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(K1332) 心身の不調同時に / 高齢者の鬱病(1) <心の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/12/k1332-1.html
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「身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ」(詞花和歌集
雑 西行法師)何だろうと悩んで自分なりの答えを出したが、インターネットで調べたら違っていた。それでも私は、私の解釈に固執したい
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身を捨つる 人はまことに 捨つるかは
捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ (西行)
?なんだ?これは?
なのだが、自力で考えてみた
困難な場面に遭遇し、うまくいく保証はないし、それどころか、失敗して大損害を受けるかもしれない。それでもあえて飛び込んでいった、という経験を、振り返ってみると何回かした。その時の心境かなと思った。勝算はないけれど、心は澄んでいる。迷いはない。
身を捨てなければ、飛び込んでいけない。だから、身を捨てているのだが、現実から逃避しているのではなく、現実に直面して生きようとしている。
身を捨てずに、何とかしようともがいても埒が明かないことがある。その結果は、身が捨てられてしまう。
一方、逃げ出す「世捨て人」もいる。それはそれでよい。逃げ出さないと潰れてしまいそうなら(鬱になってしまいそうなら)、躊躇なく逃げればよい。それは、敗北ではなく、勝利への一歩だ。
でも、違うやりかたもある。身を捨てて、世を捨てないのである。
インターネットで調べてみた。
===== 引用はじめ
身を捨てて仏道に励む人はほんとうに我が身を捨てたのだろうか
むしろ捨てずにいる人こそ 身を捨てたことになるのだ
命を捨てる覚悟で修行に励むことを捨身(しゃしん)といいます。
そのように捨て身で悟りを得ようとする人よりも、
汚れたこの世で我が身を顧みずにいる人のほうが
自分を棄てた(=大切にしない)ことになるのだと、
おそらく西行はそう言っているのでしょう。
===== 引用おわり
https://ogurasansou.jp.net/columns/arakaruta/2018/01/19/1779/
全然、違う!(笑)
私は、煩悩のただ中にいるのだろうか。それならそれでよいと、居直ってしまう。思い切り、煩悩に身を任せよう。
もしも試験問題なら、わたしは、零点かもしれない。
試験を受ける時は、そう答えておこう。でも、私は私の解釈で生きる。
添付図は、
http://tokinoao.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-b862.html
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