2019年6月28日金曜日

(1648)  視聴率の弊害

 
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(K0789) 「老後に2000万円必要」問題(4) / どこがおかしいのか <高齢期の家庭経済>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/06/k078920004.html
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 視聴率が参加になる数値なのは、まちがいはない。

===== 引用はじめ
 もろもろ問題点もあるのかもしれないが、参考になる数値なのはまちがいない。ドラマ『家政婦のミタ』が40%を超え、『半沢直樹』がそれを超えた視聴率をたたき出した時は、実際多くの人びとがこれらの作品に熱中していた。40%の数字に見合った反応が、そこいら中にあふれ返っていたと思う。
===== 引用おわり
https://www.huffingtonpost.jp/osamu-sakai/tv-rating_b_7481414.html
 

 同時に、視聴率には二つの大きな弊害があると思う。
 
 
 一つ目の弊害は、「視聴率は低いが良質な番組」が駆逐されてしまう。また、視聴率を高めるなければならないという制限で、番組制作が歪められることである。
 
===== 引用はじめ
 他局を真似し、視聴率が取れれば同じネタを繰り返す――。こうした「お手軽な」姿勢は、やがてニュース現場の記者やディレクターにも影響し、人気取り優先のネタ選び・取材が幅を利かせ、ニュースの意味も分からぬ人たちが伝え手となってしまった。
 その結果、ニュースの価値判断を自らできないという状況が深刻になっている。テレビは速報性が重要なのに、速報よりもある程度視聴者が知っているニュースを優先するという、本末転倒な価値観が幅を利かせている。
===== 引用おわり
https://diamond.jp/articles/-/139791?page=4
添付写真は、このサイトから転載した。
 
 娯楽番組は、視聴率を指標にして良いだろう。見ていてつまらなければ、視聴率が下がる。つまらないけれど生き残るべき娯楽番組はないだろう。しかし、テレビの使命は娯楽番組の供給だけではない。娯楽番組でない番組については、視聴率以外の指標が必要なのではないか。


 二つ目の弊害は、視聴が視聴率に引っ張られてしまうことである。友人との話で話題にするのは、視聴率の高い番組だろう。視聴率の低い、相手が見ていないような番組を話題にしても盛り上がらない。その結果として、どの番組を見るかを自分で決めなくなってしまう。評判の番組を単に渡り歩いてしまう。これは、主体性の放棄にほかならない。

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