2018年12月23日日曜日

(1458)  (38) 夏目漱石『吾輩は猫である』 / 「明治の50冊」

 
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夏目漱石『吾輩は猫である』
 
(1)  猫の目で風刺する

(2)  明確なストーリーはない



(3)  知識人たちを揶揄して見せた

(4)  神経衰弱のセラピーともなった

(5)  「新しさ」

(6)  今日的意義
 


【展開】

(1)  猫の目で風刺する

 〈吾輩は猫である。名前はまだ無い〉。そんな有名な書き出しで知られる文豪・夏目漱石の処女小説『吾輩は猫である』。人間の生態を「猫の目」で風刺するユーモラスな長編は漱石の文名を一躍高め、時代を超えて読み継がれていく。
 

(2)  明確なストーリーはない

 明確なストーリーはないが、淡々と人間模様を観察する「吾輩」の皮肉交じりの語りに、人間の愚かさや悲しさ、痛烈な文明批評がにじみ出る。
 

(3)  知識人たちを揶揄して見せた

 明治文学は基本、悩めるエリートの心の闇を描くジャンル。でも漱石は一歩引いた視点で、その知識人たちの勘違いやいけ好かなさ、ズッコケぶりを揶揄(やゆ)してみせた。
 

(4)  神経衰弱のセラピーともなった

 猫が家に転がりこむ設定は実体験と重なるし、苦沙弥先生は自身と同じ教師。漱石は写生文と「猫の目」を使い、自らと周囲の営みを、近すぎない一定の距離から眺めている。「自分の苦しみも客観し、笑ってしまえば楽になる。執筆は漱石にとって神経衰弱のセラピー(療法)ともなった」
 

(5)  「新しさ」

 日本の近代文学の一特色である自分の感情を告白的に訴えかけるという主観的な方法以外に、自分を対象化して批評の俎上にのせるという自己探求の方法があることを暗示した
 

(6)  今日的意義

 風刺を共有し、くすくす笑えること。それはコミュニティーの健全性を測るバロメーターでもある。110年余り前の古典は問いかける。深く考え、議論し、笑う。そんな心の余裕はありますか?
 


【プロフィル】夏目漱石(なつめ・そうせき)

 1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)生まれ。本名は金之助。帝国大学英文科卒。松山中学、第五高等学校の教職を経て、英国に留学する。帰国後、東京帝国大学などで教える傍ら『吾輩は猫である』などを執筆。明治40年から朝日新聞社社員となって創作に専念し、『三四郎』『それから』『門』『こころ』などを発表する。1916(大正5)年、最後の大作『明暗』を執筆中に胃潰瘍が悪化し49歳で死去。
 

<引用>
夏目漱石『吾輩は猫である』 自身も対象に痛快文明批評
【明治の50冊】 (37) 産経新聞(2018/11/26)
 
(38)夏目漱石『吾輩は猫である』 自身も対象に痛快文明批評
https://www.sankei.com/life/news/181203/lif1812030013-n1.html


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