2017年5月31日水曜日

(890) 『維摩経』とは / 『維摩経』(0)


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(K0031) 絶望のどん底 / 新しい人生が始まった(7) <自立喪失からの脱却>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/05/k00317.html
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   『100分で名著』 6月5日() 22:25 22:50 Eテレ 放映

 維摩経は、お経らしくないお経である。早い時期に日本に伝わり、その後の日本の仏教に多大な影響を与えたにもかかわらず、あまり知られていない。文学性に富んだドラマ仕立てになっており(P.4,21)、物語を読みすすんでいくうちに「慈悲」「空」「不二の法門」など、仏教を深く学べる構成になっている。

 他の多くの経典は釈迦が教えを説き、それを弟子たちや菩薩たちが聴聞するスタイルで書かれているのに対して、『維摩経』は「維摩」という在家仏教信者が教えを説くというユニークなお経である(P.5)

 仏教経典というと「俗な暮らしを捨ててストイックに生きろ」とか「成仏した先にはこんな素晴らしい世界が待っている」といったことが書かれていると思われがちだが、『維摩経』にはそのようなことはほとんど書かれていない。じつはこの経典には、それまで当たり前だと思っていたものを一度解体して、新たな価値観や視点を作り出すための手順、プロセスが示されている(P.6-7)

 聖徳太子の編集とされている日本最古書であり仏典注釈書である『三経義疏』の中に、『法華経』『勝鬘経』とともに『維摩経』が取り上げられている(P.20-21)。これらはいずれも、出家の形態を重要視しない経典であり、聖俗平等に救われる教えであり、むしろ在家・在俗重視の経典である(P.66)。『維摩経』が示した「出家にこだわらず、世俗の中で執着せずに生きる」という新たなライフスタイルは、その後の日本仏教のベースとなっていった(P.65-66)

 維摩は、お経の中で、それまでの仏教のスタンダードな教義や考え方を根底からひっくり返していく。在家者にとっては尊敬の対象であるはずの釈迦の弟子たちや菩薩たちと維摩が真正面から対峙し、「あなたの言っていること、やっていることは本当に正しいのか」と問い、次から次へとやりこめていくストーリーは、まるで痛快活劇を見ているかのようである(P.5)


 『維摩経』は、面白いだけでなく、仏教の本筋を外していない。ふと気づくと仏教についての理解が深まっているという、なんともよく考えられた構成になっている(P.5-6)
 

出典:
釈徹宗、『維摩経』~とらわれない、こだわらない~、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/6)
添付:「仏教思想の大転換」。写真は、維摩居士像(興福寺蔵。写真提供/飛鳥園)

2017年5月30日火曜日

(889) 鎌倉時代の仏教(二)親鸞・一遍 / 仏教と儒教(5)


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「読書サロン便り5月号(その2)」 NPO法人新現役ネット 関西ブログ
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 法然によって創始された浄土教は、さらにその易行の救いのあり方を徹底させていく。

 親鸞によっては信のみによる救いが唱えられ、念仏はむしろ報謝の念仏と位置づけられることになった。

 一遍によってはただ名号のみによる救いが唱えられ、名号を唱えるなかで、唱える者と阿弥陀仏とが一体になる(機法一体)ということまで説かれた。

 親鸞と一遍とは、さまざまな点で対照的であるが、自力については徹底的に否定し、いわば絶対他力による救いを語るという点では一致している。

 本書では、その日本独自に発展した浄土教の論理を理解することを目標とし、さらにそこに見られる日本的霊性の特質について考えてみたい。

 

<構成>

 親鸞の思想
1-1 『教行信証』の思想
1-2 親鸞なおける三心
1-3 弥勒便同・如来等同

 一遍の思想
2-1 信不信を問わない救い
2-2 一遍における三心
2-3 機法一体の思想

 

<各論>

 親鸞の思想

 『正像末和讃』に「弥陀の本願信ずべし、本願信ずる人はみな、摂取不捨の利益にて、無上覚をばさとるなり」とある。 … 本願ヘの信によって、その本願の力により、どんな凡夫も無上の悟りを得るのだという。ここに、親鸞の浄土教の核心が示されている。

 
1-1 『教行信証』の思想

 親鸞の主著『教行信証』の「行巻」に「…真実信の業識、これ即ち内因とす。光明・名の父母、これ即ち外縁とす。内外の因縁和合して報土の真身を得証す」 … 諸仏が称え我々に聞かせる阿弥陀仏の名号(および光明)が縁、真実信が因となって、報土往生が得証される。

 
1-2 親鸞における三心

 浄土教では、『観無量寿経』の「至誠心・深心・廻向発願心」、『無量寿経』第十八願の「至心・信楽・欲生」という三つの心を具えることが要求されるが、本当に備えることができるか。
 親鸞によれば、如来の純粋な大悲心は、金剛の真心なのであり、それをいただいていた自己であったと知らされて、その心が信心と呼ばれるものともなる。それが真実の信心なのであり、この如来より賜りたる信心によってのみ、報土に往生できる。

 
1-3 弥勒便同・如来等同

 信心の定まった者は、等覚の位にある弥陀と同じ位にある(弥勒便同)。「浄土の真実信心のひとは、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、こころはすでに如来とひとしければ、如来とひとしとまふすこともあるべしとしらせたまへ」(如来等同)

 

 一遍の思想

 日本の浄土教の中には、浄土宗、浄土真宗のほかにもう一つ、一遍の時宗がある。藤沢の清浄光寺(遊行寺)が、その総本山である。

 
2-1 信不信を問わない救い

 一遍の法門は、信によらず、意識の分別によらず、ただひとえに名号によって救われる道であり、その救いは一念の念仏のうちに機法一体となって、阿弥陀仏と成就するという独特なものとなっている。

 
2-2 一遍における三心

 救われるためには、三心を具えることが条件である。一遍は、三心を備えるということは、実は名号に帰することなのだとする。「しかれば、三心といふは身命を捨て、念仏申すより外には別の子細なし」ということになる。

 
2-3 機法一体の思想

 名号を称えるただなかにおいて、「生死なき本分」を自覚・実現しえ、機法一体になる。パウロは「我もはや生くるにあらず、キリスト我がうちにありて生くるなり」といったというが、宗教の原点は、まったく同じのようである。

 

引用
竹村牧男、「第五章 鎌倉時代の仏教(二)親鸞・一遍」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)

(888) 始めるもの・終えるもの(私事)


本日書くのは、私事である。
この土曜日・日曜日はあわただしかった。


始めるものと終えるものが交錯した。
終えるものを終えても、なかなか、始めるものが始まらない。

 
土曜日・午前

「生きづらさの中を生きる(全8回土曜日)」(神戸いのちの電話)
7回目を受講。これまで全部出席。

今回の講師、関西学院大学の教授は、高校の同期。終了後に挨拶しようと思ったが、質問者がたくさんいたので、声かけだけして帰った。充実した講座内容(「心の病について)だった。

 
土曜日・午後

「こころ豊かな人づくり神戸500人委員会」の総会と「NPO法人福祉ネットワーク西須摩だんらん」の総会が日時を含めて完璧に重なった。場所は、三宮と須磨。

「こころ豊かな人づくり神戸500人委員会」は、運営委員会の副会長で青少年健全育成にも取り組んできたが、今回で退任した。総会の司会をして、27・28年度報告、退任挨拶をして会場を飛び出した。29・30年度計画には出ず、司会としての締めは新副会長にお願いしていた。

「NPO法人福祉ネットワーク西須摩だんらん」の総会に飛び込んだ時、ちょうど新体制の理事の挨拶が終わったところだった。「ちょっと待って」と最後の一人として、新任理事の挨拶ができた。ギリギリ、セーフ。綱渡りだった。

 
土曜日・夕方

やっと終わったと思ったら、電話がかかってきた。あわてて会場を出て、忘れ物をしていた。最初の青少年会館の受付に預かってもらうよう依頼し、再び取りに戻った。身から出た錆だが、疲れた。

 
日曜日・午前

NPO法人生きがい大阪の「健康生きがいづくりアドバイザー養成講座」の講師を引き受けていた。私が担当した講座名は「アドバイザー活動基本」。少人数だったが、充実した内容だったと思う。良い出会いもあった。

 
日曜日・午後

5月28日は、私達夫婦の結婚記念日であると同時に、私の母の命日でもある。目出度い日だが素直に祝えない。待ち合わせて、妻とともに墓参りをした。

 
日曜日・夕方

ふるさとひょうご創生塾19期の同期会。メンバーの一人の手配で「バーベキューサイト ブリッジテラス大蔵」(写真:ブリッジテラス大蔵、明石海峡大橋)。「口利き」のおかげで、リッチな内容だった。ここでも良い出会いがあった。

 

こんんなに重なるのは、珍しい。
 

新しいことを始めるためには、何かを終わらさねばならない。

NPO法人生きがい大阪は、1年前に理事を辞し、本年度から退会する。何度か勤めてきた「アドバイザー養成講座」の講師も、今回が最後のご奉公。

「兵庫県青少年育成アドバイザー協議会」も退会した。

昔苦労して取ったCDA資格も、更新条件をクリアーするのに時間も金もかかるので、捨てた。
 

地元の活動に重点を置きたいからだが、開設した「輝き実現研究所」は、なかなか先に進めない。5月から二つ目のブログを立ち上げ、日に平均2体ずつ書いているのがこたえるが、当面は継続したい。体と心を病まない範囲で、頑張っていきたい。

2017年5月29日月曜日

(887) 「ひよっこ」にみる「尊厳と自立」


NHK連続テレビ小説「ひよっこ」も大分見慣れてきた。ときどき「名場面」にめぐり会う。

下に紹介するのを「名場面」とよんでいいのかどうは分からないが、今私が追いかけているテーマ「尊厳と自立」にちょうど当てはまるので、まとめてみた。

第8週第47回の場面。写真は、放映画面より。

 
(み)谷田部 みね子(有村架純)ヒロイン。奥茨城 出身。
(鈴)牧野 鈴子(宮本信子)  すずふり亭店主

===== 引用はじめ

   < みね子が泣いているのを見て、鈴子はみね子を裏庭に連れ出した >

(鈴)(私はね、勝手に東京のお母さん代わりと思っている…)何かつらいことがあったんでしょ。そうでしょ

(み)お給料日にここに来て、ちょっとずつ高いのたのんで、そうやって決めていたのに、ちょっと厳しいからそれもできなくて、来られなくなったら寂しいなと思って、そしたら、

(鈴)ばかだね。別にあんたに商売しようと思ってないんだからさ。お客じゃなくていいじゃないの。遊びに来れば。今日だって、お代なんていらないんだし。

(み)だめです。絶対いやです。

(鈴)なんで

(み)私の、東京での目標なんです。私、特に東京でこれをしてえとか、そういうのないから、でも、がんばって、働いて、ちゃんと仕送りして、妹や弟を高校にやれるようにして、でも、それだけだと自分がないから、すずふり亭に来て、いつかビーフシチューたのめるようになって、だから、自分の力で払わないとだめなんです。

===== 引用おわり


「仕送りするだけだと自分がないから」、「東京の目標」を決めた。「だから、自分の力で払わないとだめなんです。」

「尊厳」と「自立」を守るため、60円のビーフコロッケを御馳走してもらうのを断固拒否した。
 

ちっぽけな、どうでもいいような意地である。

しかし、この種の意地を捨ててしまった人は、実に貧相になる。

そして、この種の意地をはれる人は、苦境に立っても切り抜けることができる。何故なら、切り抜ける力の源泉である「尊厳ある私」を保っているから。

65年間生きてきた、私の実感である。

 

「尊厳」と「自立」については、本日、別のブログに詳しく書いた。

(K0030) 尊厳と自立度 / 自立度など <自立喪失からの脱却>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/05/k0030.html

断っておくが、読むのはしんどいと思う(笑)。

 

「ひよっこ」を見ていない人のための解説:

ヒロイン谷田部 みね子のお父さんが蒸発して、家計を助けるため急きょ東京に集団就職。給料は、わずかな額を残して仕送りし、質素な生活をしていた。しかし、会社が不況で給料は約10%カット。みね子も同僚も、実家にはいつもの金額を送った。

すずふり亭は、蒸発した父が立ち寄った店。懇意にしてもらい、給料日には必ず来るようにしていた。でも、お金がない。

メニューは、
  ビーフコロッケ   \60
  ポテトフライ    \70
  ロースハムエッグ  \150
  チキンライス    \190
   :
  特性ビーフシチュー \500

少しずつランクアップしてきたが、今回はビーフコロッケに逆戻り。

来月は、来ることすらかなわないかもしれない。


(886) 子どもの遊び、校外生活 / 子供・若者の文化と教育(5)


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(K0030) 尊厳と自立度 / 自立度など <自立喪失からの脱却>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/05/k0030.html
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子どもの遊び、校外生活

 子どもの成長スタイルが変わってきた。仲間との遊びを通した成長が見られなくなっている。そこから、今の子どもたちの「弱さ」が生まれている。とりわけ男子の行動が気になる。それは何が原因かを明らかにしていく。一言で言えば、利便社会の落とし穴であり、子どもの放課後が消えたからである。子ども社会での規範意識が育っていない。

 
<構成>

1. 子どもは変わったか

2. 子どものおかしさは何か
(1)  バレーボールができない中学生
(2)  ミーティングができない中高生
(3)  女性リーダーと草食男の誕生

3. 子どもの放課後が失われた
(1)  食欲が乏しい
(2)  体力が低下する
(3)  人間関係能力が衰える

4. 学校は計画経済、放課後は自由経済

5. 通学学習が子どもの生活を変える
(1)  通学学習とは何か
(2)  通学学習の機能は何か
(3)  仲直りの文化を身に付ける

 

<各論>

1. 子どもは変わったか

 子どもたちが「忙しい」生活を送り始めた。忙しい子どもの出現で子どもの独りぼっち化が進む。金曜日になると疲れきってしまう。早寝早起きができなくなる。
 

2. 子どものおかしさは何か
(1)  バレーボールができない中学生
(2)  ミーティングができない中高生
(3)  女性リーダーと草食男の誕生

 子どもたちは、予想できない状況での対応能力を要求されるスポーツが苦手になっている。素早い対応能力が求められるバレーボールのレシーブが続かない。一方、お互いが示し合わせるので予想可能なバスケットとサッカーのパスストドリブルは上手にできる。

 自分たちで意志決定できない子どもたちが出現している。自分たちで協議できなくリーダーの指示を仰ぐ「指示待ち人間」になっている。かつての子どもはこうした指示待ち人間は少なかった。遊びの中では自分たちのルールを作り楽しく遊んでいた。

 
3. 子どもの放課後が失われた
(1)  食欲が乏しい
(2)  体力が低下する
(3)  人間関係能力が衰える

 小学校5年生の一日の歩数は、30年ほど前には23,000歩だったが、一昨年では13,000歩だった。時間換算すると約1時間の放課後が短縮された。

 放課後空き地や公園で子どもの声がしなくなった。夕食時に「ただいま、お腹すいた。お母さんご飯まだ」という声が隣から聞こえなくなった。

 動きが少なくなると、体力が低下する。体力テストによれば20年間小中学生の体力は低下し続けている。

 今の子どもを取り巻く大人を見ていると「第一の親」と「第二の教師」の大人だけである。「第三の大人」(近所のおじさんやおばさん・地域のお店の人・見知らぬ人たち)との関りが少なくなっている。これでは子どもの人間関係能力が育つわけがない。


4. 学校は計画経済、放課後は自由経済

 学校は良い意味での計画経済である。全国どこに行っても「よい教科書」と「よい教師」、それから「よい友達」が保証される。しかし、放課後の世界は自由経済である。子どもの放課後の体験量は親の経済的な差と地域差を直接に受ける。

 この体験量が格差を生む。放課後の格差を学校が是正する働きをもつが限度がある。どの家庭の子どもにも、どの地域の子どもにも豊かな放課後の世界を提供するミッションを持たねばならない。

 
5. 通学学習が子どもの生活を変える
(1)  通学学習とは何か
(2)  通学学習の機能は何か
(3)  仲直りの文化を身に付ける

 通学学習とは、子どもたちが公民館などの施設で1週間程度、集団で宿泊合宿を行い、学校に通う活動である。期間中、衣・食・住に関することすべてを自分たちで行う。食材の買い出しから調理、部屋の掃除、洗濯、風呂沸かしまでをする。

 子どもたちは利便社会の落とし穴に落ち込んでいる。自分から動かなくてもよい生活になれている。通学学舎はそこに落ち込んだ子どもたちが、自分から這い上がる力を身に付けるきっかけになる。

 通学学習は、まさに生活のトラブルと遊びのトラブルを通して、仲直りの文化を学ぶ場である。トラブルを解決しないと、遊べないし、食事ができなく、風呂にも入れない。

 
引用
明石要一、「第5章 子どもの遊び、校外生活」
竹内清・岩田弘三編(2011)、子供・若者の文化と教育、放送大学教材

2017年5月27日土曜日

(885) 過去は「ある」のか


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(K0029) 「脳の健康度」「脳の自立度」 / 自立度など <自立喪失からの脱却>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/05/k0029.html
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過去は「ある」のか、ということについて考えてみた。三つのことが分かった。

1.   過去は「ない」

2.   過去は現在に二つの影響を与える

3.   二つの影響への対処は異なる

 

<各論>

1.   過去は「ない」

 よく考えてみると、日常使っている言葉に答があった。
 『過去』は「過ぎ去った」もので今はない。『未来』は「未だ来たらず」なので今はない。『現在』は「現に在る」ので今ある。過去はない。
 その通りだと思う。日本語はすごい。

 
2.   過去は現在に二つの影響を与える

 過去はないが現在に二通りの影響を与える

   結果としての過去
 「1年前に父か死んだ」という過去は「今父は生きていない」という現在の結果として現れる

   記憶としての過去
 「1年前に父が死んだ」ときの悲しい気持ちが今でも蘇る
 

A)   紫外線は目に見えないが日焼けを引き起こす。現実を変える限り何かがあるに違いないと考えると「紫外線はある」という結論になる。

B)   幽霊に怯えて発狂した人がいるとする。幽霊はその人を発狂させた(現実を変えた)が、そこから「幽霊はある」という結論は導けない。幽霊はないが幽霊があるとその人が思ったから発狂したこともありえる。幽霊は「なく」、「ある」のはその人の思いである。

現在に影響があるからといって、「過去がある」という結論は導き出せない。

 
3.   二つの影響への対処は異なる

二つの影響へは、異なる対処をしなければならない。

「結果としての過去」は変えられない。適切な対処は「過去を受け入れ、今の自分の行動を変える」ことである。「1年前に父か死んだ」という過去変えられない。「今父は生きていない」ために収入がなくなり貯金が減ってきたので私が働いて金を稼ぐ、というように「今の自分の行動を変える」。

「記憶としての過去」は変えられる。適切な対処は「必要なら過去の記憶を置き換える」ということである。「1年前に父が死んだ」という嘆きと悲しみをずっと引きずっていたのでは動けなくなってしまう。自分を愛してくれた父を思い出してみる。その父が塞ぎ込んでいる今の私を悲しむのではないか。父の思い出と感謝が記憶の真ん中に来ると、過去への思いは変わる。

「昔こんなひどい目にあった。私は不幸だ」と思いながら生きるのではなく、「昔こんなひどい目にあったけれど私は頑張った。その頑張りと周囲の支えで今の自分がある」と思いながら生きていきたい。

 

<検証>


ちょうど、読んでいた本に関係する記述があった。

私の考えたことと矛盾しない。


===== 引用はじめ ( P.43 - P.44 

… 仏教では、すべてのものはこの瞬間にしか実在しないと説いている … すべてのものが瞬間、瞬間で消え去っていくとすれば、過去はどこにも存在しないことになるし、未来はいつまでも未来であって、現在にはないことになります。すべては瞬間、瞬間、変化し続けて、この一瞬の連鎖によって次の一瞬が成立します。

===== 引用おわり

釈徹宗、『維摩経』、100de名著、NHKテキスト(2017/6)

2017年5月26日金曜日

(884) 人の何倍も仕事して遊んだがん患者


与謝野氏が亡くなった。
http://www.sankei.com/politics/news/170524/plt1705240019-n1.html

写真は、このサイトより。「2011年2月9日、インタビューに答える与謝野馨氏=東京・内閣府(緑川真実撮影)」
 

「右足の付け根の腫れが、悪性のリンパ腫と診断されたのは昭和52年、39歳の時だった。医学書で調べると、「余命2年」とあった。」「それから直腸、前立腺、下咽頭…、78歳で亡くなるまで、4つのがんと3度の再発を経験している。」


===== 引用はじめ

 ▼もっとも与謝野氏にとって、がんはけっして仕事の足かせにはならなかった。「政界屈指の政策通」を見込まれて、主要閣僚や自民党の要職を歴任してきた。囲碁や物理学、カメラ、クラシック鑑賞と趣味も多彩である。

 ▼病気に屈することなく、常人の何倍も充実した人生を送ってきた。その秘密はなんだろう。政治家としての忙しい毎日が、「『患者であることに一所懸命にならずに済む』最善の環境だった」。がんとの長年の共生生活をつづった『全身がん政治家』(文芸春秋)に、こんな記述がある。

===== おわり

産経抄、産経新聞(2017/05/26)
http://www.sankei.com/column/news/170526/clm1705260003-n1.html

 
がん患者 誰もが与謝野氏のように生きられるわけではない。

しかし、与謝野氏のように生きた人がいるという事実は、希望になる。

希望があると、力が湧いてくる。

2017年5月24日水曜日

(883) 「神様たちの街」「神戸フォーラム2017」


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===== 新たに投稿した
(K0025)  個人Blog 5月中旬リスト <サイト紹介>
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私が参加する予定のイベントを二つ紹介する

A.神様たちの街
B.神戸フォーラム2017
 


<各イベント>

A.神様たちの街

===== 勉強会の概要

「神様たちの街」(田中監督ドキュメンタリー作品)上映会
    田中幸夫監督のトークもあります。

日時:2017年 7月2日()14:00~ 受付13:30

会場:神戸市立婦人会館(*1) 5階さくら  参加費:500円

主催:「神戸の地域福祉を考える会」(ひょうごん福祉ネット・神戸市立婦人会館)

申込・お問い合わせ ひょうごん福祉ネット各団体 (*2)

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(*2) NPO法人 福祉ネットワーク西須磨だんらん 078-731-2430

 

===== 引用はじめ(『神様たちの街』公式サイト)

先の戦争。未曾有の震災。
その試練を、明るく、ひたむきに、
たくましく生きのびた人たちがいる。
これは、ささやかにして確かな生への賛歌だ。

           俳優 竹下景子
===== おわり
http://kamisamaga.com/

 
===== 引用はじめ

震災から十年を契機に、
「兵庫モダンシニアファッションショー」が開かれてきた。

毎年12月に様々な人々が
思い思いのファッションでステージに立つ。

映画はショー本番までの半年を追う。

神戸芸術工科大学ファッションデザイン学部長
見寺貞子教授(60歳)は元大手百貨店のバイヤーだった。

震災を経て大学に移り、
人間とファッションの好ましいあり方を追求してきた。

「ファッションショーは、
教えるというより学ぶことの多いライフワークだ」と語る。

「お年寄りたちはめちゃ元気。
元気をもらうというより元気を吸い取られるよう」と笑う。

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ameba での紹介 (https://ameblo.jp/eigajikou/entry-12180661387.html

  映画チラシ … ここから引用添付

  予告動画

  田中幸夫監督、見寺貞子教授(企画協力)談

など

 

B.神戸フォーラム2017

===== 概要はじめ

日本ホスピス・在宅ケア研究会

神戸フォーラム2017

開催日: 723日(日)13:30-16:30

会場 :三宮コンベンションセンター(神戸市)

参加費: 2,000円(非会員の場合)

申込 :http://kurodakinen.okoshi-yasu.net/entrance.html

===== おわり

http://kurodakinen.okoshi-yasu.net/index.html

 
===== プログラム概要 はじめ

次の内のいずれかを選択

(1)     『あなたの生き方を決めるのは誰?』
    ~ みんなで しなやかに生きる ~

(2)     アンガーマネージメント入門講座

(3)     メンタルヘルスグループワーク
    ~ 医療・介護に携わる人たちのためのメンタルヘルス ~

(4)     ホスピス・ボランティアを広げよう

===== おわり