2016年11月30日水曜日

(708) 信頼するということ(2/2)


前回からの続き

 1.       「何をもって信頼できるのか。ぜひ詳しく説明してほしい」

2.       「戦地での過酷な経験から、人を信じられなくなっていた」

3.       仮説

4.       「ペット以下の存在」

5.       私は、人を信頼しているのか

 

今回は、3~5

 

3.仮説 

 これは、あくまでも仮説であるが、蓮舫さんは「信頼関係はない」という生き方をしている人ではないだろうか。

 もしもそうなら、「何をもって信頼できるのか。ぜひ詳しく説明してほしい」という質問は、ごく自然である。

 「信頼関係なんて本当はないのに、『信頼できる指導者だと確信した』なんて、嘘でしょう。その欺瞞を暴いてやる」という意気込みなのか、「私は誰に対しても『信頼できる指導者だと確信した』などとは到底思えない、どうしたらそんな心境になれるのか教えてほしい」と謎を解こうとしているのか、どう言えば相手が困るかを考え困らせようと「変な質問だ」という自覚無く質問しているのか。

 この仮説 ~蓮舫さんは「信頼関係はない」という生き方をしている人~ が正しいという確証はないが、そのような仮説をおくし、起きていることを無理なく説明できる。

 

4.「ペット以下の存在」

 ===== 引用はじめ

 二重国籍問題がくすぶり続けている民進党の蓮舫代表(48)。そのイメージアップを狙ったのか、テレビカメラを東京目黒区にある豪邸に初めて入れ、子供や母親、夫といった家族全員を紹介したところ、内容があまりにも酷すぎるとして激しい批判が起きた。

こうした番組の場合は普通、夫婦円満や家族仲の良さを強調するものだが、蓮舫氏は終始、夫で早稲田大学で非常勤講師をしている村田信之さん(50)を「ペット以下の存在」「そのうち居なくなる」などとディスり続けた。そのため、家庭内虐待が行われているのではないか、などといった噂まで立つことになった。

===== 引用はじめ

 
ここで、「ディスる」の意味は、「侮辱(ぶじょく)する」「相手を見下し、言動などで相手の名誉等を傷つける行為」のようだ。

~蓮舫さんは「信頼関係はない」という生き方をしている人~ という仮説を裏付けるような記事である。

 

5.私は、人を信頼しているのか

 蓮舫さんが「人を信頼する人」なのかどうかは、私にとっては、どうでもいいことである。彼女をディスるつもりはない。彼女は、彼女の生き方をすればよい。私が関心を持つのは、私自身は「人を信頼している」かということである。

 私は、部分的に、条件付きで人を信頼しているように思う。

 全面的に人を信頼している人、互いに信頼して動いている人々のパワーを感じ、うらやましく思うこともある。しかし、それは、私には、なかなかできない。

 部分的、条件付きにすることにより、私は自分を守っているのだろう。「良いことばかり」はあまりない。それぞれが「自分らしく」生きるしかないだろう。

2016年11月29日火曜日

(707) 信頼するということ(1/2)


1.「何をもって信頼できるのか。ぜひ詳しく説明してほしい」

2.「戦地での過酷な経験から、人を信じられなくなっていた」

3.仮説

4.「ペット以下の存在」

5.私は、人を信頼しているのか

 

今回は、1~2

 
1.「何をもって信頼できるのか。ぜひ詳しく説明してほしい」

===== 引用 はじめ

 民進党の蓮舫代表は18日午前の参院議員総会で、安倍晋三首相が訪問先の米ニューヨークでトランプ次期米大統領と会談したこと関して「首相は会談後、『信頼できる指導者だと確信した』と発言された。何をもって信頼できるのか。ぜひ詳しく説明してほしい」と注文を付けた。

===== 引用おわり

私には、質問の意味がよくわからない。私がこのような質問をされてうまく答えられるとは思わない。無理に答えても、それは本当ではないような気がする。理由を言えることは言えるが、本当に信頼するかどうかは、別の次元、単なる論理では決めておらず、それを言葉で表すことは難しいと思う

 

2.「戦地での過酷な経験から、人を信じられなくなっていた」

===== 引用はじめ

 ようやく帰還した紀夫(永山絢斗)は、戦地での過酷な経験から、人を信じられなくなっていた。すみれ(芳根京子)が友人たちと協力してお店をやっていると聞くと、そこには裏があると言いだしたり、歓迎会でも横柄な態度をとってしまう。さらに自分が「坂東営業部」を立て直すと宣言するが、潔(高良健吾)とゆり(蓮佛美沙子)がすでに動いていることを知ると、ふてくされて他の仕事を探し始めてしまう。オープンした「キアリス」は、初日から大盛況。それぞれの家族がお祝いに集まる中、紀夫だけは姿を見せない。

===== 引用おわり

 
 NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」からの引用が多く、見ていない人、ごめんなさい。この引用を読むだけで、分かっていただけると思うのだが…

 
 「人を信じられない」という状態で、人と接することの辛さは、いかばかりか。しかし、その辛さは、①「人を信じられない」と②「信頼ある関係を築きたい」の両方があるからではないか。①が解消されるか、②を捨てるかによって、則夫は苦悩から解放されると思う。

 
 後者を採るなら、「信頼関係というものは、そもそもない」という前提で人間関係を構築することになる。良い・悪い、好き・嫌いは別にして、このような生き方も十分ありえる

 

次回に続く

2016年11月28日月曜日

(706) 江戸の大ベストセラー!健康な暮らしの指南書「養生訓」


あらすじ名作劇場  BS朝日
20161123日(水) 放映済み
http://www.bs-asahi.co.jp/arasuji_meisaku/prg_029.html

 
  本の解説、構成などは、後ろの方に書いてある

 
全部が全部信用する訳にもいかないが(例えば「喰い合わせ」は、現代科学では根拠のない物が多い)、テレビを見ていて納得できた。

貝原益軒自身が小さい時から体が弱く、健康に関する情報を集め、実践し納得したものを書きとどめているからだろう。益軒83歳の著作であることから、説得力がある。

単なる健康ノウハウ本ではない。①「儒教思想に基づき、養生の目的と意義を述べる」から始まっている。 ②身体の養生だけでなく、精神の養生も説いている。 ③一般向けの生活心得書として書いている。 ④「医は仁術なり」という考え方。 ⑤老後の過ごし方を説いている。⑥口腔衛生の重要性までも述べている。 などが良いなと思った。

 

『養生訓』解説

===== 引用 はじめ

『養生訓』(ようじょうくん)は、正徳2年(1712年)に福岡藩の儒学者、貝原益軒によって書かれた、養生(健康、健康法)についての指南書。益軒83歳の著作で、実体験に基づきながらも、壮年期の体験の記述が希薄であるという指摘がある。長寿を全うするための身体の養生だけでなく、精神の養生も説いているところに特徴がある。一般向けの生活心得書であり、広く人々に愛読された。

 
構成

第一巻 総論上
儒教思想に基づき、養生の目的と意義を述べる。

第二巻 総論下
運動・栄養・休息に過不足なく生活することを奨める。

第三巻 飲食上

第四巻 飲食下
   3巻・4巻では、控えめな飲食の方法および喫煙の害を説く。

第五巻 五官
   五官(耳・目・口・鼻・形)の機能を説き、
口腔衛生の重要性を述べる。

第六巻 慎病
   「医は仁術なり」の記述で知られる。
病にならないように養生し、かかる医者は吟味することを奨める。

第七巻 用薬
   薬の効能と害を説く。

第八巻 養老
   老後の過ごし方を説く。

===== 引用 おわり
Wikipedia 『養生訓』

 
 
あらすじ名作劇場 次回は、

~ 和洋のお姫様「落窪物語」「シンデレラ」 ~

1130日(水)放送】22:00 - 23:00 BS朝日

2016年11月27日日曜日

(705) 「四説法」「八大人覚」 / 道元『正法眼蔵』(4-2)


~ 『100分で名著』 1128() 22:25 22:50 Eテレ 放映 ~

 
(1)   「四説法」  P.87 -

『菩提薩埵四摂法 (ボダイサツタシシヨウボウ) 』の巻

ここで道元は、出家者も在家者も含め、歩み続ける者(=菩薩)が実践すべき四つの徳目を挙げている。それが四摂法で、布施、愛語、利行、同時の四つである

 
(2)   「八大人覚」  P.92 -

「八・大人・覚」と区切る。「大人(ダイジン)として覚知すべきこと八つ」である。大人とは、真に人間としてふさわしい人物、別の言葉で言えば菩薩と呼ばれる人。

 
大部分が『仏垂般涅槃略説教誡経 (ブツシハツネハンリヤクセツキヨウカイキヨウ)』、
一般には、『仏遺教経 (ブツユイキヨウギヨウ)』からの引用である。

 
 
<説明>
 
(1)   「四説法」

    布施 (フセ)

    貪らないこと、欲を出さないこと

    愛語 (アイゴ)

    人に接したとき、まず慈愛の心を起こし、
    いたわりの言葉をかけること

    利行 (リギヨウ)

    すべての衆生に利益を与える行いをすること

    同事 (ドウジ)

    相手と自分とを同じ人間だと思うこと

 
(2)   「八大人覚」

    少欲

    物足りないものを、物足りないままにしておくこと

    知足

    与えられたものを、全部が全部自分のものとしないで、
    一部を他人のために回すこと

    楽寂静 (ギヨウジヤクジヨウ)

    静寂を楽しむ。喧噪の場所を離れること

    勤精進 (ゴンシヨウジン)

    精進に勤める。
    おのれ一人の利益のためにがんばらないこと

    不妄念 (フモウネン)

    常に仏法を思っていること

    修禅定 (シユゼンジヨウ)

    心静かに真理を観察すること

    修智慧 (シユチエ)

    智慧を修得すること

    不戯論 (フケロン)

    物事を複雑にせず、あるがまま、
    単純にそのまま受け取ること

 
 
12月の 100de名著」は、

レビィス=ストロース「野生の思考」

 
引用:
ひろさちや(2016/11)、道元『正法眼蔵』、100de名著、NHKテキスト

2016年11月26日土曜日

(704) すべての行為が修行である / 道元『正法眼蔵』(4-1)


~ 『100分で名著』 1128() 22:25 22:50 Eテレ 放映 ~

 
(1)   修証一等 (シユシヨウイツトウ)

修行と悟り(証)は一つである

 
(2)   只管打坐 (シカンタザ)

全身全心でもってひてすら坐り抜き、眠り抜き、歩き抜く、その姿こそが仏であり、悟りである

 
(3)   諸悪莫作 (シヨアクマクサ)

修行するうちに自然と悪いことをしなくなる
 
 
 

<詳細>

(1)   修証一等 (シユシヨウイツトウ)

修行と悟り(証)は一つである

===== 引用 はじめ  P.79

―― 修証一等、修証不二、修証一如、本証妙修 ―――

修行と悟り(証)は一つである。“本証”とは、われわれが本来悟っていることであり、その悟りの上で修行するのが“妙修”です。

===== 引用 おわり

 

(2)   只管打坐 (シカンタザ)

全身全心でもってひたすら坐り抜き、眠り抜き、歩き抜く、その姿こそが仏であり、悟りである

===== 引用 はじめ  P.79

―― 只管打坐 ――

“只管”とは宋代の口語で「ひたすら」といった意味。全身全心でもってひたすら坐り抜き、眠り抜き、歩き抜く、その姿こそが仏であり、悟りです。

===== 引用 おわり

 

(3)   諸悪莫作 (シヨアクマクサ)

修行するうちに自然と悪いことをしなくなる

===== 引用 はじめ  P.85

―― しるべし、「諸悪莫作」ときこゆる、これ仏正法なり ――

「諸悪莫作」と聞こえてくるのが仏の正法だ。諸悪をつくること莫れとは、わたしたちが意図的に悪事をしないようにしようとすることではなく、修行をするうちに自然とそのように聞こえてくるようになることだ。

===== 引用 おわり

 
引用:
ひろさちや(2016/11)、道元『正法眼蔵』、100de名著、NHKテキスト
写真も。