2018年12月22日土曜日

(1457)  不謹慎狩り (3) 背景にある不寛容さ

 
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(K0598)  死を見つめる心(5) 評価のものさし捨てよう 人はみな価値ある存在 <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/12/k0598-5.html
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 不謹慎狩りの背景に、不寛容さがある。
 
 なぜ他者に対する不寛容が蔓延するのか

===== 引用はじめ
 では、なぜ他者に対する不寛容が蔓延(まんえん)するのか。ロバート・パットナムという米国の社会学者は、これを「社会関係資本」(人々のつながり)の低下によるものと分析している。彼は、社会的なつながりがなくなると、人は孤立し、他人への寛大さや、他人と自分が平等だという意識、そして政治的参加の意欲が低下すると指摘し、それは世界的傾向であると述べている(『孤独なボウリング』)。
===== 引用おわり
 
 これは説得力がある。社会的なつながりがなくなれば、人は孤立し、他者への寛大さは必要なくなり、他人と自分との関係性も意味がなくなる。その結果、不謹慎狩りを抑制する力が弱くなる。
 


 頼るのは家族

===== 引用はじめ
 日本でも「社会的なつながり」の低下が指摘されている。筆者が行った調査で、災害、健康問題、仕事、経済状態などで困ったとき、誰に頼ることができるかを尋ねたところ、ほとんどの人が「家族」と答えた。逆に言えば、家族がいない人は厳しい状況に置かれることになる。頼れるものは何もないという人も多い。何とも寂しい社会の風景である。
===== 引用おわり
 
 これは、飛躍があるのではないか。家族を頼れることは幸せなことで、家族以外に頼らなければならない必要性が相対的に下がる。家族がいる人のほとんどが「家族」と答え、家族のいない人はそもそも家族以外に頼れる人をつくっているので、「家族」とは答えないだろう。
 「逆に言えば、家族がいない人は厳しい状況に置かれている」とは単純には言えないだろう。
 


 ストレスが、具体的に自分に被害の及ばない「不謹慎行為」にさえ攻撃的行動をとらせる。

===== 引用はじめ
 このように個人が孤立した状況では、人は他人に共感を持つよりも自己を守るために他人に対して不寛容な構えをとらざるを得なくなるのかもしれない。そのストレスが、具体的に自分に被害の及ばない「不謹慎行為」にさえ攻撃的行動をとらせ、それを一種のエンターテインメントとするような心的態度を構成するのかもしれない。
===== 引用おわり
 
 「ストレスの解消のために不謹慎行為に攻撃的行動をとらせる」という分析は、説得力がある。「それを一種のエンターテインメントとするような心的態度を構成する」という指摘も、なるほどと思った。
 


 生き心地の良い社会

===== 引用はじめ
 ひとりぼっちで生きる「孤人」たちの社会が、生き心地の良い社会であるはずはない。他者に対する「共感」と「寛容」をもう一度育て、生き心地の良い社会について考えたい。
===== 引用おわり
 
 その通り。
 


<出典>
「孤人社会」と他者への不寛容
産経新聞(2018/11/09)
 
【iRONNA発】不謹慎狩り 「孤人社会」と他者への不寛容 遠藤薫氏
https://www.sankei.com/premium/news/181111/prm1811110003-n1.html

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