2019年9月20日金曜日

(1731)  大江健三郎『燃えあがる緑の木』(4-1) / 100分de名著

 
◆ 最新投稿情報
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(K0872)  ご近所の家事をお手伝いに見る地域支援の変質 <地域の再構築>
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第4回  23日放送/ 25日再放送

  タイトル: 一滴の水が地面にしみとおるように
 


【テキストの項目】

(1)   総領事の死と、薔薇の香りの奇蹟
(2)   ドストエフスキーとの響き合い
(3)   サッチャンの出奔とアウグスチヌス
(4)   文学テクストが将来を予言する
(5)   ギー兄さんの受難
 
(6)   反復のなかで変化する意味
(7)   予行演習としての行進
(8)  「人間」は続いている
(9)   すべては揺れ動く
 

【展開】

(1)  総領事の死と、薔薇の香りの奇蹟
 完成したばかりの「燃えあがる緑の木」の教会の礼拝堂で、ギー兄さん父親の総領事の葬儀が行われました。葬儀の日、屋敷の周辺から礼拝堂の内部に到るまで、薔薇の香りが瀰漫しました。教会の人々は、「薔薇の奇蹟だ」と色めき立ちました。
 総領事は、亡くなるわずか前に、イェーツが書いた手紙を翻訳していました。「急に私は、ついに理解していると感じ、薔薇の香りをかいだのです。私はいまや、時を超えた霊(スピリット)の本性をはっきり感じ取っています」。
 
(2)   ドストエフスキーとの響き合い
 大江健三郎はこんなことを言っています。「私は自分の生涯の、まだ少年のころに始まって、十年ごとにドストエフスキーの全作品を読む、ということをしてきました。それが私の小説家としてのpraxis、実習だし習慣です。いま五度目のそれをやっています」。特に『カラマーゾフの兄弟』を想起させる場面が多くあります。
 
(3)   サッチャンの出奔とアウグスチヌス
 サッチャンはギー兄さんと教会を見捨てるように出奔しました。K伯父さんから勧められた、矢内原忠雄『アウグスチヌス「告白」講義』を読み、「アウグスチヌスがそれらからどのように脱け出して回心に到ったかの過程においてというのではなく、その情欲あるいは肉欲の強さそのものを想像することで」惹きつけられました。
 
(4)   文学テクストが将来を予言する
 フィクションのなかで書かれた事柄が、そっくりそのまま現実化するということはなくとも、いずれ作家が自身の家族や社会に対して抱くであろう不安を先取りして、具体的に、あるいはおぼろげに示すということもあると思うのです。つまり文学テクストが将来を予言するということです。
 
(5)   ギー兄さんの受難
 ギー兄さんが、学生時代に所属していた党派と対立する党派の者たちから襲撃を受け、金属パイプで激しく殴打されたために両膝を砕かれ、以後車椅子での生活を余儀なくされたと、サッチャンのもとに知らせが届きました。
 サッチャンは出奔を後悔し、ギー兄さんのそばでずっと支える決意をして戻りました。しかし、「ギー兄さんは、すでに私が担うことのできる大きさの人間ではなかった」と悟ります。
 


 以下は、後に書きます。
(6)   反復のなかで変化する意味
(7)   予行演習としての行進
(8)  「人間」は続いている
(9)   すべては揺れ動く
 

<出典>
小野正嗣(2019/9)、大江健三郎『燃えあがる緑の木』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

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