2017年6月17日土曜日

(906) 愛の再生産 / NHK連続テレビ小説『ひよっこ』より


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(K0048) 「死の不安」(1) / 高齢期の死生観(4) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/06/k004814.html
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===== 引用はじめ

軍隊も、そうだった。何やっても駄目で、いつも怒鳴られて、殴られてばっかりのやつだった。それを見ているのが辛くて、な、かばったら今度はオレが殴られる。なんだ、なんだ、これはって、思ってた。 … でもなあ、一番悲しかったのは、そのやられたヤツが、自分より下が入ってきたら、一番厳しくて、自分がやられたように下のヤツを殴ったりしてたことだ。嫌なものを見ているなと思った。見たくないなと思った。でもな、人間はやられっぱなしじゃ生きていられないんだよ。そういうもんだとオレは思うんだ。無理のないところもあるんだ。だから余計に悲しいし、嫌なんだ。

===== おわり
NHK連続テレビ小説『ひよっこ』より 第6回第11週 616日放映済み

 

そうだよな、悲しいな、嫌だよなと感じつつも、私の頭は暴走していった。

 
「人間はやられっぱなしじゃ生きていられないんだよ」。
ならば、「愛されっぱなしでも生きていられない」のではないか。

 
 
喜怒哀楽の激しい人がいる。私はその逆で、比較的平坦だ、あくまで「比較的」だが。激しく人を愛することはないが、愛さないわけではない。その愛はどこから来るのか。

私は愛されて育ってきたし、今でも愛されていると思う。そこから愛する心が生まれてきているのではないかと考えてみて、違和感はない。

私はそうかもしれないが、一般的にはどうだろうか。
 

わがままに育てられた子は、大人になってもわがままなままだと思う。そして、自分の子どもを愛そうとしたとき、わがままにさせそうだ。何故なら、そのような愛しか受けていないので、そのような愛し方しかできない。

いや、こういうことを言いたいのではない。説明は難しいが、もっと純粋な愛について語りたい。

 
人から愛されてきた人が、人を愛するようになる。これを愛の再生産と呼ぼう。この愛の再生産は、どのような条件の下、実現するのか。親子で考える。こどもの側から見て、

   親が苦労していることを知っている
   不十分な愛も感じたことがある
   直接、温もりの感じられる愛を受けたことがある
   悪い事も含めて全ての自分を受け入れてもらったことがある
 
親から子への愛。完璧でなくてもいい。親として、社会人として、現実に葛藤しながら、心ならずも十分愛せなかったことがあってもいい、それでも愛することを止めない。

どんな状況にあっても、このように愛することは、できるのではないか。

 

悲しみも、辛さも、憎しみも、再生産される。

愛もまた、再生産されるが、その力はひ弱にも見える。

 
貧困は連鎖すると言う。父がアル中の娘は、アル中の夫を選びやすいと言う。子どもの虐待のニュースをよき聞く。虐待されて育った親は、我が子を虐待しやすいと言う。

でも、自分は虐待されながら、子どもをしっかり愛している親もたくさんいる。


良くないものの連鎖を直接食い止めようとする努力は、意味あることである。
でも、防ぎきれない。人間の性(サガ)から来ているからである。

 
でも、希望もある。
愛の再生産は、よくないものの再生産を阻止する力も兼ね備えている。

 
===== 古事記からの引用はじめ

伊邪那美ノ命言したまはく、美しき我が汝兄の命。かくしたまはば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむとまをしたまひき。ここに伊邪那岐ノ命詔りたまはく、愛しき、我が汝妹の命、汝然したまはば、吾はや一日に千五百産屋立ててむとのりたまひき。ここを以て一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人なも生るる

===== おわり

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