2017年8月12日土曜日

(963) 神道、「神」とは / 仏教と儒教(15-2)


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 私は思うのだが、“God” という言葉が西洋から入ったとき、「神」という言葉を当てはめたから、ややこしくなってしまったのではないか。

 日本は「八百万神」であるが、その「神」は、ヤハウェ(ヤーヴェ、エホバ)でも、God(イエス・キリスト? キリスト教でもヤハウェ? … すみません、詳しくないもので)でも、アッラーフ(アッラー)でもない。一神教の『神』は、超越者であり、人格神であり、唯一無二、全知全能の創造神である。日本の「八百万神」をもって「多神教」だというがその『神』と、「一神教」の『神』とは、同じ言葉を使いながら、別物である。

 神道、仏教、儒教は、一神教でないので習合の対象となりえたが、一神教のユダヤ教やキリスト教やイスラム教は拒否するだろう。

 それでも日本人は、彼らを排斥することは少ない。それどころか、宗教心がどれほどあるか疑問だが、クリスマスや最近ではハロウィンで盛り上がり、にわかクリスチャンが教会で結婚式をあげたがる。多くの日本人は、こんにち「神様」というと、日本人は漠然とイエス・キリストのような存在を思いうかべる。
 


 さて、本題に入る。

 神道においては、祭祀をするにしてもあるいは理論や世界観を構成するにしても、基本となるものは「神」観念である。

 有名なところでは、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、素戔嗚尊、大国主神など、みな「神」である。では、「神」である条件とは何か。

 最も簡潔で包括的な解釈は、次にあげる本居宣長『古事記伝』の記述にある。引用文は仮に番号とタイトルを付し、現代語訳で示す。

 
(1)  天地の神
 『古事記』『日本書紀』など古典に見える、
 天地のさまざまな神からはじまり、

(2)  神社の神
 その神を祀る神社にまします御霊をも神ともうしあげ。
 「天地の諸の神」に対して、
 それを祀る神社の「御霊」もカミである

(3)  人・動植物・自然の神
 また人はいうにおよばず、
 鳥獣木草など動植物、海山などの自然も神である

(4)  「神」の条件 ~力や勢いをもった存在
 そのほかどういうものであっても、
 異常に卓越した徳があって、恐ろしいものを
 伽微(宣長は「神」をこう表記する)というのである。

 
要は、三種類の神(1)(2)(3)があり、共通点は(4)である。

 さて、(4)における「徳」だが、この漢字は、こんにち我々は倫理的道徳的な意味で用いる。しかし古代においてこの字は、ある種の力や勢いを示す。たとえば、『日本書紀』では、「徳」を「イキホヒ」と訓むことがある。

 「イキホヒ」は、そのものの「イキ」(活力)が、さかんに活動してあたりを覆うという意味である。「息(イキ)」と「生き(イキ)」とは、存在の活力を意味して、同じことを指す。また「イノチ」という言葉も、語源としては「イ」(生命力、息)と「チ」(勢力)ということで、「息の勢い」であると説明される。

 「神」は、人間にとって何であったのか。「神」は危険である。恐怖の対象であり畏怖すべき存在である。しかし、であるがゆえに「神」は人間存在の最も本質的な領域に関与する。つまり「神」はひとの生命・活力の根源である。… 「神」はひとの生命力・活力・霊魂となる。
 

引用
高島元洋、「第15章 日本の思想 神道・仏教・儒教と近代化」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)

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