2018年1月29日月曜日

(1132)  (3)福澤諭吉『文明論之概略』 / 「明治の50冊」


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(K0273)  福祉と事業との両立 <インクルーシブな社会>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0273.html
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 明治7(1874)年3月から1年を費やして書かれ、8年8月に刊行された福澤諭吉の『文明論之概略』。5年2月から9年11月にかけて大衆向けに出された全17編のシリーズ『学問のすゝめ』と同時期に、福澤は本書を執筆した。明治新政府による厳しい言論統制が実施されるなかで、福澤は『学問-』で観測気球をあげて国民や新政府の反応をうかがいつつ、慎重に筆を進めていったらしい。したたかな戦略家なのだ。

 大衆を対象とした『学問-』に対して、本書は封建制度のもとで教養を積んだ知識人に向けて書かれたのだ。彼らに近代の人間と国家のあり方を説いて理解してもらおうと、自身の知見を惜しみなく注ぎ込む。この層が文明の精神を身につけない限り、日本の近代化は形だけのものとなり、独立を守り通すことはかなわないと考えたからだ。加えて、国民が手に入れつつある「自由」を後退させるかのような施策を打ち出す明治新政府に対抗するには、この層が力を持つ以外に道はないからだ。


 本書全10章にわたり論じられるのは、つまるところ『学問-』で訴えた「一身独立して一国独立す」である。古今東西の学問や歴史、世界事情に精通していることにも驚かされるが、その知見を国の独立を守るという目的に向けて総合する能力こそ、真に驚嘆すべきところだろう。

 昨年、角川ソフィア文庫から現代語訳を出した先崎彰容・日大教授は言う。
 「今年は明治150年。わが国はどこから来て、どこを目指そうとしているのか、総点検が求められています。その際、必要なのは『源流』にまでさかのぼって思考することでしょう。『文明論之概略』にはヒントがちりばめられているはずです」
 

【プロフィル】福澤諭吉(ふくざわ・ゆきち)
 天保5年12月(1835年1月)、豊前(大分県)中津藩士の家に生まれる。大坂の適塾で学び、安政5(58)年、江戸で蘭学塾を開く(後の慶応義塾)。英語を独習し、万延元(60)年、咸臨丸で渡米。元治元(64)年に幕臣となり、外国奉行翻訳方を務める。維新後は新政府への出仕を拒み、在野で教育や言論活動に注力。『学問のすゝめ』『文明論之概略』など多数の啓蒙書を著した。明治34(1901)年、死去


引用
一身独立説く「近代の源流」、産経新聞(2018/01/25
(3)一身独立説く「近代の源流」 福澤諭吉『文明論之概略
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220023-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)

 
 

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