2017年5月21日日曜日

(880) 鎌倉時代の仏教(一)源信・法然 / 仏教と儒教(4)


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平安末期になると、時代の不安定な状況や末法思想の浸透等に伴い、阿弥陀仏の浄土への往生を願う信仰が普及していく。

そうしたなかで、自らいずれの行もおよびがたき身であると自覚し、中国の善導の思想に基づき、易行としての念仏によりどんな人でも救われるという新しい仏教を唱えたのが法然である。

その下地を作ったのが、天台僧で極楽往生の道を追求し、『往生要集』を著した源信である。

高度な学問を伴った仏教が日本に移植され、奈良時代・平安時代を通じて定着してきて、さらに広く民衆の仏教となっていくありようを源信・法然の思想に探り、法然仏教の歴史的な意義について理解することをめざす。

 

<構成>

源信の思想
1-1 『要集』
1-2 『横川法語』

法然の思想
2-1 『選択本願念仏集』の思想
2-2 念仏と一念の関係
2-3 三心(サンジン)の問題

 

<各論>

源信の思想

1-1 『往生要集』
源信の主著ともいうべき『往生要集』の名前は、浄土往生のための要文を集めたものという意味である。愚かな凡夫の出離のための行が追求されている一面がある。このことは、後の法然の念仏につながっていくことになる。

1-2 『横川法語』
源信に、『横川法語』なるものがある。「信心あさくとも本願ふかきがゆえに、頼(タヨラ)ばかならず往生す。 … 又、妄念はもとより凡夫の地体なり。 … 妄念をいとわずして信心のあさきをなげきて、こころざしを深くして常に名号を唱うべし」。ここから法然へは、確かに近いことであろう。

 
法然の思想
法然の仏道の核心は、凡夫が阿弥陀仏の報土(報身仏の国土)に生まれ得るということにあった。法然の念仏の教えは、易行としての称名念仏一行のみをとって、他の行は必要ないというものであったため、急速に民衆に広まっていった。

2-1 『選択本願念仏集』の思想
法然の主著『選択本願念仏集』は、十六章からなり、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経をめぐる諸問題について論じ、浄土教がいかに確かな救いの道であるかを論証しようとしたものである。

2-2 念仏と一念の関係
『無量寿経』の第十八願には、十回の念仏で往生がかなうことが約束されていた。一方、同経巻下には、むしろ一念で往生を得るともある。どうなのか? 法然は一念での往生の疑うべからざることをしばしば語っているが、やはり多くの念仏のほうを尊重・評価していたようである。

2-3 三心(サンジン)の問題
浄土に往生するためには、称名念仏とともに、実は三心の問題というものがある。『観無量寿経』に、「もし衆生ありて、彼の国に生まれんと願う者、三種の心を起さば、すなわち往生す。なにをか三とす。一には至誠心(シジョウシン)、二には深心、三には回向発願心なり。この三心を具うれば、必ず彼の国に生まる」とある。

 
引用

竹村牧男、「第四章 鎌倉時代の仏教(一)源信・法然」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)

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