2021年2月20日土曜日

(2249)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(4-1) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1390) (リハビリ)趣味や役割を通じて症状を遅らせる(2) <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k13902.html

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政治的にも経済的にも文化的にも不自由きわまりない状況に追いやられ、社会において支配者と同等の権利をいっさい認められず、日々疎外され貶められ辱められて、どうして知的・精神的な発展が可能になるでしょうか

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第4回  22日放送/ 24日再放送

  タイトル: 疎外からの解放を求めて

 

 

【テキストの項目】

(1)  「劣等コンプレックス」という偏見

(2)   自由と可能性を奪われて

(3)   社会構造が心身に与える影響

(4)  「北アフリカ症候群」

(5)  「わが事」として考える

 

(6)   患者の尊厳を回復する療法

(7)   看過は差別への加担

(8)   理想と現実とのはざまで

(9)   ファノンの残したい問い

 

【展開】

(1)  「劣等コンプレックス」という偏見

 マダガスカルの植民地状況を精神分析の見地から論じた著作『植民地化の心理』でマノニは、マダガスカル人が白人による植民地支配を受け入れているのは、マダガスカル人にもともと劣等コンプレックスがあって、白人への依存をみずから求めるからだと主張しています。

 ファノンは愕然とします。ファノンが問題にするのは、植民地の権力構造によって現地人が白人支配に依存せざるを得ないような状況が作り出されているという――まさにその仕組みや働きを分析すべき――現実がまったく無視されているからです。ファノンからすれば、マダガスカル人の劣等コンプレックスや依存コンプレックスをマダガスカル人に元来備わった「体質的な弱さ」のせいにすることは、植民地支配とそれと一体をなす人種差別を肯定することと同義です。

 

(2)   自由と可能性を奪われて

 植民地においては、いやそこが植民地ではなくヨーロツパやアメリカであっても、被植民者と同じように人種差別の犠牲となっている者たちからは、「可能性」が奪われてしまっているのです。ファノンにとって人間とは何よりも、みずからの意志によってある状況を受け入れたり拒絶したりすることのできる「可能性」を持った存在なのです。

 この「可能性」は「自由」と言い換えることもできるでしょう。これを強制的かつ恒常的に現地の人々から収奪するのが植民地支配なのです。ファノンが『黒い皮膚・白い仮面』を書くのは、植民地出身の黒人である自分自身が経験したこの苦悩を何とかして読者に伝えるためなのです。

 

(3)   社会構造が心身に与える影響

 ファノンは、社会構造と個人との関係、前者が後者の心身を損ね、その人間性を破壊することを重視しています。「私の企てている分析は心理学的なものである。とはいっても、私たちにとって、黒人の真の疎外からの解放は、経済的・社会的現実にかんする鋭い自覚を内に含んでいるということは明らかである」。

 そして、その社会の構造は人間によって変革しうるという信念がファノンにはあります。「そうはいっても〈社会〉は、生化学的プロセスとは逆に、人間の影響を免れない。人間によってこそ、〈社会〉は存在にいたるのだ。その見通しは、建物の蝕まれた根底を真に揺り動かそうと欲する人々の手に委ねられている」。

 

(4)  「北アフリカ症候群」

 北アフリカ人たちが医師のもとを訪れて、その不調を訴えます。頭が、背中が、腹が、至るところが痛いと言います。しかし診察しても患者の受け答えはあいまいで、原因がよくわからないのです。この苦しみが「北アフリカ症候群」と呼ばれ、医師たちを困惑させていたのでした。

 ファノンが学んできた「症状―診断―治療」を軸とする医学では説明のつかないこの北アフリカ人の症状をどのように理解すればよいのか。そのときにファノンが参照するのが、「状況診断」、すなわち心身医学的な観点です。心と体の相互連関を重んじ、患者の身体だけを対象にするのではなく、患者の性格や不安、関心事などの心理的側面と、家族関係や友人関係、職業などの社会的な側面を考慮して、患者の苦しみを理解しようとする医学です。

 

(5)  「わが事」として考える

 多くのフランス人は北アフリカ人を見ない。しかしファノンは見ています。むしろ彼らから、彼らを疎外するフランス社会から目を離すことができません。それはたぶん「彼ら」が「自分」でもあるからでしょう。もちろんファノンは医者であり知識人です。彼らを理解したい。しかし彼らを物であるかのように、医学的な知の対象として「客観的」に観察することなどできないのです。「彼ら」は「自分」でもあるのです。北アフリカ人の苦しみを内側から感じているファノンがいます。ここでもまた、『黒い皮膚・白い仮面』にあるように「私には、客観的であることはできなかった」のです。

 

 以下は、後に書きます。

(6)   患者の尊厳を回復する療法

(7)   看過は差別への加担

(8)   理想と現実とのはざまで

(9)   ファノンの残したい問い

 

<出典>

小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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