自民党内で、石破首相の退任を求める声と、留任を求める声とが錯綜しています。石破首相のせいで落選したと怒っている人、このままでは次の当選は覚束ないと心配している人や地方組織、ポスト石破を狙う人、過去に因縁のある人は退任を求め、現政権を支えている人たちは留任を求めています。どちらが正しいかではなく、各々の立場が発言を決定づけています。「敗北の責任をとって辞めよ」とか「敗北したが引き続き責任を果たせ」は、単なる飾り言葉です。
自民党外でも賑やかになってきました。《# 石破やめるな》ハッシュタグが出回り、25日夜には首相官邸前でデモがあり、「石破は頑張れ」「石破は辞めるな」と声を張り上げたそうです。さらに、れいわ新選組の山本太郎代表、社民党のラサール石井氏など、自民党外からも「継投」を望む声が上がっているといいます(産経新聞 2025/07/26)。異様な展開です。
この謎は、「立場が発言を決定づける」を思い起こせば解けます。れいわも社民も、自民をつぶしたい立場にいます。その立場から継続を望むということは、継続すれば自民はつぶれると考えていると推定されます。賢い彼らは、正しい情勢判断をしていると私は思います。さらに彼らは賢いので「自民党をつぶせ」など無粋なことは言わず、他党の党首が苦しんでいる時にエールを送るという、心温まる対応をしています。
世論調査の位置づけが変わっています。
(1)
(静的)人々がどのように考えているかを調べる
が従来の位置づけでしたが、
(2)
(動的)人々の考えを変えさせる手段であり、調査結果はある意図を表すものである
という要素が入ってきました。世論は観察するものではなく、操作する対象になってきました。SNSの拡散が、それを支えています。
《# 石破やめるな》には、世論操作の意図があると考えるのは、考えすぎでしょうか。自分の意見を述べることは当然のことであり、大切ですが、本音が分かりにくくなっています。