2019年5月13日月曜日

(1602)  幸福と不幸。二つの正しさ

 
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 Facebook友達の中本 渉さんが幸福について書いている(5/9)

===== 引用はじめ (箇条書き様式に変更)
A)   たいがいの人は幸福というものを、あるできごとにたいする反応としてかんがえているが、じっさいの幸福とはこころの状態のことであり、周囲でおこることはほとんど関係がない。
B)   じつに多くの人が、なにかを得たとき、またはなにかをしたときに幸福になり、なにかたいへんなことがおこったときに不幸になるとおもっている。(中略)
C)   自分を幸福にするために必要なものはすべてあたえられている。
D)   わたしたちはただ、自分にあたえられているものの使いかたを知らないだけなのだ。
E)   わたしたちの知性、感情、そしてたましいは、文句なく幸福になるようにつくられている。幸福の遺伝子は完璧に設計され、配置されている。
F)   どんな人でも幸福をみつけることができる。
G)   必要なのは、それを正しい場所でみつけることだけだ。
===== 引用おわり
(幸福のレッスンより)


 正しいと思う。同時に、もう一つ別の正しさがあると思う。引用した文章は、自分が幸福だと思っている人が書いたのではないか。自分が不幸だと思っている人が書くと別の文章になるだろう。彼らは、 A)C)E)F)の「幸福」を「不幸」に置き換えるだろう。そして、それも正しい。
 
 
 「正しい」には2種類ある。
   ある立場に立てば正しいが、別の立場に立つと正しくない正しさ
   どちらの立場に立っても正しい正しさ
 
 引用した文は、①の正しさだと思う。これを②の正しさに修正したい。注目すべきは、E)。 E)は、二つの立場で矛盾する。だから、②の意味では正しくない。
 
 
===== 修正文
A)   たいがいの人は幸福や不幸というものを、あるできごとにたいする反応としてかんがえているが、じっさいの幸福や不幸とはこころの状態のことであり、周囲でおこることはほとんど関係がない。
B)   じつに多くの人が、なにかを得たとき、またはなにかをしたときに幸福になり、なにかたいへんなことがおこったときに不幸になるとおもっている。(中略)
C)   自分を幸福にするために必要なものも、自分を不幸にするための必要なものも、すべてあたえられている。
D)   幸福にするものを使えば幸福になるし、不幸になるものを使えば不幸になる。わたしたちはただ、自分にあたえられているものの使いかたを知らないだけなのだ。
E)  
F)   どんな人でも幸福も不幸もみつけることができる。
G)   必要なのは、それを正しい場所でみつけることだけだ。
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 ところで釈迦は、恵まれた環境にありながら自分を幸福と思わず城を出て、そこから仏教が起こった。もしも釈迦が城での生活で幸福だったら、仏教は興らなかっただろう。
 
 幸福なのが良い事で、不幸なのは悪い事なのだろうか。そう決めつけるから、苦しいのではないか。本当は、幸福も不幸も幻で、実際にはないのではないか。
 
 
 確実にあるのは、現状に満足しているか、満足していないか。満足していないから努力して、何かを変えようとして、良くなったら「満足感」を覚える。良く変えられなかったら「不満足感」を覚える。存在するのは、これではないか。
 
 満足感は良く、不満足感は悪い、とも言えない。ただ、不満足感から抜け出せなくなったらとても苦しい、とは言える。
 
 もし幸福というものがあるなら、不満足感からいかに抜け出せるかが、幸福になるめのキーになりそうな気がする。

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