2018年4月23日月曜日

(1214) 「人間の尊厳」への賛歌/ 『法華経』(4-2) / 100分de名著

 
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(K0355)  ふるさとやわが町を思う「マチオモイ帖」 <地域の再構築>
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第4回 23日放送/25日再放送

  タイトル: 「人間の尊厳」への賛歌
 
Eテレ。
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


 講師は、全体をまとめて2点を強調した。
 
A)   『法華経』は、「あなたがいかに尊い存在であるか」を執拗なほど手取り足取り教えてくれる経典である

 今、日本の若い人たちを見ていると、多くの人が自分を見失っている、あるいは自分に自信を持っていないように感じる。講師自身、若い頃に自己嫌悪にさいなまれていたが、『法華経』を読んで救われる思いになった。
 
 
B)   『法華経』には対立や憎しみを乗り越えるヒントが随所にある

 『法華経』編纂の目的が、小乗仏教と大乗仏教の対立を乗り越えて平等思想を説くことであったこと、また『法華経』が生まれたのが文明や人種のるつぼである西北インドであったことなどから、そこには、現代の世界において私たちが直面しているさまざまな対立や文明の問題を乗り越えていく智慧があるあるのではないか。
 


以下、第4回放送の内容を、もう少し詳しく見ていく。
 
【項目】 第4回放送

(1)   常に軽んじない菩薩
(2)  「尊者がたよ」「ご婦人がたよ」
(3)   非難されても憎まなかった
(4)   弘教のモデルとしての菩薩のふるまい
(5)  “経典を読まなかった”が意味すること
(6)   地涌の菩薩への付嘱
(7)  『法華経』を実践する場所こそ聖地である
(8)   追加された六章
(9)   歓喜のフィナーレへ


前回紹介した『サダーパリブータ』は、テキストでいうと(1)の後半と(2)(5)に書かれてあった。
 
今回は、その他の部分について書く
 

(1)  常に軽んじない菩薩   前半

 第16章から第18章は、三つの“功徳品”が続く。


*** 第19章 「常不軽菩薩品」  ~ 既解説
     ここで『法華経』の実践モデルが明らかにされた
 

(6)   地涌の菩薩への付嘱

 第20章。ここで、はじめて滅後の弘教(仏の教えを広めること)の付嘱(師から弟子に弘教を託すこと)がなされる。まず付嘱されるのは地涌の菩薩である。
 

(7)  『法華経』を実践する場所こそ聖地である

 釈尊ゆかりの地を実際に訪ねることよりも、『法華経』を実践していることこそが大事なのだ。 ~ 聖地信仰への反省
 

(8)   追加された六章

 続く第21章から第26章。後世になって6つの章が追加された。『法華経』や原始仏教で否定されていたことが、逆に肯定的に強調されていたりする。
 『法華経』の高度な教えにあまり関心を示さない人々がいたため、妥協的にとっつきやすい内容で誘引した、ということになるだろう。
 

(9)   歓喜のフィナーレへ

 本来は、第20章の次に位置していた。
 地涌の菩薩に続いて、残りのすべての菩薩に付嘱がなされた。そこにいた人たちは、今まで見たこともないことがあったと歓喜し、虚空からそれぞれ元にいたところへ戻っていった。
 

出典
植木雅俊(2018/4)、『法華経』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付図は、この本からの転載


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