2016年5月31日火曜日

(525) 「黄金期」


「黄金期」というものを考えてみた。
例えば、男でいうと、61歳から71歳の10年間。

 
ただし、健康や、経済的や、家庭的な問題を抱えていると、
それに応じて、制限がかかってしまう。

 
専業主婦でいうと、子離れした後。 男より長そうだが、
介護する立場になる可能性が男より高い分、制限がかかる。
 
定年後夫が家に居つくので、
妻の「黄金期」がそこで終わってしまうこともあるかも知れない。
 
夫を見送ってからという説もあるが、ケースによるだろう。

 

順調なケースでは、
 
社会的・家庭的しばりが減って、
精神的・時間的に余裕ができ、
体力・気力はまだ衰えていないので、

好きなことを楽しめるチャンスである。

 

ところで、健康、経済、家族関係などで引退まで順調に来た人は、
誰もが「黄金期」を迎えられそうに思えるが、
実は、「黄金期」を満喫できていない人が多いように感じている。

 
どうすれば「黄金期」を満喫できるか、
というのが、これから書くことの主題である。

 

さて、「男の61歳から71歳の10年間」に戻る。

 71歳は、日本男性の健康寿命である。健康寿命は、「介護が必要だったり、日常生活に支障が出る病気にかかったりする期間を除き、自立して過ごせる期間」を示す。
あくまで、平均値での議論である。
 
 61歳は、引退の時期を想定した。今のところ、日本の会社は60歳定年が多く、でも雇用延長もある。「10年」というキリの良さにも魅力で、61歳からとした。

 引退とは、「役職や地位から身を退くこと」(デジタル大辞泉)である。私は「与えられた責務からの解放」と読み解く(ここは、色々な意見があろう)。

 
 組み合わせると、「黄金期」とは「与えられた責務から解放されて、かつ、自立して過ごせる期間」ということになる。

 

経済的にある程度余裕があり、それなりの健康に恵まれた人にとっては、「黄金期」は人生の中で最も幸せになりえる、特殊な期間であるが、にもかかわらず該当する人でも、多くの人が「黄金期」の恩恵にあずかっていないのではないかと残念に思っている。


「人それぞれの生き方がある、余計なお世話だ!」と言われれば、実にその通りであり、引き下がらざるを得ない。

それぞも「黄金期」とあえて声をあげる。(「黄金期」の意味を知りつつも、さらに魅力的な生き方をしている人は結構なことであるが、)「黄金期」の意味を知らないままにチャンスを逃している人が非常に多いと思っている。先ずは「黄金期」の意義を知ってほしい。知った上で別の生き方をするのは、結構なことである。何も言うことはない。

 

一世代前より、「黄金期」は、長くなっている。

私の「黄金期」は10年間で、父の黄金期は5年間と計算された。つまり、私は父の倍の「黄金期」の時間をいただいている。

(実際には、私の父は私の学費を賄うため定年を過ぎても働いていたので始まる時期は遅れた。一方、健康とは言えないが、好きな畑仕事はできたので、終わる時期も遅れた。 ここでは、一般論で計算している)

 
 
以下、計算根拠。興味のある方は、読み進めてください。

私の父は、明治45年(1912年)生まれで、サラリーマンで、定年は55歳で、その時は昭和42年(1967年)で、その時点での日本男性の平均寿命は69歳だった。差は、14年だった。

私は、昭和26年(1951年)生まれで、サラリーマンで、定年は60歳で、その時は平成23年(2011年)で、その時点での日本男性の平均寿命は79歳だった。差は、19年だった(平均余命としては、23年)。

 平成22年のデータによれば、日本男性の平均寿命は79歳、健康寿命は70歳、その差は9年であった。


黄金期=(定年時平均寿命-定年時年齢)-(平均寿命と健康寿命の差)
と定義し、(平均寿命と健康寿命の差)は、9年とする。

 
父の黄金期=(6955)-95
私の黄金期=(7960)-910

 
 なお、父の時代の平均余命を調べるのは難しく、また、健康寿命の概念は当時にはなかった(WHO2000年に健康寿命の概念を提唱した)のでデータがない。

2016年5月30日月曜日

(524) 比較を止める


何故、苦しんでまで比較しようとするのか

(1)   比較の圧力がかかる。偏差値や業績査定、等々(これらは比較を含んでいる)
(2)   他人にどうみられているかが気になる(他人が比較しているか否かは不明)
(3)   他人との比較で、自分を確かめようとする

前回ここまで書いた。

 
思いついたことを書き並べており、他にもあるかも知れない。
実際には、色々な事情で「比較」しているだろう。

これだけで解決できないケースも、多々あると思う。
機会があれば、考察を追加していきたい。

とりあえず、列挙したものについて、一つずつ、考察を進める。
 


(1)   比較の圧力がかかる。偏差値や業績査定、等々(これらは比較を含んでいる)

 他から発するものであり、比較そのものはコントロールできない。

  成績をあげて志望校に合格したい。偏差値が気になるのは当然である。
給料をあげてもらいたい、出世したい。業績査定が気になるのは当然である。
偏差値も業績査定も気にならないと言うなら、むしろ大丈夫かなと心配になる。
 
 ただ、偏差値や業績査定をあげようとしたりすると、苦しくなる。
しっかり勉強すれば、結果として偏差値は上がってくることを期待できる。
しっかり仕事をすれば、結果として業績査定が上がってくることを期待できる。

 勉強したり仕事をしたりすることは、自分でコントロールできる。
偏差値や業績査定は、自分でコントロールできない部分がある。

 コントロールできないところで動くと、大きなストレスを受けることは知られている。
(コントロールできる)勉強や仕事の専念できれば、良い成果も期待できる。
悶々と悩んでいるより、気分もすっきりする。

 

(2)   他人にどうみられているかが気になる(他人が比較しているか否かは不明)

社会生活を営む限り、「他人にどうみられているかが気になる」は、健全な反応である。これが欠如すると、社会生活がおぼつかなくなる。しかし、度が過ぎると、困ったことが起こってしまう。

 「気になる」というのは、自動反応であり、コントロールできない。

 観察によれば、
他人を比較する人は、自分が比較されることに敏感である。
他人を比較しない人は、自分が比較されることに鈍感である。

 自分が他人を比較するかどうかは、コントロールできる。ここを変えると、結果として、(コントロール困難と思われる)「他人にどうみられているかが気になる」を緩和することが可能であろう。

 

(3)   他人との比較で、自分を確かめようとする

生き方の根源にかかわる、大切なところである。

自分自身の存在に揺らぎのない人は、「他人との比較で、自分を確かめる」ことはしない。いわゆる「あるがままの私」を感じている人である。

 「いまの私のままではいけない」と感じている人は、他人と比較し、自分を確かめようとする。

 
 では、「あるがままの私」「揺るがない自分」になるために、どうすれば良いのか。
 これに簡単に回答できるなら、多くの問題は簡単に解決できる。

 
 回答になっていないと思うが、自分でしていることを一つだけ書く。
自分でできることは、すべてやりつくすことである。「もうこれ以上無理」という境地になったときに残っているのは「揺るがない自分」だと思う。何故なら、これ以上揺るぎようがないからである。

2016年5月29日日曜日

(523) 比較しなくなると楽になる


思い出しながら書いている。
 
・ 自分を他人と比較しなくなると、楽になる。
 
・ 現実の自分を理想の自分と比較しなくなると、楽になる。
 
・ 現在の自分を過去の自分と比較しなくなると、楽になる。


3つまで思い出した。もう少しあったような気がするが、思い出せない。
誰から聞いた話か、どこで読んだものなのか、よく覚えていない。

 
比較は、他者まで巻き込んで苦しめる。

親が我が子を他の子と比較すると、
親は苦しいし、子も苦しくなる。

 

何故、苦しんでまで比較しようとするのか

(1)   比較の圧力がかかる。偏差値や業績査定、等々(これらは比較を含んでいる)

(2)   他人にどうみられているかが気になる(他人が比較しているか否かは不明)

(3)   他人との比較で、自分を確かめようとする

2016年5月28日土曜日

(522) 転機(定年など)を乗り越える


 前回「(定年になって)終わる人、終わらない人、終われない人」というキーワードで

(1) 「終わるからうまくいかない人」
 新しい環境に無関心であり、新しい世界では生きない(もぬけの殻、生ける屍)

(2) 「終わらないからうまくいかない人」 
 新しい環境に移ることを自覚せず、従来通り生きようとして、不適合をおこす

(3) 「終われないからうまくいかない人」
 新しい環境に順応せねばならないことは知っているが、新しい生活に入れない

という「転機(定年など)でうまくいかない3つのパターン」を示した。

 

 では、転機(定年など)を乗り越えるにはどうしたらよいのか。

 
 第一に、「終」から「始」へ視点をシフトする

 転機の前と後には別の世界がある。「終」の視点は、過去を向いている。「始」に移すと、視点は未来に向く。未来に生かすため、過去を振り返りたい。先ず未来に目を向けて「始める」、それに役に立つものはないかと、過去を振り返る。

 
 第二に、転機によって「失うもの」と「得るもの」があるが、「得るもの」に視点を集中させる。

 失うものに目を奪われる人にとっては、転機がピンチになる
定年で失うものは、収入、肩書、仕事の人間関係、
また、仕事、やりがい・生きがい・張り、など

得られそうなものに目を向ける人にとっては、転機がチャンスになる
定年で得られそうなのは、責任からの解放と時間。
時間があれば、関心事の深堀りができ、
また、新しい経験、新しい人との出会いを得られる

 
得られそうなものがイメージできれば、
自然に動きたくなるし、どう動けばよいかもわかりやすい。

 

 第三に、事前に準備できていれば、さらに良い
 
 家庭でも、職場でもない、第三の場を準備しておく。
新しい場に入っていくことに慣れておく。
浅くても良いから、人とつながっておく。
 
 そうしておくと、情報が増え、人脈が多様化し、様々な「変な人」に出会い、頭を柔軟にしておける。いくつかの情報源の核を作っておけば、時間ができた時に、そこから情報を更に増やすことができる。

 

 男の健康寿命は71歳である。60歳で引退すれば、約10年。
 その間に、仕事をしていた時よりもっと充実した人生を楽しめれば、その人は幸せだと思う。

 手に入れようとすれば、きっと、手に入る。

なお、準備のでき次第によっては、その貴重な10年は目減りする。

2016年5月27日金曜日

(521) 転機(定年など)でうまくいかない3つのパターン


 「(定年になって)終わる人、終わらない人、終われない人」というテーマで、各自記載のシートに基づき全員参加で相互討議した。それぞれの言葉をどう定義するかは、各人が好きなように決めてよい。

 私が頭の中を整理したら、「転機(定年など)でうまくいかない3つのパターン」と対応した。うまくいかない人は「終わるからうまくいかない人」、「終わらないからうまくいかない人」、「終われないからうまくいかない人」のどれかに該当する。

 前提条件として、「終」が伴う人生の「転機」の場を想定する。「転機」を境として、出来事は、非連続となる。これまでのもの(ルールや経験やノウハウ)が通用しなくなる。そこでは、何らかのリストラクチュアリング【restructuring】(構造を改革する)ことが要請される。

 

 さて、3つのパターンを説明していく。

 

(1)   「終わるからうまくいかない人」
新しい環境に無関心である。
新しい世界では生きない(もぬけの殻、生ける屍)。

例えば、定年後は、家でゴロゴロとテレビを見て過ごす一日。奥さんから嫌われる

 
(2)   「終わらないからうまくいかない人」
   新しい環境に移ることを自覚せず、
(環境が変わったのに)従来通り生きようとして、不適合をおこす

例えば、定年後、ボランティアグループに入るが、
会社のやり方で進めようとするから、
誰もついてこないし、嫌われて居づらくなる

 
(3)   「終われないからうまくいかない人」
新しい環境に順応せねばならないことは知っており、
新しい生活に入ろうとするが入れず、どうしたらよいのか、
ホワイトハウスに相談した

 
 定年退職後、多くの同年代・同環境の人と付き合ってきたが、転機をうまく乗り越えられない人は、上の3つのうちのどれかに、大概、振り分けることができる。

2016年5月26日木曜日

(520) 「赤と黒」(スタンダール)


「あらすじ名作劇場」 5月25日(水)放送済み

 ===== あらすじ はじめ

貧しい木こりの子として生まれた主人公ジュリアン・ソレル(ジュリヤン・ソレルとも)はナポレオンを崇拝し、野心に満ちた美しい青年である。初めはナポレオンのように軍人としての栄達を目指すが、王政復古の世の中でその願いもままならず、今度は王政復古の世の中で羽振りの良い聖職者を目指す。


ある日、ジュリアンはその頭脳の明晰さを買った町長・レナールによって子供たちの家庭教師に雇われる。やがてジュリアンはレナール夫人と恋に落ちるが、レナールは2人の関係を疑うようになる。そこでレナール夫人はジュリアンをかばって、彼を神学校に送り込む。神学校に進んだジュリアンは、校長のピラール神父に頭脳の明晰さと記憶力のすばらしさを買われ、大貴族のラ・モール侯爵の秘書に推薦される。

ラ・モール侯爵家令嬢のマチルドに見下されたジュリアンは、マチルドを征服しようと心に誓う。マチルドもまた取り巻きたちの貴族たちにはないジュリアンの情熱と才能に惹かれるようになり、2人は激しく愛し合うようになる。


マチルドはジュリアンの子を妊娠し、2人の関係はラ・モール侯爵の知るところになる。侯爵は2人の結婚に反対するがマチルドが家出も辞さない覚悟をみせたため、やむなくジュリアンをとある貴族のご落胤ということにし、陸軍騎兵中尉にとりたてる。そして、レナール夫人のところにジュリアンの身元を照会する手紙を送る。

そのころレナール夫人はジュリアンとの不倫の関係を反省し、贖罪の日々を送っていた。彼女は聴罪司祭の言われるままに「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を誘惑しては出世の踏み台にしている」とラ・モール侯爵に書き送る。侯爵は激怒し、ジュリアンとマチルドの結婚を取り消す。レナール夫人の裏切りに怒ったジュリアンは、彼女を射殺しようとする。レナール夫人は一命を取り留めるがジュリアンは捕らえられ、裁判にかけられる。マチルドはジュリアンの助命のために奔走するがレナール夫人がジュリアンを愛しており、ラ・モール侯爵への手紙は本意ではなかったということを知ったジュリアンは自ら望んで死刑を受け入れる。

 ===== あらすじ おわり
Wikipedia 「赤と黒」より

 
 『赤と黒』は、19世紀中期フランスの作家スタンダールの、実際に起きた事件などに題材をとった長編小説である。サマセット・モームは『世界の十大小説』の一つにこの小説を取り上げている。

 
 テレビでは「超訳ドラマ」で見せたが、この作品の良さは、これではわかりにくいと思った。


 この番組ではいつも、東京の案内をする。今回は、銀座カフェーパウリスタの紹介があった。新橋JR銀座口から徒歩5分。行ってみたいと思った。

「銀座カフェーパウリスタとは」:

 

次回の「あらすじ名作劇場」は、
61日(水)22:00~ 放送予定
「小公女」「手袋を買いに」