKテキスト
アドラー『人生の意味の心理学』 ~人生を決めるのはあなたです~、岸見一郎
これは、2016年2月のアンコール放送。
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