2021年5月22日土曜日

(2342) 三島由紀夫 『 金閣寺 』(4-2) / 100分de名著

 【 読書 】 『私の遍歴時代』には、この作品を書いた後に「何としてでも、生きなければならぬ」という思いが生まれたと書いてあります。その言葉が『金閣寺』の最後の一文として改めて記されている。これは三島自身の一つの決意表明でしょう


第4回  24日放送/ 26日再放送

  タイトル: 永遠を滅ぼすもの

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)    周到な準備と天の励まし

(2)    禅海和尚との対話

(3)    二元論を解消する理想の父性

(4)    虚無としての金閣

(5)    金閣放火

 

(6)    「生きようと私は思った」の意味

(7)    なぜ三島は溝口を生かしたのか

(8)    『鏡子の家』での挫折

(9)    三十代後半のトラブル、そして

(10)   終わらせられない人の声としての小説

 

【展開】

(1)    周到な準備と天の励まし

(2)    禅海和尚との対話

(3)    二元論を解消する理想の父性

(4)    虚無としての金閣

(5)    金閣放火

以上は、既に書きました。

 

(6)    「生きようと私は思った」の意味

 一度は炎に包まれて金閣と共に死のうと思ったが、拒まれたため、自分は外側から金閣が滅びるのを見た。行動で世界が変わる様を確認し、自分も変わった。そして自分は生きようと思った。これは、作者三島の中で象徴的に起きたことだと思います。

 このラストシーンは意味を二重化して読むことができるわけです。まず作者三島は、『金閣寺』を書くことによって象徴的に戦中の体験を否定した。そのことにより、実際に「生きようと私は思った」。三島は、この言葉通りの思いを抱いていたと僕(=解説者)は考えています。

 一方で主人公の溝口は、犯行後、一種の虚脱感に襲われています。「生きようと私は思った」という言葉は、決意表明にはほど遠く、つぶやきのようなニュアンスです。

 

(7)    なぜ三島は溝口を生かしたのか

 読者の中には、溝口も金閣と共に死んだ方が認識と行動が一致するのではないか、その方が小説として劇的ではないか、と思う人がいるかもしれません。確かに、溝口は金閣と共に死のうと試みています。しかし金閣にそれを拒まれ、共に滅ぶことはできませんでした。

 この展開も、三島の戦中体験と重なっていると僕(=解説者)は見ています。三島にとって軍隊から拒まれ、戦場で死ぬことができなかったという経験は大きかった。

 『金閣寺』で、溝口に死んでもらうことによって自分がポジティヴに生きていくという考え方もあつたかもしれません。しかし、三島自身が生きていこうと考えているなら、登場人物も生きているべきではないか。そんな発想があったようにも思えます。

 

(8)    『鏡子の家』での挫折

 三島は『金閣寺』執筆の14年後、45歳で自死します。そのきっかけとなったのが、三島が『金閣寺』の次に挑んだ長編小説『鏡子の家』(1959)だったのではないかと僕(=解説者)は推察します。三島が溝口に託して言った「生きようと私は思った」の意味を考える上でも外せない作品です。

 『鏡子の家』は、絶対者なき世界で人はどう生きていったらいいのかを、三島が具体的に考えようとした作品です。『金閣寺』と『鏡子の家』はその意味で対になる作品です。

 まさに芸術家としての実践であった『鏡子の家』ですが、文壇での評価は低いものでした。三島はこれに大変傷ついてしまうのです。

 

(9)    三十代後半のトラブル、そして

 30代後半にトラブルが続き、この時期は小説を書くのが嫌だった、作家としてもスランプに陥っていた、と後に三島自身が告白しています。

 そのスランプを脱するきっかけになったのが、昭和41(1966)年に刊行した『英霊の聲』でした。二・二六事件を起こした青年将校らの霊が自分たちを見捨てた天皇を切々と呪証し、特攻隊員の霊が戦後の人間天皇を批判するこの短編は好評を博しました。

 そこから三島の死に至るまでの経緯について、僕(=解説者)の基本的な考え方だけを述べておくと、三島の死は、彼個人の資質だけに帰すべきものではなく、ある時代を経験した人間としての死と捉えるべきだと思っています。

 

(10)   終わらせられない人の声としての小説

 『金閣寺』に描かれているのは、世界をニヒリズムとして認識する見方と、その上でどうやって生きればよいのかという問いです。周りの多くの人は現実に順応して生きているのに、自分だけがそこから疎外されているようで苦しい。それは、十代で経験した戦中的価値観をすべて否定されて二十歳で戦後社会に放り出された三島の苦しみでした。

 戦後派作家は、敗戦と共に突然我が世の春が来たかのように解放されて、一気に大きな顔をし出した。人間はそんなにすぐ変われるはずはない。引きずるはずのことを引きずっていない、そのことに対して三島は苛立ちに近い感情を持っていました。

 

<出典>

平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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