2019年9月5日木曜日

(1717)  大江健三郎『燃えあがる緑の木』(2-1) / 100分de名著

 
◆ 最新投稿情報
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(K0858)  親族から選任 拡大図る / 成年後見人制度見直し(2) <後見と電話相談>
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第2回  9日放送/ 11日再放送

  タイトル: 世界文学の水脈とつながる
 


【テキストの項目】
(1)   自分自身を生きるとは?
(2)  「燃えあがる緑の木」の教会
(3)   教会に集う人々
 
(4)  「揺れ動く」
(5)  「福音書」はいかに作られるか
(6)  <>という小説」の作り方
 

【展開】

(1)  自分自身を生きるとは?

 ここでサッチャンは、他者が自分にあたえるレッテル――「オトコオンナ」――を断固として拒絶し、自己憐憫――「退屈で憐れな生を期待しうるのみだ」――からも自由になって、みずからの存在意義と、みずからの人生の意味を、自分自身で決定しています。それは、ギー兄さんを「救い主」であると認め、この「救い主」のために生きることです。それが自分のために生きることでもあるとサッチャンは考えています。
 

(2)  「燃えあがる緑の木」の教会

 サッチャンは言います――ギー兄さん、あなたを「救い主」とする教会を「屋敷」に建設しましょう。まず「救い主」と、信仰する者ひとりというかたちで…
 ここには神はいません。アイルランドの詩人イェーツの詩に出てくる暗喩を図像化して、サッチャンが桜の木の板を彫って作った「しるし」だけがあります。
 その暗喩こそが、ギー兄さんが糾弾されながら、テン窪の人造湖のなかの島にそびえる大檜にそのヴィジョンを見た「片側は色濃い緑で、片側は燃えあがっている」不思議な一本の木、「燃えあがる緑の木」なのです。
 

(3)   教会に集う人々

 ギー兄さんの治癒能力ということとは無関係に、ギー兄さんという人間に惹きつけられるように人々が集まってきます。
 まずは「伊能三兄弟」と呼ばれる若者三人、彼らがつれてきた三人の娘たち。「改悛した糾弾者」と呼ばれている亀井さんは、かつてテン窪で人々の先頭に立ってギー兄さんを雄弁に非難しましたが、今は教会の中心的メンバーになっていきます。緑内障をギー兄さんに治療してもらった不織寺(つまり仏教徒)の松尾さん。
 

 以後は、後ほど書きます。
(4)  「揺れ動く」
(5)  「福音書」はいかに作られるか
(6)  <>という小説」の作り方
 

<出典>
小野正嗣(2019/9)、大江健三郎『燃えあがる緑の木』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

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