2018年1月16日火曜日

(1119)  映画「幸福」(監督:アニエス・ヴァルダ)


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「シネマサロン」に参加した。映画「幸福」(1965年・フランス映画)を鑑賞し、参加者(主催者を含めて14人)で意見交換した。女流監督アニエス・ヴァルダがシナリオを書き、台詞を添え、自ら監督した映画である。六五年度ルイ・デリュック賞、ベルリン映画祭審査員特別賞を受賞している。
 

超簡単あらすじ:妻と子ども2人と幸せな生活を送ってきたが、魅力的な女性と出会い、妻と愛人を同時に愛し、愛人にも妻にも隠さず話した。妻は「あなたが幸せなら私はそれでもいいと思うわ」とい理解を示し、屋外セックス。夫が目覚めたときには妻はおらず、水死体で発見された。愛人が妻の座に座り、何事もなかったように、新しい妻と2人の子どもとともに昔のような幸せな生活に戻った。

  もう少し詳しく知りたい人向けに、後ろの方で「700字あらすじ」を引用している。
 

映画では、この状況を否定的には描いていない。観終わったとき、正直、どうコメントすればよいのか戸惑った。しかし、他のメンバーの話を聞いているうちに、自分の考えがまとまってきた。私の感想は映画そのものではなく、「人は自分の思い描くストーリーを通じて事実をとらえる」という気付きである。


まず、この映画は「非道徳的だ」「身勝手だ」という意見があった。私は、良いか悪いかではなく、自然な姿だと思った。皆の意見は「一夫一妻制が正しい」という前提に立っている。動物界を見ると必ずしも一夫一妻制ではない。人間界でも先進国は一夫一妻制が主流だが全世界をみると必ずしもそうではない。「一夫一妻」を当然とはせず、その思い込み(?)から自由になると、見えなかったものが見えてくる。
 

次に、「妻は自殺と思うよね」という意見があった。しかし、妻が自殺をする場面はない。母が死んでしまったのでその子どもを誰が見るのかと議論された、子どもたちは愛人になついた、という場面はある。このことから「妻は事故で死んだということで処理された」と推定できる。しかし、自殺だったと断定できる証拠はない。自殺したと処理されるか、事故死だったと処理されるかは、その後に大きな影響を及ぼす。一方、実際には自殺だったか事故死だったかは、どちらでもよい事のように私には思える。

私が思うに、「夫の身勝手で妻は自殺した。妻を自殺に追い込んだのに夫がのうのうと幸福に生きているのはけしからん」という「予定調和的」評価をしたいのではないか。「妻が自殺した」ではないと、上のストーリーは破綻してしまう。そんな理由で、明確な根拠がないにもかかわらず、「妻が自殺した」と思い込んでいるのではないかと思った。
 

タイトルからすると「幸福」とは何かというのが主題だろう。その意味で、私の関心は主題から外れてしまったようだ。この映画は、賞はもらったが、興行的には芳しくなかった、非難する人も多かったと聞いた。そうだろう。「常識ある人」にとっては、不愉快な映画である。しかし、何故不愉快に思うのか、どのように不愉快になるのかに焦点を移した私にとっては、とても興味深い映画だった。

もし私が一人で観たらこのような感想に至らなかっただろう。他の人たちの感想を聞かせてもらえた「シネマサロン」に感謝。

ちなみにサロンでの私の発言は、ほとんど理解されず、納得されなかったと感じた。それはそれで良いとしよう。無理に理解・納得してもらおうとすると、私が私でなくなったり、相手に変化を無理強いしてしまったりしそうだ。

 

700字あらすじ」
===== 引用はじめ
フランソワ(ジャンクロード・ドルオー)は妻テレーズ(クレール・ドルオー)、ジズー、ピエロら二人の子供と平凡で実直な生活を送っている。そんな彼にとって新しい事件が起ったのは、近くの町まで仕事で出かけ、電話をかけるために立ち寄ったときたった。受付の娘と二言三言言葉を交したが、彼はなぜか彼女に好意を感じた。二度目にあったとき、二人でお茶をのんだ。娘はエミリーといい、彼と同じ町に転勤が決り、部屋も見つけたことを話した。もう二人は愛を感じるようになっていた。彼女は彼に家庭があることも知っていたが二人は不自然さも罪悪感もなく、結ばれてしまった。というのも、彼は昔と全く同じように妻も子供たちも愛しており、愛する女性が二人できても、それは幸福以外のなにものでもないからだ。ある休日、例のようにフランソワ一家はピクニックにでかけた。そこで彼は妻にすべてを告白した。テレーズは少し考えてから「あなたが幸せなら私はそれでもいいと思うわ」そう答えた。彼は喜んだ。純粋によろこんだ。そして大人しい彼女がかつて見せたことのない大胆さで夫を求めた。快い疲労に眠った夫が子供たちの声で目を覚ましたとき妻の姿はなかった。池に溺死体となった妻を発見して、彼は悲しんだ。まわりの人々は不幸な事故で愛妻を失なった男として同情を寄せ、とりわけエミリーが心からテレーズの死を悲しんでくれた。日がたつにつれ、彼は昔どおりの働き者にもどった。エミリーが子供たちの面倒をみてくれ、いつの間にかそれが習慣になった。家事をする女性がエミリーにかわったというだけで、きわめて平穏な日日を送るようになっていた。
===== 引用おわり
https://movie.walkerplus.com/mv13617/


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