2017年1月31日火曜日

(770) 余命2~3か月 / がんになった“僧医”の遺言(1)


 こころの時代

「 いのちの苦しみに向き合って
~ がんになった“僧医”の遺言 ~ 」

  2017/1/29 Eテレ 放映済み

  24日土曜  NHKEテレ1  午後100分~ 午後200分 再放送

 
西明寺住職・医師の田中雅博(70)は、内科医として末期がんの医療に長年取り組み、500人以上の患者を看取ってきた。2年ほど前に自身が末期のすい臓がんと判明。手術や抗がん剤治療など手を尽くしたが、余命は2~3か月とされている。
 


===== 引用 はじめ

 余命は、2~3か月かなと考えています。残念なことにもう効果があるという証拠のある治療は残ってないんですよ。

 私の父は心筋梗塞でしたけれど、講話をしている最中に5分ぐらいで気分が悪いと言って部屋に戻って、すぐに倒れて、そのまま亡くなられた。ですから何の準備もできないで死んでしまう。

 そういう病気とがんの場合は違うわけですね。おかげさまで、かなり長く準備ができました。その点ではがんで死ぬのは良いと思います。心筋梗塞とか脳卒中で突然死んでしまうのでは、そういう場合には、準備ができませんから。

 その点、必ず誰もが死ぬわけですから、そこで大事なことは、二つですよね。

 それでは生きられる時間を延ばすにはどうしたらいいか。もう一つは、その生きられる時間をどう生きたら良いか。この二つですね。

 それ以外は、考えても意味がありませんから、できないことは考えないわけです。

===== 引用 おわり

 
死出への準備としては、①家族などとしっかりとお別れすること、②遺産相続や身の回りを処分すること、などがあるだろう。その期間は、短すぎても長すぎてもいけない。

 
日本人の死亡原因の順位は、悪性新生物(第1位)、心疾患(第2位)、脳血管疾患(第3位)、肺炎(第4位)、老衰(第5位)、不慮の事故(第6位)である(厚生労働省「平成22年人口動態統計」)。図参照。

 


よく「ピンピンコロリ(*)が理想」という声を聞くが、私はそうは思わない。心疾患や脳血管疾患や不慮の死などであっというまに死んでしまっては、上記①②の準備ができない。別れ()が不十分では、残された家族の苦悩も大きい。

(*) ピンピンコロリとは、病気に苦しむことなく、元気に長生きし、病まずにコロリと死のうという意味の標語。略してPPKとも言う。(Wikipedia


一方、肺炎や老衰で長々とベッドの上で生きては、家族など周りの人が疲れてしまうだろう。特に意識が無くなってからは、無理に殺してくれとは言わないが、短い方がよい。延命治療は望まない(ただ、家族の意向も尊重したい)。

 
消去法でいくと、悪性新生物(がん)が一番良いことになる。2・3か月から1年ほどの余命があれば、不十分かもしれないが、意識があれば準備①ができるし、体が動けば準備②もできるだろう。

 
それにしても、死に行く人を何人も看取り、自分がその立場に立ってインタビューを受ける姿は、言葉では言い表せない。私はと言えば、口では「悪性新生物(がん)が一番良い」などと分かったようなことを言っても、いざ宣告されると自分がどうなるか、分かったものではない。


田中住職は、死ぬことを横において、全身全霊を生きることに集中させているのではないだろか。宣告される前から、そのように生きたいものである。そうすれば、きっと、もっと充実した人生を送れるだろう。死ぬことを忘れて生きるのと、死を覚悟しながら横に置くのとは違う。余命を宣告されないまま、明日死んでしまうかもしれない。

 
死ぬことを、生きる土俵の上で考えたい。

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