2019年5月20日月曜日

(1607)  時をつかめば、命が現れ、運が変わる(1) (運命論。100分de名著『平家物語』番外編)

 
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 運命論が興味深かった。「時をつかめば、命が現れ、運が変わる」は、解説を読みながら私が創った文。多分、当たっていると思う。
 

 先ずは、原文。運命論と三つの要素

===== 引用はじめ(段落の塊を変更。また、箇条書き形式にした)
 『文選』には三命論と呼ばれる文章があります。班彪の「王名論」、李康の「運命論」、劉俊の「弁命論」です。「運命論」によると運命には「運」「命」「時」の三つの側面があると言います。

   「運」とは大きな流れ(運び)
   「命」とはその人が持って生まれた天命、そして、
   「時」とは流れゆく時間のうちの一瞬をしっかりとつかまえる力

を言います。
===== 引用おわり
 

 「運」は変えられます。

===== 引用はじめ
 この「運」は天が定めるものであり、人間はいかんともしがたいというのが李康の「運命論」の考えですが、とかと『平家物語』では人の悪行と善行によって「運」も変え得ると考えます。
===== 引用おわり
 
 重盛は清盛に対して「御運ははや末になりぬと覚え候」と言いました。清盛の悪行が過ぎたため、平家の運が尽きようとしている、ということです。
 

 また「命」と「時」の関係も大切です。

===== 引用はじめ
 各人には定まった「命」があります。しかし(a)どんなにすばらしい「命」を持って生まれて来ても「時」をつかまえることができれば、その「命」は十全に機能しない。逆に(b)「命」として恵まれずとも、「時」をつかむことができれば「運」を変えることすらもできる。
===== 引用おわり
 
 『平家物語』では、清盛の子どもたちが(a)として、源頼朝をはじめとする源氏の武将たちが(b)として描かれています。
 
 納得です。これをヒントにして、「私の運命論」をまとめました。

 


1.   「運」は直接変えられない(他動詞ではない)。「運」は変わり、「運」の働きも変わるものだ(自動詞だ)
1.1.  ここでは「運」を「自ら直接コントロールできない巡り合わせ」と捉える
1.2.  運は変えられないが、運が変わることがある
1.3.  運のはたらきは変わる
1.4.  運には2種類あるように見えるが、分けることに意味はない
 

2.   我々が直接できることは、時をつかまえることだけだ
2.1.  ここでは「時」を、「運が変わる分岐点」ととらえる
2.2.  時をつかめば好転し、つかめなければ悪転する
2.3.  必死に生きた結果として、時をつかめる
 

3.   命が現れる
3.1.  ここでは「命」を「天命と使命」と捉える
3.2.  ここでは「天命」を「その人の意思に関わらず、与えられたその人固有の到達点」と捉える
3.3.  ここでは「使命」を「その人がその人の天命に到達するためになすべきこと」と捉える
3.4.  「命」は知ろうとして分かるものでなく、必死に生きている中に現れるものである
 

 次回に続く。
 

<出典>
安田登(2019/5)、『平家物語』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)、P.65 -

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