2018年7月19日木曜日

(1304) 「牧牛図」と「賢者の薔薇園」 / 河合隼雄スペシャル(4-2) / 100分de名著


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(K0445)  興味深い「異世代ホームシェア」 <現役時代・世代間交流><高齢期の住まい>
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第4回 23日放送/25日再放送

  タイトル: 「私」とは何か
 

【第4回の目次】

(1)   ユングか仏教か
(2)  「牧牛図」と「賢者の薔薇園」にみる東西の違い
(3)   私の知らないことに満ちた「私」
(4)  「かなしみ」の深みに身を置くということ
(5)  「1000の風」に寄せて
 

 今回の投稿は、(2)について

A)    自己を探し求める
B)   「牧牛図」
C)   「賢者の薔薇園」
D)    共通点
E)    相違点
F)    段階的な変化を見逃さない眼と、不変のものを捉える眼
G)    頓悟と漸悟
 

【展開】

A)   自己を探し求める

 著者はまず、禅の教えを描いた「牧牛図」と、ユングが『転移の心理学』で取り上げた錬金術の図「賢者の薔薇園」を、自己を探し求める表現として比較している。
 

B)   「牧牛図」 … 添付図参照

 「牧牛図」とは、ごく単純化して説明すれば、一人の若者が牛を見つけ、手なずけてゆく様子に託して禅の修行の階梯を描いた十枚の連作画である。
 若者は描き手(あるいは、この絵を見ている人)の自我、牛は真の自己を表現しているので、若者と牛はユング心理学的には自我と自己との関係を示しているといえる。
 

C)   「賢者の薔薇園」 … 添付図参照

 「賢者の薔薇園」には、結ばれた王と王妃が死を迎え、魂が上昇・浄化されたあと再び回帰し、文字通り一体となって新生する過程が描かれている。
 この図はもともと、錬金術を説明するためのものだったが、ユングはここに、心理療法における人格の変容の過程が象徴的に現れているのではないかと考えた。
 

D)    共通点

   十枚の図である
   個性化の過程を読み取ることができる
   死を経て、絶後から再び蘇る展開をたどっていると解釈することができる
 

E)    相違点

   自我が描かれているか: 「牧牛図」には、若者の姿で自我が描き込まれているが、「賢者の薔薇園」では自我は図の外に独立してあり同図を観察している
   女性が登場するか: 「賢者の薔薇園」が男女の結合を主題にしているのに対し、「牧牛図」には女性が登場しない(不変の枠組みとして存在する円が母性的な包含性を示しているとも考えられる)
   どう展開するか: 「賢者の薔薇園」においてはドラマが段階を踏んで“直線”的に進行し、王と王妃はまったく新しいものに生まれ変わる。「牧牛図」にも段階的変化は見られるが、「図10で完結しているようでありながら、それは最初に返ってゆく」という、無限のループを予感させる
 

F)    段階的な変化を見逃さない眼と、不変のものを捉える眼

 心理療法においても、また、私たちが日常を生きる上でも、段階的な変化を見逃さない眼と、不変のものを捉える眼の両方が必要だが、後者がより難しい。
 進歩の図式を提供する直線的段階的な過程の理論「賢者の薔薇園」は受け入れやすい
 最初から最後までというよりは、そもそも始めとか終わりなどというものがなく、すべてがそのままで、全体としては不変という世界を、「牧牛図」は見せてくれる
 

G)    頓悟と漸悟

 「牧牛図」には、最初から悟りの可能性を示す「頓悟」と、徐々に悟りが開けていく「漸悟」との、二種類がある。心理療法においては ――― 頓悟を誤解して、なすべき努力を怠ったり、漸悟に取りつかれて、無用の「苦行」にはいりこみすぎると、それは問題になると思われる
 

出典

河合俊雄(2018/7)、河合隼雄スペシャル、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付写真は、この本からの転載



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