2019年7月24日水曜日

(1674)  過去を忘れるということ

 
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(K0815)  高齢期の引きこもりを考える(3) 引きこもりの善悪 <社会的健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/07/k0815-3.html
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 「時間経過を伴う因果関係」というものがあると思います。

  必死に勉強したから、入学試験に合格した
  勉強をさぼったから、入学試験で不合格だった
 
 ありえることだと思います。三つのことが言えるのではないでしょうか。
 

1.   「時間経過を伴う因果関係」というものが存在する
 
2.   その因果関係は、確率論的・相対的に存在する

2.1.  確率論的:必ず成り立つわけではない。必死に勉強しても(難関校に)不合格になることもあるし、勉強をさぼっても合格することもある
2.2.  相対的:「より多く勉強すると、合格できる可能性は高くなる」ということは言えるだろう
 

3.   選択性がある場合とない場合がある

3.1.  現在から未来へ:現在、必死に勉強するか、しないかは、自分で選択できる。自分で選択することにより、自分の未来を変えていく余地がある
3.2.  過去から現在へ:過去に勉強したかしなかったことを現在に至っては変えることができない。従って「時間経過を伴う因果関係」を逃れることはできない
 


 別の例を挙げます。我が家の庭には小さな畑があるのですが(「畑」というほどのものでなく、空いている狭い土地に花を植えている程度)、猫が侵入して荒らします。そこで猫が侵入できないようにネットを張りました。ある時、ネット近くにいた猫を威嚇したら、猫はネットに突進し、絡まって、もがけばもがくほど逃れなくなりました。そこで絡まりを解いてやり、猫を逃がしました。それ以来、猫はネットに近づかなくなりました。

 私は、猫が「過去の経験から学び、身を守っている」と解釈しました。「あそこに行くと危ないぞ」と「学習」したため、ネットに追い詰められることがなくなったのです。
 

 過去の記憶を保持することは、役に立つのか? ――- 過去の記憶から学習し、その学習したもののみが役立つと思います。
 
 「過去にネットに絡まって怖い思いをした」という経験そのものが役立っているのではなく、「あそこに行くと危ないと学習した」ことが役立っています。
 
 そして、「過去にネットに絡まって怖い思いをした」という恐怖を伴う生々しい記憶は、現在・未来に生きて行くのに、マイナスの作用を与えます。何かをしようとすると恐怖心が蘇り、動けなくなってしまうこともあります。
 

 忘れてはいけない過去の経験もあるかもしれませんが、否定的な経験は、忘れてよい、あるいは忘れたる方がよいことが、多くあると思います。否定的な経験を抽象化して、「学習」「教訓」として残せば、忘れて良い、忘れた方が良いことが多くあると思います。
 
 勉強をさぼって不合格だった悲しさを今に引きずると悪い作用をしますが、「合格するには勉強しなければならない」という教訓に変われば良い作用をします。元々は悲しい過去でも、今の私を生かしてくれます。
 
 心がどこに向かうかが大切。未来に心が向かうと、結果として、過去に向かわなくなると思います。過去を「意図して忘れる」のではありません。過去は「こころならずも忘れてしまう」ものだと思います。

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