2020年6月11日木曜日

(1997)  カント『純粋理性批判』(3-1) / 100分de名著




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第3回のポイントは、「究極真理を求める問いをどう始末したのか」

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第3回  15日放送/ 17日再放送

  タイトル: 宇宙は無限か、有限か





【テキストの項目】

(1)  「究極真理」の探究に終止符を打つ

(2)   理性はときに暴走する

(3)   私たちの魂は死後も生き続けるか?

(4)   宇宙に始まりはあるのか?

(5)   答えの出ないアンチノミー

(6)   なぜアンチノミーが生まれるのか



(7)   理性がもつ二つの「関心」

(8)   人間に自由はあるのか?

(9)   神は存在するのか?

(10) 理性は「理念」を思い描く

(11) カントが考えた哲学再生の秘策



【展開】

(1)  「究極真理」の探究に終止符を打つ

 古来、哲学は、神の存在、死後の魂、字宙の始まりなど、究極真理の探究という答えの出ない問いを問い続けてきたとカントは指摘しています。どんなに考えても答えは出ないのに、「これこそが答えだ」という独断論と、「いやいや、それはおかしい」という懐疑論が無益な戦いを繰り広げてきた。そんな哲学の歴史に終止符を打つことが、『純粋理性批判』の後半に課せられた第一のタスクです。

 そして、人間がよりよく生きるには何が必要かということを考える学問として哲学を再生すること。それが第二のタスクであり、『純粋理性批判』の最終ゴールでもあります。



(2)   理性はときに暴走する

 とくにポイントとなるのは感性の形式である「空間・時間」です。空間・時間のなかで経験される物事の次元(現象界)にとどまっている限りは、みんなが「そうだよね」と共有できる答えに至ることができる。 具体的な観察や記録にもとづいて合理的な推論をすることができるからです。

 しかし暴走した理性は、この共有可能な現象界を飛び出し、際限なく推論を進めて「答えの出ない問い」をつくり出してしまう。 そして、合理的に共有可能な根拠を示すことができない「独断論」になってしまいます。



(3)   私たちの魂は死後も生き続けるか?

 いにしえの時代から、宗教者たちは死後の世界を饒舌(じようぜつ)に語り、晢学者は人間の魂が死後も生き続けることを証明しようとしてきました。古くはプラトンの『バイドン』が有名ですが、近代のデカルトも、肉体がなくても魂は自律的に存在しうると主張しました。心は非物質的で、不壊不滅であり、時間の流れに関わらず常に同一である――これがデカルトの議論です。カントは、これを誤謬推理(誤った推論)であると一刀両断にします。

 カントは「不死なる魂は存在しない」と主張しているのではありません。心の働きのおおもとにあるかもしれない魂は原理的に認識できませんから、「ある」とも、「ない」ともいえなすのです。そういう意味で、いくら議論しても答えは出ない、というのがカントの結論です。



(4)   宇宙に始まりはあるのか?

 カントは、答えの出ない問いとして、さらに四つの「アンチノミー」を挙げ、なぜそれらに答えが出ないのかを示しています。アンチノミーとは、対立する二つの命題がどちらも証明できてしまい、どちらが正しいのか決着がつかない状態を指します。日本語では「二律背反(にりつはいはん)」とも訳されます

●カントが俎上にのせた4つのアンチノミー●

①字宙は無限か、有限か

②物質を分解すると、これ以上分解できない究極要素に至れるか否か

人間に自由はあるのか、それともすべては自然の法則で決定されているのか

世界には、いかなる制約も受けないものが存在するのか否か



●1つ目のアンチノミー●「宇宙は無限か、有限か」

 この問いには、時間的に無限か有限か(宇宙に始まりがあるか否か)という問題、空間的に無限か有限か(宇宙には果てがあるか否か)という二つの問題が含まれます。

 「ある命題を真だと認めると、そこからこんな矛盾が生じる。だからその命題は間違いだ」と証明する方法のことを「背理法」とか「帰謬論」といいます。カントは、正命題(有限説)と反命題(無限説)の両方について論証しました。



(5)   答えの出ないアンチノミー

 有限説も無限説も誤っていて、どちらも「正しい」とはいえなくなってしまいました。宇宙が有限か無限かという問いは、決して答えの出ない問い、つまりアンチノミーだということになります。



●2つ目のアンチノミー●「物質を分解すると、これ以上分解できない究極要素に至れるか否か」

 これについても、究極要素に至れるという説(分解は有限回でストップする)と、究極要素は存在しないという説(無限に分解できる)とがあります。カントは、この問いについても、空間・時間の話とほとんど同じ論法によって、どちらも正しいとはいえないと証明してみせるのです



(6)   なぜアンチノミーが生まれるのか

 しかしなぜ、アンチノミーが生まれるのでしようか。カントはいいます――「世界全体」は、物のような客観的な対象ではない。だから答えが決まらないのだ、と。

 空間・時間のなかに位置づけられる対象については、答え(共通理解)がつくれる。しかし世界全体はそのような対象ではなく、限りなく時間を遡り、遠くを想像することによって、究極の全体性として思い描かれたものです。



以下は、後日かきます。

(7)   理性がもつ二つの「関心」

(8)   人間に自由はあるのか?

(9)   神は存在するのか?

(10) 理性は「理念」を思い描く

(11) カントが考えた哲学再生の秘策



<出典>

西研(2020/6)、カント『純粋理性批判』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)


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