2020年1月30日木曜日

(1862)  語り継ぐべきは何か / イッテンイチナナカラ(5)

 
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(K1003)  人間の安全保障指数 / 人とのつながりに課題 <地域の再構築><高齢期の仕事>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/01/k1003.html
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「聞いたことをそのまま伝える」=「語り継ぐ」ではない。内容は必ず劣化する。被災者と同じ感情にはなれないので伝えられるのはわずか。被災者と関わることを通じて変わった、自分の感情や考えも語り継いでほしい
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 (1860)からの続きです。
(1860)  価値観に従うが、価値観に囚われない / イッテンイチナナカラ(4)
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/01/1860-4.html
 
 「風化させてはいけない」「忘れてはいけない」「伝えなければならない」とよく言われます。「阪神・淡路大震災は経験していない世代である大学生」は、被災された方の話を聞いて、その思いを強くしているのではないでしょうか。
 
 
 ところで、語り継ぐべきものとは何でしょうか。単純に考えると、「被災者から聞いたことをそのまま伝える」となりそうです。何が起こったかを言葉で伝えることは、できそうですが、これでは「語り継いだ」とは言えないでしょう。伝えるうちに、必ず内容が劣化します。また、被災者の思いをそのまま感じ取ることはできないので、それを伝えることもできないでしょう。
 学生は、「神戸の震災の教訓を語り継ぐには」という問題意識を持っていたが、「経験していないのに」と言われ、若い世代に伝えられない!と感じたようです。「教訓」は、言語化されているので、被災者の感情を伝えるより、はるかに楽なはずです。それでも、うまくいかないのです。
 


 学生たちの話を聞いていて、私は共通のものを見いだしました。彼らは被災者との接触を通じ、感情が動き、考えが変わったようです。

 聞き取った事実を伝え、聞いた内容を(感情表現も含め)できるだけ加工せずそのまま伝え、教訓の形にして伝える。それはそれで良いと思います。それともう一つ。
 「感情が動き、考えが変わった」。それが何だったのかを言語化し、語り伝えてほしいと、私は思います。他人の話を聞いたことを伝えるだけではなく、自分の中に起こった変化を、自分の言葉で伝える。


 
 そのことにより、聞いた人は、追体験する余地が増えるでしょう。それが、「語り継いだ」ことにつながると私は思います。
 
続く(連続でなく)
 
<出典>
写真は、
https://mainichi.jp/articles/20200120/ddl/k28/040/185000c

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