2018年2月19日月曜日

(1153)  (5) 三遊亭円朝『怪談牡丹燈籠』 / 「明治の50冊」

 
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(K0294)  「これまでの住まい課題(2)」 <高齢期の住まい>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0294-2.html
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===== 引用はじめ
 『怪談牡丹燈籠(ぼたんどうろう)』は、近代落語の祖といわれる三遊亭円朝の代表作だ。焦がれ死にした美しい娘の幽霊が、駒下駄の音を響かせ、夜ごと恋人の元へと通う…。旗本の娘お露(つゆ)と浪人・萩原新三郎の悲恋の凄惨(せいさん)な結末は、歌舞伎化もされ、落語を離れた怪談として知る人も多いだろう。

 劇作家の岡本綺堂は、円朝の「牡丹燈籠」の思い出を記している。13、14歳のとき、評判を知って速記本を近所の人から借りて読んだが、さほど怖いと思えない。高をくくって寄席に行くと、自分一人が古家で怪談を聴かされているような気になり、円朝の話術におびやかされて夜道を逃げるように帰ったという。
===== 引用おわり
 
 ここまでなら、話は落語の世界の中で終わっている。実際は、落語の世界を飛び出して、大きな影響を与えた。きっかけは、
 
===== 引用はじめ
 この噺(はなし)を円朝は23~24歳のころに創作した。刊行は明治17(1884)年。日本初の実用速記者と呼ばれる若林玵蔵(かんぞう)らが、高座で演じられたままを筆記した速記本だった。
===== 引用おわり
 
 「速記が実用化されていく時期と、言文一致的な発想で作家たちが書いていく時期が重なり、そこに売れっ子の円朝がたまたま関わった」という背景があって、「円朝の速記本は、文学の言文一致運動に影響を与えたことでも知られる」


『円朝全集』(岩波書店)編集委員の清水康行・日本女子大教授(国語学)によれば、
===== 引用はじめ
 二葉亭四迷は坪内逍遥に「円朝の落語通りに書いてみたらどうか」とアドバイスされ、山田美妙も自作を「円朝子の人情噺の筆記に修飾を加えた様なもの」と述べている。

 言文一致では、どんな敬語法を使うのか、文末をどこで区切るのかが問題となった。『怪談牡丹燈籠』の文体は直接の解決には結びつかないが、談話調として完成度が高く新鮮で、人々に大いに受け入れられ、新しい文芸運動のシンボリックな位置を占めたようだ。
===== 引用おわり
 

さらに、
 

===== 引用はじめ
 円朝の速記本は続々と刊行され、他の落語家や講談師による速記本や速記雑誌、新聞連載などを生み出した。速記雑誌は大衆文芸雑誌へと発展していく。
===== 引用おわり
 


【プロフィル】三遊亭円朝(さんゆうてい・えんちょう)
 天保10(1839)年、江戸・湯島で落語家の息子として生まれる。本名・出淵(いずぶち)次郎吉。7歳で高座に上がり、9歳で父の師である二代目三遊亭円生に入門。安政2(1855)年に円朝を名乗り真打となる。芝居噺を大道具・鳴り物入りで演じて人気を博したが、のちに扇子一本の素噺に転向。代表作は「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」「怪談牡丹燈籠」「塩原多助一代記」など。明治33(1900)年、死去。
 
 

引用
怪談牡丹灯籠 「言文一致」文芸運動の象徴 産経新聞(2018/02/15

(5)三遊亭円朝「怪談牡丹燈籠」 「言文一致」文芸運動の象徴
http://www.sankei.com/life/news/180212/lif1802120021-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)



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