2019年9月2日月曜日

(1714) 「見捨てられたという感覚」

 
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(K0855) 「2つの介護リスク」と関連付けシステム <介護>
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何か欠けているなと思って突き詰めたら「見捨てられたという感覚」でした。私には、母は何があっても私を見捨てないという確信がありました。今は妻が取って代わっています。妄想かもしれませんが、幸せな妄想です
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 私的なことです。
 
 私には「見捨てられたという感覚」がないことに気づきました。
 誰かから「見捨てられた」という体験を思い出せません。現実には、何人もから何回も見捨てられていると思います。でも、私がそれを「見捨てられた」と認識していないのです。そのとき、「私を自由にしてくれた」と思ったのでしょう。

 「誰かが私を助けてくれることはない」が出発点にあります。だから、助けてもらえないのが当たり前、だから、助けに来てくれなくても「見捨てられた」「裏切られた」とはなりません。

 実際にはたくさん助けられています。それを私はありがたく頂いています。感謝の念と「なかなかないこと=有難い」の両方の意味を含めて。
 
 困ったことも起こります。
 私の心の中に「見捨てられたという感覚」が無いので、他人の心の中の「見捨てられたという感覚」に疎いのです。その人は、寂しかったり、悲しかったりしたことでしょう。相手あるいは周囲の人は、私が無視したと思うかもしれませんが、そうではありません。気づいたことを無視するのであって、気づいていないのだからそれ以前の状態です。
 「誰かが私を助けてくれることはない」が出発点にあるということは、必然的に「誰かを私が助けることはない」になります。出発点がそこにあるということであり、私が人を助けないということではありません。助けています。ただ、それは普通のことではなく、特別なことなのです。

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