2018年8月21日火曜日

(1336)  (23) 島崎藤村『若菜集』 / 「明治の50冊」

 
      最新投稿情報
=====
(K0477)  安楽死 / (3) 進歩? 世界標準? <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/08/k0477-3.html
=====
 

 先ず、驚いた。「わかなしゅう」と打ち込んでも、「若菜宗」と出てきて、結局そのままでは正しく変換してくれなかった。漢字変換のデータを作っている人には、忘れ去られた本なのだ。
 


島崎藤村。

===== 引用はじめ  『若菜集』-六人の処女-より (おくめ)
第六
 
しりたまはずやわがこひは
雄々(をゝ)しき君の手に触れて
嗚呼(あゝ)口紅(くちべに)をその口に
君にうつさでやむべきや
===== 引用おわり
 
 藤村は、初々しい官能性がにじむ処女の6編を冒頭に置き、本詩集は若い女性の圧倒的な共感を集める。
 

4年後の与謝野晶子。

===== 引用はじめ  処女歌集『みだれ髪』
やは肌のあつき血汐(ちしお)にふれも見でさびしからずや道を説く君
===== 引用おわり
 

 藤村あっての、晶子だろう。
 

===== 引用はじめ
 江戸川大教授の新井正彦さんは「封建制のモラルを脱して、感情を解放しようとした藤村の詩を読んだ若い女性は、自分の心に秘めた葛藤や苦悩や恥じらいをよくぞ表現してくれた、と感じたのです」と解説する。その一人に歌人、与謝野晶子がいた。

 『若菜集』は、いうなれば日本近代文学の「夜明け」を告げる作品だったのだ。
===== 引用おわり


 では、誰がいての、藤村なのだろうか。
 
===== 引用はじめ
 ところで、何が詩人・藤村をつくったのだろう。

 明治27年に25歳で自殺した4歳上の北村透谷の存在が大きいと思われる。藤村は評論『厭世(えんせい)詩家と女性』に強く感応する。透谷はこの評論で「恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を描き去りたらむには人生何の色味かあらむ」と主張、恋愛至上主義の立場を鮮明にした。「秘鑰」とは秘密を解くカギのことだ。
===== 引用おわり


島崎藤村。

===== 引用はじめ  「初恋」
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
 
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
 
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
 
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
===== 引用おわり
 


【プロフィル】島崎藤村(しまざき・とうそん)

 明治5(1872)年、筑摩県馬籠村(現岐阜県中津川市)の旧家に生まれる。本名・春樹(はるき)。10歳で上京、明治学院で学び在学中にキリスト教の洗礼を受けるがのちに棄教。「文学界」に参加して浪漫主義詩人として出発。『若菜集』『一葉舟』『夏草』『落梅集』を発表。小説に転じ『破戒』で作家的地位を確立。『家』や『春』でわが国の自然主義文学の方向を決定づける。昭和に入り、明治維新の動乱期を生きた父をモデルに歴史長編『夜明け前』を書いた。昭和18(1943)年、71歳で没する。
 


<引用>
島崎藤村「若菜集」 共感呼ぶ恋愛への情熱
【明治の50冊】(23) 産経新聞(2018/08/20)
 
(23)島崎藤村「若菜集」共感呼ぶ恋愛への情熱
https://www.sankei.com/life/news/180723/lif1807230007-n1.html
写真は、このサイトからの転載。



0 件のコメント:

コメントを投稿