2020年7月14日火曜日

(2029)  野茂とイチロー - 日本人の大リーガーの先駆者 / あの頃日本人は輝いていた(10)


◆ 最新投稿情報
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松坂大輔、上原浩治、ダルビッシュ有、田中将大、前田健太に代表される投手、その打棒によってワールドシリーズMVPに輝いた松井秀喜など日本人大リーガーに道を拓いたパイオニアは投の野茂、打のイチローだった
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【野茂の大リーグ挑戦】
 平成6年には故障のため勝利もわずか8勝に終わり、全盛期ならともかく肩に不安を抱えた状態ではかなりの冒険と思われた。野球協定によって簡単に移籍はできない。野茂が代理人と相談して選んだのは任意引退選手の道であった。自由契約なら日本の他球団への復帰も可能だが、任意引退となれば退路を断っての大リーグ挑戦である。年俸は960万円。近鉄時代にもらっていた14000万円の10分の1にも及ばないマイナーリーグ契約であった。

 野茂が大リーグで初勝利を記録したのは62日のことであった。村上雅則以来日本人投手が大リーグで勝ったのは30年振りの「歴史的勝利」であった。
 この勝利がきっかけとなって、野茂は以後6連勝、渡米に当たり「無理だ」、「大リーグで通用するのか」と疑問を呈していた人々も手のひらを返したように「野茂礼賛」に変わった。
 驚いたのは、日本だけではない。大リーグ関係者であった。アメリカのファンの間に「ノモマニア」が生まれ、「野茂登板予定」の試合は「トルネード投法」見たさに観客が増えた。売店では「ノモグッズ」が飛ぶように売れた。ドジャースがニューヨークに遠征し、メッツとのナイトゲームに野茂がマウンドに上がるとネット裏に背広にネクタイ姿の日本人が目立った。
 アメリカの大リーグ関係者は、改めて日本人選手の価値に気が付いた。①日本人選手はまじめで戦力になる。観客動員にプラスになる。中継によるデレビ放映」権料がはいる。

野茂英雄(1968)
 大阪生まれ。近鉄に五年在籍した後、任意引退して大リーグのドジャースに挑戦。トルネード当方で活躍、新人王を獲得した。日本人メジャーリーガーのパイオニア的存在。


【イチローの登場】
 イチローは自分の力を大リーグで試してみたかった。オリックス球団としては看板選手に出ていかれては困る。1998年に「日米間選手契約に関する協定」が調印されポスティングシステムが成立。オリックスはイチローを手放すことで、シアトル・マリナーズが提示した13125000ドルを受け取ることで解決した。

 大リーグ一年目、イチローはマリナーズを地区優勝に導いたのみならず、打率3割5分を記録、56の盗塁を決め、守備でもライトを守り次の打者のライト前ヒットで三塁を狙った一塁ランナーを矢のような送球で刺し 「レーザービーム」といわれるなど攻、守、走三拍子揃った才能を披露した。その結果、首位打者、盗塁王、MVPなど6つの賞に輝いた。
 こうしたイチローは「アメリカの野球をベーブ・ルース以前に戻した」と言われた。ルースが登場してから、大リーグはホームランを打つ選手がヒーローであり、ファンもホームランを期待した。だが、イチローは、俊足を活かしての内野安打、右に左に打ち分ける広角打法、外野の守備範囲の広さと強肩、失敗の少ない盗塁などホームラン一発とは違う野球の面白さを改めて伝えてくれたのだった。

イチロー(1973) 本名・鈴木一朗。
愛知県生まれ。オリックスに9年在籍。7年間連続首位打者。大リーグのマリナーズに移籍。 マリナーズ、ヤンキース、マーリンズと3球団でプレー。大リーグで3,000本安打、日米通算4,300本安打達成。

 
<出典>
池井優、『あの頃日本人は輝いていた』(芙蓉書房出版)
 
写真は、
【米国はこう見ている】「極東から来た天才たち」―メジャー史を彩る日本人6選手を米紙が特集




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