2020年5月14日木曜日

(1969)  黒澤明と日本映画 - 日本映画を世界に認めさせたクロサワ / あの頃日本人は輝いていた(2)


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(K1110)  「天川、メダカ友達プロジェクト」 <リハビリ>
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「七人の侍」:それまでの時代劇は、歌舞伎などの影響を受けて衣装、決闘シーンを含めて絵空事が多く、もっとリアルな作品を作ろうとアイデアを練った。「武士を雇う農民」をストーリーの根幹に据えることにした
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 芥川龍之介の原作「藪の中」と「羅生門」を下敷きに戦禍と疫病と天災のうち続く平安時代の風俗を黒澤明が監督として撮影した『羅生門』。一部のインテリには支持されたが、一般のファンには「わかりにくい」と不評で興行成績も振るわなかった。
 イタリア人の女性ストラミジョリ女史は、「テーマの扱い方、描き方、そこに流れる精神と人間性、夏の太陽のギラギラした光をダイナミックに捉えたカメラワーク、ボレロのリズムを用いた音楽、三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之など個性的な俳優の演技…」に衝撃を受け、ヴェネツィア国際映画祭に出すよう、働きかけた。しかし、大映本社は乗り気でなかった。
 イタリア語の字幕を入れる費用の35万円は、女史が工面した。そして、…世界はこの映画に目を見張った。グランプリを受賞し、「羅生門」には世界各国から買い付けの注文が殺到した。
 「太陽があり、木の葉があり、完全な静寂、沈黙が存在した。透明な光の繊維の一本一本が私の中に入ってくるような気がした」と、39年前に見た木漏れ日のシーンを、イタリアの巨匠フェデリコ・フチェリーニは鮮明に覚えていた。

黒澤明(19101998
 東京生まれ。P・C・L(現・東宝)に入社。山本嘉次郎監督に師事し「姿三四郎」で監督デヒュー。「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞。「七人の侍」「乱」「デルス・ウザーラ」など斬新な作品は全世界で知られ各国の映画監督にも影響を与え「世界のクロサワ」と呼ばれている。映画人初の文化勲章受章。没後国民栄誉賞。

添付写真は、
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<出典>
池井優、『あの頃日本人は輝いていた』(芙蓉書房出版)


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