2018年10月12日金曜日

(1389) 「やはり天竺への旅を続ける」理由(西遊記)

 
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 NPO法人だんらん「きよういききょうようカフェ」で、兵庫県姫路市・福壽院住職さんから聞いた(10/11)話です(うろおぼえ(*)なので、誤りがあるかもしれません。ご容赦ください)。
(*) 余談ですが、「うるおぼえ」ではなく、正しくは「うろおぼえ」だそうです。


 西遊記によれば、三蔵法師は、孫悟空・猪八戒・沙悟浄を共に従え、取経(お経を取りに行くこと)を目指して天竺への旅に出ました。その途上、立ち寄ったある国で、「天竺に行かなくても、お経ならここにある。見せてあげてもよい。ただし、煩悩にとらわれないように、その三匹の妖怪を追い出しなさい」と言われました。三蔵法師は、「それが条件なら、私はやはり天竺への旅を続けます」と答えます。その理由がすばらしいと思いました。どう説明したと思いますか?
 
 少し別の話を書いて、その後、三蔵法師の言った理由を書きます。

 

 真言宗では、お経の意味より音を大切にする、だから真言宗のお経を聞いても意味がわからないのだそうです。
 般若心経の最後の部分も同じで、「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」は、原語の音を漢字で復元しているだけで、意味をなしません。各国のお坊さんが集まってお経を唱えると、どこの国でもこの部分だけは、ほぼ同じ、それ自体「咒文」の力があるそうです。
 
===== 引用はじめ
故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰
(こせつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわく)
 
 最後に、この真実を見抜く般若の智慧を、短い咒文で讃えたい。
これだけは意味を訳さないで、古代の言葉のまま読んでほしい。
 昔のままの言葉で読むことに意味があるのだ。
だから言葉の細かな意味は知らなくてもいい。
 「尊ぶ」という心でもって唱えるだけでいい。
頭で理解することが、理解の全てではないのである。

では、その咒文をここに記しておく。
 

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)
 
ギャーテーギャーテー
ハーラーギャーテー
ハラソーギャーテー
ボウジーソワカー
===== 引用おわり
https://www.zen-essay.com/entry/hannyashingyou
 



さて。
 
 三蔵法師が断るときに言った理由: 「私は、この妖怪たちも救われるお経を目指しています。だから、ここにあるというお経は、私には必要ありません」
 因みに、私の「うろえぼえ」によれば、本当はお経は無く、三蔵法師を喰うために邪魔になる妖怪たちを引き離そうとする策略だったように記憶しています。策略に対して策略で打ち破ったのではなく、三蔵法師の純粋な気持ちが、三蔵法師を救ったことになります。
 
 添付写真は、インターネットより取り出しました。 『福壽院』(姫路)


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