2018年6月9日土曜日

(1264) 「ディスカッション・ドラマ」「ペストの第二段階」 / アルベール・カミュ『ペスト』(2-2) / 100分de名著

 
      最新投稿情報
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(K0405)  認知症 / 医者に行かないので困っています <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0405.html
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第2回  11日放送/ 13日再放送

  タイトル: 神なき世界で生きる
 
Eテレ。
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【第2回の目次】

(1)  災厄は天罰か…?
(2)  アンチ・ヒロイズム――できることをする

(3)  理念は人を殺す
(4)  ペストの第二段階――停滞の恐ろしさ
 

【展開】 今回の投稿は、(3)(4)
 
(1)  理念は人を殺す

 ランベールは、ある晩、リウーとタルーを部屋に招いた。

 「僕はヒロイズムを信じません。英雄になるのは容易なことだと知っているし、それが人殺しを行うことが分かったからです(*)。僕が心を引かれるのは、愛するもののために生き、また死ぬことです」とランベールは語った。リウーは「今回の災厄では、ヒロイズムは問題じゃないんです。問題は、誠実さということです。こんな考えは笑われるかもしれないが、ペストと戦う唯一の方法は誠実さです。」「(誠実さとは)一般的にはどういうことか知りません。しかし、私の場合は、自分の仕事を果たすことだと思っています」と語った。
(*) ランベールは、スペイン内戦に参戦していた
 
 その後、パリにいる恋人に会いたい一心のランベール(*)は、リウーもまた、妻が遠くの療養所に行ったまま離ればなれになっていることを聞いた。心を動かされ「僕もあなたたちと一緒に働かせてもらえますか、町を出る方法が見つかるまで?」と電話で伝えた。
(*) ランベールは何度も非合法に町を脱出しようとしたが、何度も失敗して疲れ果てていた。
 
 この小説は群像劇であると同時に、ディスカッション・ドラマとしても非常に優れている。 … それぞれの山場がモノローグではなく対話になっていて、その対話が人物の心理と行動を先へ先へとつき動かすダイナミズムの源泉になっている。
 
===== 引用はじめ
 いまの時代は、… 「ポスト・トゥルース(真実の終末以降)」の時代などといって、何を言っても無駄、本当のことなどない、といった言葉への無力感が蔓延しています。
 とくに日本では、共同体内部での和や以心伝心を大事にする風土のなかで、はっきりした言葉で考えの交換をおこなうことを避けて、はじめから言葉の無力さを許容してしまう傾向があります。「言わなくても分かる」という感覚は、「言っても分からない」という諦めに容易に転化します。その意味でも、「言わなければ分からない」という、言葉の重要性を徹底的に信じる点で、『ペスト』という小説はいまの日本人にとって大きな意味をもつ小説だと思います。
 対立があったときに、それを対立のままで終わらせず、対立の一歩先にありうる新たな状況へと進めるものが対話です。そんな対話の重要な働きを、自然な言葉のやりとりのなかで描き出しているのは、この小説のけっして読みのがせない美点ではないでしょうか。
===== 引用おわり
 


(2)  ペストの第二段階――停滞の恐ろしさ

 ペスト発生から四か月が経った八月半ばになると、暑さと疫病の猛威は頂点に達する。先ず、①人々は恐怖や別離や追放の感情に人々は集団的に支配され、次に、②親しい人との別離に苦しんでいたはずの人々が、記憶も想像力も失ってしまった
 
 
   恐怖や別離や追放の感情に人々は集団的に支配された

===== 引用はじめ
 まず、やけになった一部の者たちによる放火や襲撃、略奪が起こります。…
 そして感染防止などの実際的理由から、死者の葬礼も禁止されます。… 看護人や墓堀り人は次々に感染して死亡してしまいますが、都合よく多数の失業者が生じていたことで、そうした過酷な労働に従事する人間にはこと欠かない事態になります。… やがて火葬により死者たちを燃やす煙がたえず立ちのぼるという、陰惨な情景が出現します。
===== 引用おわり
 
   親しい人との別離に苦しんでいたはずの人々が、記憶も想像力も失ってしまった

===== 引用はじめ
 この町では、もう誰も大きな感情の起伏をもたなくなった。その代わり、みんなが単調さを感じていたのだ。 … 最初の数週間の激しい感情の昂ぶりに続いて、意気消沈の状態が生まれ、それを諦めと見るのは誤りかもしれないが、そうした状態は、災厄をとりあえず仕方のないものして認めることにほかならなかった。

 市民たちは足並みを合わせ、災厄にいわば適応していった。というのも、それ以外にやり方がないからだ。当然のことながら、まだ不幸と苦しみに接する態度をとってはいたが、鋭い痛みはもう感じていなかった。しかし、たとえば医師リウーは、それこそがまさに不幸なのだと考えていた。絶望に慣れることは、絶望そのものより悪いのだ。

 記憶もなく、希望もなく、彼らはただ現在のなかにはまりこんでいた。げんに彼らには、現在しかなかった。特筆すべきことだが、ペストは彼ら全員から、愛の能力と、友情の能力さえも奪ってしまったのだ。なぜなら、愛はいくらかの未来への希望を必要とすねるものだからだ。しかし、我々にはもはやその瞬間その瞬間しか存在していなかった。
===== 引用おわり
 


===== 引用はじめ
 そしてこのような麻酔と無気力の状態によって、「ペストのなかに閉じこもる」ことで、「長い眠り」に似た停滞が訪れます。市民はまるで「目を開けたまま眠りつづける人々」のようになってしまう。町はいまや「果てしない、息が詰まるような足踏み」の鈍いざわめきで埋めつくされてしまっています。なんと不気味な状況でしょうか…。
===== 引用おわり
 

<出典>
中条省平(2018/6)、アルベール・カミュ『ペスト』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
この本から写真を転載。


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