2018年2月6日火曜日

(1141)  (4) 文部省音楽取調掛編『小学校唱歌』 / 「明治の50冊」


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 『小学唱歌集』は、文部省音楽取調掛が編集した日本初の五線譜による音楽教材だ。明治14(1881)年から17年にかけて、初編から第三編まで出版された。全91曲中には「蝶々」「蛍の光」「仰げば尊し」「庭の千草」など、今も歌い継がれる曲が含まれる。

 「唱歌」(音楽)は明治5年の学制発布により、小学校の教科として登場。欧米の教育制度にならって取り入れたものの、何をどう教えていいのか分からない。そのため、学制でも唱歌は「当分之(これ)を欠く」と書かれ、授業の実施は見送られていた。12年、文部省内に音楽取調掛が設置され、米国留学から帰国した伊沢修二や、米国で音楽教科書を著したL・W・メーソンらが中心となり、実施に向けた作業がスタートした。
 

 「東西二洋の音楽を折衷して新曲を作る」という方針が打ち出されたが、「蛍の光」はスコットランド民謡、「仰げば尊し」はアメリカの卒業の歌が原曲で、大半は外国曲に日本語の歌詞を当てはめたもの。モーツァルトのオペラ『魔笛』のアリアに、道徳的な歌詞をつけた「誠は人の道」という作品まである。

 「日本の音楽も取り入れるという和洋折衷は理想論で、実質は洋楽中心。『小学唱歌集』以前に、雅楽や箏曲などを用いた音楽教育が試みられたが、わずかな片鱗(へんりん)が残されるのみとなった」(東京学芸大名誉教授の沢崎真彦氏)

 もともと地歌や箏曲などの日本音楽は、楽譜ではなく師匠から口伝えに教わるもの。五線譜に移しても、数学的な単位で並べられる音符の長さや、音と音との幅が違う。真の意味での和洋折衷は、現在も達成されていないテーマだろう。今や日本人にとっての音楽は西洋音楽で、邦楽は異文化となったが、その方向性を決めたのが『小学唱歌集』だった。
 

【用語解説】文部省音楽取調掛(もんぶしょうおんがくとりしらべかかり)
 日本に音楽教育を取り入れるための調査研究を目的に、伊沢修二(1851~1917年)=写真=らの上申により明治12年に設置された。東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)の前身。アメリカ人音楽教育者のL・W・メーソンを招き、唱歌教育および教員養成などにあたった。

 
引用
理想に終わった和洋折衷 産経新聞(2018/02/01

(4)文部省音楽取調掛編 小学唱歌集 理想に終わった和洋折衷
http://www.sankei.com/life/news/180129/lif1801290016-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)

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