2017年9月11日月曜日

(991) 国民国家・帝国主義・全体主義 / 『全体主義の起原』(ハンナ・アーレント_) (2-3)


◆     最新投稿情報
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(K0132) 事例研究構想 / 定年女子 <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k0132.html
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9月11日放送/9月13日再放送
100分で名著』 Eテレ 放映
月曜日   午後10:2510:50
()水曜日 午前05:3005:55、午後00:0000:25
 
『全体主義の起原』のサブタイトルは、第一巻が「反ユダヤ主義」、第二巻が「帝国主義」、第三巻が「全体主義」。今回は、「帝国主義」。


===== 引用はじめ  P.59
アーレントが『全体主義の起原』の第一・二巻で提示したキーワードを整理すると、「他者」との対比を通して強化される「同一性」の論理が「国民国家」を形成し、それをベースとした「資本主義」の発達が版図拡大の「帝国主義」政策へとつながり、その先に生まれたのが全体主義――ということになります。
===== 引用おわり
 
第二巻(第2回放送:今回)部分については、以下にもう少し分解して、整理する。
 

この「100de名著」の著者は、続いて次のように書いている。

===== 引用はじめ  P.59
いずれのキーワードも、太平洋戦争へと突き進んだ戦前の日本、戦後七十年を経て再び右傾化の兆しが見える現代の日本にぴたりと符号するのではないでしょうか。
===== 引用おわり
 

私は一応最後までテキストに目を通したが、このコメントの根拠は示されていない。私なりに『全体主義の起原』を理解したつもりだが、このコメントは間違っていると思う。著者は、ヨーロッパに詳しいが、失礼だが、日本の歴史を学んでいないのではないか。

これまでも、このブログで日本のケースと対比を示してきた。今回も、最後の方に私の意見を書いている。

本にそって考え方を整理したものと、私の意見とは分けて書いている。私の意見を嫌う方は、その部分は無視してください。それ以外は、私見は入れず、本の内容にできるだけそって書くようにしている。

 

メインストーリー

(1) 国民国家は、帝国主義に向かっていった。

(2) 帝国主義は、「海外帝国主義」「大陸帝国主義」と二つの方向に向かった

(3) 帝国主義は、二つの思潮をもたらした(「人種」思想と「民族」的ナショナリズム)

(4) 二つの思潮は、国民国家を解体へと向かわせた

(5) 二つの思潮は、全体主義に継承されていった

 


<各論>

(1) 国民国家は、帝国主義に向かっていった。

===== 引用はじめ  P.34
一応の政治的統一を遂げた西欧諸国は、経済的にも資本主義が緒に就き、次第に西欧の「外」へと目を向けるようになります。工業製品の原材料や市場を求めてアフリカやアジアの国々に進出し、競うように植民地を拡大していったのです。
===== 引用おわり
 

(2) 帝国主義は、「海外帝国主義」「大陸帝国主義」と二つの方向に向かった

===== 引用はじめ  P.50
イギリスや、フランスなど、海を越えて版図の拡大を図った「海外帝国主義」に対し、ヨーロッパからアジアに至る地続きの大陸で帝国建設を目指したドイツやロシアは「大陸帝国主義」と呼ばれます。二つの大陸帝国主義の煽りを受けたのが、多民族国家であるオーストリア・ハンガリー帝国。ドイツ人もスラブ人も多かった同国では、汎ゲルマン主義と汎スラブ主義が同時に発展したとアーレントは指摘しています。
===== 引用おわり
 

(3) 帝国主義は、二つの思潮をもたらした(「人種」思想と「民族」的ナショナリズム)

===== 引用はじめ  P.35
西欧諸国の帝国化が加速したのは十九世紀の後半。その罪過としてアーレントが注目したのは、「人種」思想と「民族」的ナショナリズムです。
===== 引用おわり
 

(4) 二つの思潮は、国民国家を解体へと向かわせた

===== 引用はじめ  P.35
国民国家の基盤である「国民」意識は「排除」のメカニズムを起動しただけでなく、帝国化を推し進める「拡張」のエンジンとなって、国民国家の枠組みを自ら壊していったのです。
なぜ、このような本末転倒が起こったのか。その原因として、国民国家と帝国主義は、そもそも相容れないものだったとアーレントは分析します。
===== 引用おわり

 
(5) 二つの思潮は、全体主義に継承されていった。

===== 引用はじめ  P.
全体主義の、そもそもの起原をたどっていくと、そこには「同一性」の論理があるというのがアーレントの結論です。… 帝国主義と全体主義の間には、帝国の基盤となっていた「国民国家」の衰退と、それに伴う危機意識があるとしています。
どんな危機意識が、どのように生まれ、全体主義を形成していったのか。つづく第三巻「全体主義」で読み解いていくことにしましょう。
===== 引用おわり

 

<日本の歴史との関連性(私見)>

 私は、次のように理解している。

明治維新を迎えて、最大の課題は、いかにして植民地化されないかであった。というのは、日本以外のアジア諸国は次々と植民地化されており、中国も香港や澳門などむしばまれていた。二種類の脅威があった。一つは、南側/太平洋側から来る欧米諸国の脅威、もう一つは、北側/満州・朝鮮方向から来るロシアの脅威であった(なお日本に迫るロシアの帝国主義は「海外帝国主義」型であって、ヨーロッパで繰り広げられた「大陸帝国主義」型ではない。全体国家に向かったのは、この「大陸帝国主義」である)

それらの日本としての脅威「帝国主義」に対抗するため、日本は帝国主義化した。ドイツやソ連の帝国主義化の由来とは全く違う。

 

第2回 帝国主義が生んだ「人種思想」

(1)  近代「帝国主義」の特質
(2)  アフリカ争奪戦が醸成した「人種」思想
(3) 「民族」的ナショナリズムの勃興
(4)  国民国家の枠組みを壊した「血」の論理
(5)  戦争と革命が生んだ「無国籍者」の問題

 

出典:
仲正昌樹、ハンナ・アーレント『全体主義の起原』、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/9)

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